tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

姫新線:勝間田駅 (かつまだ)

(林野) - 勝間田 - (西勝間田)                      訪問日: 2023/04/30

西勝間田駅から出雲街道=R179で東進して、勝央町の中心の勝間田駅です。途中で旧道に入ってみると写真のような石畳の宿場町風の街路でした。

勝間田駅は国道179沿い、駅前広場を備える新しい駅です。駅前広場にはバス停、タクシー枠があり、自家用車用は約10台、そのうち半分が障碍者優先枠。駐輪場は駅舎右手に屋根付きで約40台分です。

駅舎は美作七宿をかたどって門型フレームを並べているそうですが、坪井、勝間田、土井の三つは一つに繋がって駅舎になっているので、ちょっと分かりにくい。それに、勝間田と坪井の間にある津山は城下町だから七宿に入らない、という事でしょうか。

駅舎の真ん中がホームへのコンコース、左がトイレ、右側の約1/3が待合室兼券売窓口です。この窓口は旅行代理店になっているので、たぶん券売は委託業務と思いますが、訪問時には窓口不在で開設時間の表示もなし。自動券売機、改札機はなし。売店、食堂は無いですが、駅前の国道や出雲街道筋に行けば何かしら店舗はありそうかな。

駅舎は内装に木をふんだんに使っていて、2021年築なのでまだ木の香りのする新しさ。

ところで待合室とかホームへの案内に、やたらと金太郎が出てくると思ったら、源頼光一行が征西途上に坂田金時が病没したのが、ここの勝田荘だったとの事。ただ勝間田町誌(T14)とかには言い伝えとして書かれてましたが、その他の文献は見つけられず、本当に伝承だけなのかもしれません。

 

駅舎から出た所がホームで相対式2面2線。駅舎側が1番線 佐用方面で156歩、対向が2番線 津山方面で120歩で、73歩分ずれた千鳥配置です。2番線へは佐用側にある構内踏切を使います。下写真は、駅舎側(1番)ホーム端から見た津山方面、反対端から見た佐用方面、構内踏切、2番線の待合室です。

 

  

出雲街道と勝間田宿(美作七宿)
 出雲街道は出雲往来ともよばれ、古くから播磨国姫路(兵庫県姫路市)から出雲国松江(島根県松江市)を結ぶ道として使われ、江戸時代に入り、出雲松江藩や美作勝山藩・津山藩などの諸大名が江戸への参勤交代の交通路とするため、出雲街道が本格的に整備されました。
 勝間田は参勤交代の宿場町として整備され、美作七宿(土井宿、『勝間田宿』・坪井宿・久世宿・美甘宿・新庄宿)のひとつとして発展し、江戸時代後期には多くの商家が集り、にぎわいを見せていました。

 この建物は、「出雲街道と勝間田宿(美作七宿)」をモチーフにデザインしており、連続して配置している門型のフレームを美作七宿に見立てています。

 勝間田宿は美作七宿の中で、姫路方から数えて二つ目の宿場町であることから、駅機能を持つコンコースが勝間田宿の位置になります。