tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

このBLOGについて

バイクでローカル線をめぐるという、少し変なブログ。鉄分がほぼゼロなので、鉄道趣味的なものは期待しないでください。やってみると駅探訪になってしまいそうですが、あくまでローカル「道」を走るという事が主眼ですから。

訪問後に記事を順次アップするので、記事日付と訪問日はバラバラですし、データベースとして使用しているので後から情報を追記・修正することもあります。訪問した駅名リストは、カテゴリ「駅名リスト」から参照できます

駅名リストのリスト - tkmov(バイクとローカル線と)

 

水島本線:倉敷市駅 (くらしきし)

(倉敷) - 倉敷市 - (球場前)                   (訪問日: 2022/03/27)

ようやく春らしくなってきた3月末に、晴れの国岡山、水島臨海鉄道 水島本線沿線を走ってみました。(短いながら水島「本線」と呼ぶのですね)

まずはJR倉敷駅に隣接する倉敷市駅です。倉敷駅の南口から出て西側に行くと駐輪場の建屋の1階が倉敷市駅になっています。車で入るにはちょっと奥まっていて入りにくいですね。徒歩だとペデストリアンデッキから駐輪場経由で入れるようですが、よくわからないので地上の正面入り口から訪問。

ついでにJR倉敷駅から見た倉敷市駅Wikipediaだと4階建てと書いてあるけど、外から見る限り3階建てにしか見えない。

駅舎内には窓口1カ所と自動券売機が2台、改札は列車入線の都度、駅員が出てきます。下写真の左側には待合室とベンチ、飲料自販機とかがあります。たしかトイレもあったと思います。

駅舎内には物販ポスター多数。他のローカル私鉄との提携が盛んなようで、北条鉄道鹿島臨海鉄道との提携ポスターがたくさん貼ってあります。特に臨海つながりなのか、鹿島臨海鉄道のポスターは多い。こんなところでガルパンのポスターに出会うとは思いませんでしたよ。なにかグッズを買えばよかったと後悔はありますが、でも販売している様子ではなかったんですよね。

ホームは1面1線で116歩。写真は折り返しの倉敷市駅行きが入線するところで、日曜でも定員に近い乗客があります。

下はホーム端からみた倉敷市駅、左がJR倉敷駅のホーム。





山陽本線:西阿知駅 (にしあち)

(倉敷) - 西阿知 - (新倉敷)                    (訪問日: 2022/03/27)

水島臨海鉄道に行くついでに、近くの西阿知駅にも寄ってきました。球場前駅から線路を北側に渡って、県道-倉敷笠岡線の旧道を通ってみると、早島のあたりの干拓地でみた集合墓地が所々にあります。西阿知は明治期は高梁川の中州だったので、ここも干拓地と同じような様式だったのが、その後の住宅地化で家に囲まれる様になったのかと想像します。(それとも、私の地元にこういうのが無いだけで、集合墓所っていのが普遍的なの?)

で、この県道の旧道が途中から昔通りの細道になってしまうのですが、地元の人は気にせずどんどん進入してきて、さすが慣れているんだ、と思いきや、全然離合がうまくない。苦手な人はすぐ横の新道を通ってくれれば良いのに。

西阿知駅は木造平屋瓦葺の無人駅。駅前広場には駐車場10台分とタクシー枠数台、駐輪場は駅舎左手に約20台分(露天)。食堂、売店は無し。トイレは駅舎右に1棟ですが、利用はホーム側からしかできません。

駅舎右手の公園には線路反対側への地下道(人道)もあります。

駅舎内は窓口閉鎖されており、自動券売機(ICOCA対応)とみどりの券売機を設置。改札は扉式。飲料自販機もあり。

ところでホームに入るのに入場券を買ったのですが途中でなくしてしまい、インターフォンで問い合わせると、車椅子用の改札扉を押して入ってくれ、との事。この改札バーは押せば開くことを初めて知りました。そういえば、実際に車椅子の人はそうしないと無人駅で出入りできないですよね。駅舎からホームへは地下道で連絡しているのと、左手にエレベータ付き跨線橋があります(ただし階段はなし)。

ホームは島式1面2線、更にその両側に側線有り。ホーム両端はフェンスで仕切られている所は倉敷駅と同じ。フェンス内のホーム長は279歩で、フェンスの外側は約50~60歩で、全長も本線仕様としては普通です。下の写真はホームから見た倉敷方面と、福山方面。ホーム上には待合室が一棟。

跨線橋から見た岡山方面と福山方面。

 

 

おまけ:駅前にある和洋組み合わせたお屋敷、洋館部分は古風なタイル張りです。看板によると何かの会社か協会の倉庫との事ですが、大きな庭もあるお屋敷の様で、昔の商家なのですかね。




呉線:安浦駅 (やすうら)

(風早) - 安浦 - (安登)                    (訪問日: 2020/10/30)

安登駅から三原方面へR158で移動。途中、国道は安浦市街地をバイパスで通過してしまうので、野呂川を越えて呉線沿いの旧道に戻ったところで少し呉側に戻って、安浦中学前交差点を曲がって安浦駅に着きます。

