tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

姫新線:三日月駅 (みかづき)

(西栗栖) - 三日月 - (播磨徳久)                           (訪問日: 2022/07/16)

西栗栖駅から西へ、出雲街道の宿場町、三日月藩城下町でもあった三日月駅です。駅は国道179に接してJA三日月支店のすぐ隣。駅前には国道に接続する大きなロータリー付きです。下の写真は駅前の国道179で、正面の山の斜面には植栽で作られた三日月マークが見えます。

駅舎と見える寄棟瓦屋根の建物は三日月交流センターの表札がかかる待合室で、屋根には伊達政宗並みの三日月飾りつき。無人駅で自動券売機、改札機は無し、トイレは駅舎内にあります。駅舎の横が駐輪場で約10台分(露天)、その横に駐車場は約15台分。隣のJA駐車場も使えるか?。

ホームは駅舎に接して相対式2面2線で、西栗栖駅側の踏切で接続。対向ホームにも屋根付き待合所が二棟あります。ホーム長は駅舎側(佐用駅へ向かって右側)が全長で178歩、そのうち西栗栖側から69歩までは土台あり、その先は後からの延長部分。対向ホームも69歩のところまでが土台ありで全長157歩。

下の写真2枚はホームから見た西栗栖駅方面。

下の写真は駅舎側ホームから見た佐用駅方面。この先のホームは沿線の住宅と同じ高さで隣り合っていて、ホームから部屋がすぐ近くに見えます。歩数を測っていると家の中の子供から声をかけられます。

三日月さんぽ
 三日月は古来、早くから開けた所で、下本郷からは弥生時代の銅鐸や土器が出土し、新宿では古代から環頭太刀や多くの装飾物、馬具や土器などが出土しています。
 飛鳥時代には新宿に中川駅が置かれ、奈良時代の『播磨国風土記』には中川里と記されて讃容郡の中で最も多くの記事が載せられています。
 中世には大畑の平家伝説、三日月の弓の木伝説、春哉にある国の重要文化財である北条時頼像など数多くの伝説や伝承が残っています。江戸時代中期の元禄十年(1697)に郡内唯一の三日月藩となり一万五千石の城下町として森家九代173年の治世の後に、明治維新を迎えることになります。
 乃井野はその三日月藩の陣屋があったところで、藩邸と家臣の屋敷や藩校の廣業館が立ち並んでいました。三日月は美作街道の宿場町で本陣はじめ問屋、旅宿、店舗が軒を並べていました。

あの「鉢の木」の時頼廻国伝説がここにもあったという話。地名由来は時頼が三か月滞在したとか、播磨国風土記には「水漬け(みかづけ)」だったとか、諸説あるようですが。


おまけ:この駅に停めている自転車はみんな、鍵をつけたままなんですけど、なんで?