下はもう少し呉側に戻って見た時の市街地。旧国道はこういう港町風の街路を縫って走っています。
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旧国道から少し入った所にある安浦駅。木造平屋瓦葺きで割と広めの車寄せがあり、駅前広場にはタクシー枠が2台分、駅舎左手の跨線橋付近にバス停と駐車スペースが数台分と、駐輪場なのかどうか良くわからないけど、駐輪自転車が十数台。駐車場と言えば、下写真の右手後ろ方向にある喫茶店用の駐車枠が10台ある方が目立ちます。トイレは車寄せの裏側にあります。
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駅舎内は自動券売機(ICOCA対応)が1台とタッチ式改札機を設置、有人駅ですが、窓口業務は11:00~14:00の間は閉鎖で、土日は営業してません。

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駅舎改札は単式ホーム(たぶん3番線)に出ます。ホームは単式1面1線+島式1面2線で島式ホームへは跨線橋で連絡、ホーム長は2番ホームで338歩、3番とは33歩くらいずらした千鳥配置。

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下は2番ホームから見た三原方面。
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下は3番ホームから見た呉方面。ここに見える跨線橋は線路の両側の側道を繋げる歩道橋です。
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下は跨線橋から見た三原方面と呉方面の風景。
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建物財産票は駅舎では確認できず、トイレと通信配線室のみ。

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呉線:安登駅 (あと)

(安浦) - 安登 - (安芸川尻)                  (訪問日: 2021/10/30)

昨年の秋、呉線沿線を走った時の記録です。

安芸川尻駅から東進して川尻市街を抜け、出し抜けに表れる神田造船のクレーン群を横目に小さな峠を過ぎると、安登の集落と安登駅があります。

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下はR185をはさんで駅と反対側にある旧道からみた安登駅付近。この真ん中の、国道から駅までの道は一番短い県道だと、どこかで聞いたような。
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安登駅はコンクリート製平屋の無人駅。何処にでもありそうな、といって同じものを探すとすぐには思いつかない、平凡なのかどうかわからない格好の駅舎(変な感想ですね)。思いつくとすれば信越本線の上下浜駅かな。
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駅前広場にはバス用停車枠が3台分、一時的な駐車なら4~5台分のスペースがあります。駅前雑貨屋は日曜日だからか閉店中、その奥には美容院(駅前店舗の定番)。

駅舎の右手には2階建ての立派な駐輪場があり。立派なのは見かけだけでなく、2階には休憩所と図書館、イベントコーナーまであります。1階の駐輪スペースは柵で区切られていて綺麗に整理されてますが、自動二輪ではかえって取り回しに苦労しそう。というか、ここにバイクを入れてはだめなんでしょうね。

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駅舎には自動券売機(ICOCA対応)とタッチ式改札機、飲料自販機を設置。片方の壁にはかつての窓口跡の様な扉がありますが、あるいは最初から無人駅仕様だったのかも。トイレは駅舎横のホーム側についていて、簡易水洗汲み取り式。
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ホームは2面2線の対面式で、駅舎は登り方面(三原へ向かって左側)に建っています。ホーム間は跨線橋で連絡、対向ホームにも待合所が1棟。ホーム長は344歩で本線並みの長さです。

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下は行違いをする三原行きと(たぶん)広行き列車。ホームが長いせいか、先頭車両を接するように停車するのですね。
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ところで対向ホームの待合所にあったゴミ箱には、11月にゴミ箱撤去の貼紙が。ゴミ箱清掃が巡回業務にそれほど負担になっているのか、それともよほどゴミ捨てマナーがひどいのか。今見る限りは綺麗なものなので、理由は前者なんでしょう。
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呉線:沿線-野呂山

訪問日 (2021/10/24)

昨年秋に安芸川尻駅に行ったついでに、野呂山山頂に行ってたので、その時の写真をアップ。川尻駅横の日本一短いトンネルの上を通って、野呂山公園線(ずっと昔は有料の観光道路でした)を登って山頂へ。

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下は途中の展望台から見た川尻の街と蒲刈、大崎諸島。雲のせいで四国まで見えたかどうかは、はっきりせず。
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野呂山は昔、海山だったせいで山頂が高原上に平らになっていて、山頂からの見通しはあまりよく無く、展望台は歩道を登った先の弘法寺境内とかになります。なので瀬戸内の景色を見るのであれば、途中の展望台から見るのがお薦め。

で、平らな山頂には氷池という池があって、その池畔にあるレストハウス。かつて野呂山で天然氷製造があったというけど、ここの池だったのか?
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レストハウスには野呂山縁起が掲示されていたので、その書き起こしです。
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野呂山年表  川尻町の概要(資料編)

 730(天平2)年 野呂山麓に堂宇を建て禅を修する僧侶がいた。
 812(弘仁3)年 弘法大師空海野呂山に登り参籠した。
1205(元久2)年 野呂山伊音城弘法寺高野山法師が石灯篭一基を奉献した。
1609(慶長14)年 3月21日野呂山弘法寺開帳。当時石仏高さ約1m。世人「靭石」という。
1727(享保12)年 野呂山弘法寺再建。
1753(宝暦3)年 野呂山弘法寺の梵鐘鋳替え、鐘堂庫裡建築(現在の梵鐘銘宝暦4年3月21日)
1798(寛政10)年 野呂山弘法寺再建。
1804(文化元)年 野呂山に猪鹿多く山麓の田畑に被害続出防除のの鹿柴と呼ばれる防壁を築く(内平村)
1819(文政2)年 野呂山中に怪物が現れ和七と新平、三吉、兵四郎など怪物を見て逃げかえる。和七は遂に発病して死ぬ。仁方の人「山笑う」
1828(文政11)年 広島藩野呂山開拓を論じ村民と協議す。
1829(文政12)年 割庄屋宮尾彦次郎(阿賀)佐々木雄平(下黒瀬)の両氏、野呂山開拓の免許を出願し許可される。両氏及び広村庄屋五兵衛、川尻村庄屋小三郎 開拓の御用懸を仰付られる。総面積約334町4反7畝(各村郷原菅田川尻村広村)
1834(天保5)年 野呂山勧農坂の八幡神社が豊作を祈る開拓者たちによって建立される。
1835(天保6)年 野呂山開拓戸数200余戸が凶作と疫病流行のため32戸に減じた。
1851(嘉永4)年 宮尾彦次郎、佐々木雄平の両名野呂山開拓御用懸差免となる。
1860(万延元)年 この頃仁方の俳人、茶人たちが野呂山から茶碗土を採取、陶器と磁器の中間のものを造りはじめた。
1866(慶應)2年 この頃より野呂山開拓再興をはかる。
1871(明治4)年 野呂山開拓不成功におわり後国有林となり植林を行う。弘法寺の仁王門建立 金剛力士像二体を安置。
1883(明治16)年 かんす投げ付近より石地蔵を発掘。新弘法を建立してこれを祭る。
1889(明治22)年 野呂山で天然氷の製造をはじめる。
1902(明治35)年 新弘法寺火災にかかり再建。
1910(明治43)年 野呂山弘法寺堂宇修理鐘堂移築、境内拡張(この費用370余円)
1931(昭和6)年 昭和池の石堤(石碑)
1946(昭和21)年 野呂山に開拓団入植(71戸294人)
1950(昭和25)年 野呂山瀬戸内海国立公園に指定。毎日新聞主催観光百選に野呂山入選。
1951(昭和26)年 野呂山開拓観光道路完成(延長10km)板休み公園に野呂山国立公園記念碑建立(藤田譛陽書)
1952(昭和27)年 野呂山観光ホテル竣工。野呂山氷池~弘法寺間の林間道完成。野呂山を大毎「観光と産業」映画に収録。
1953(昭和28)年 野呂山観光株式会社創立、野呂小唄できる。
1954(昭和29)年 中国新聞主催観光コンクールに野呂山第二位入選。
1956(昭和31)年 観光協会再発足。野呂観光株式会社を町が経営。
1961(昭和36)年 野呂山開拓団に電話開通、氷池拡張工事。
1962(昭和37)年 川尻小学校野呂分校鉄骨平屋建落成。野呂山道の一部約497m舗装完了。野呂山に電灯つく能か38ほか5戸。
1963(昭和38)年 野呂山開発陳情書を池田総理に手渡す 7月永野県知事一行野呂山視察。10月国立公園野呂山山系スカイライン期成同盟会が発足。野呂神社を現在地へ。
1964(昭和39)年 中國電話局野呂山上に無線中継所建設。
1965(昭和40)年 鉢巻山に桜苗木千本梅百本植樹。鈴木厚相宮沢国務小山建設各相および川野参議ら一行野呂山視察。
1968(昭和43)年 七月県営野呂山有料道路開通。野呂山簡易水道施設完成。野呂山レストハウス落成。国民宿舎野呂高原ロッジ落成。
1969(昭和44)年 野呂山セントラルロッジ着工。広島県植樹祭が野呂山上で盛大に挙行。常陸宮同妃両殿下レストハウスにて朝食を取られる。
1970(昭和45)年 野呂山スカイライン入口に信号機設置。野呂山山開き、野営場の完成を兼ね実施。野呂分校廃校となり生徒10名は呉市と安浦町へ転校。
1980(昭和55)年 2月野呂山大火38時間後に鎮火104haを焼く。7月野呂山頂ロッジ横にテニスコート4面完成。
1983(昭和58)年 4月野呂山さざなみスカイライン無料化
1984(昭和59)年 6月筆づくり資料館完成。
1985(昭和60)年 4月筆づくり資料館オープン。
1989(平成元)年 4月野呂山かぶと岩展望園地に新しい展望台完成。
1993(平成5)年 3月岩海遊歩道星降る展望台完成。