tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

日豊本線:下ノ江駅 (したのえ)

(佐志生) - 下ノ江 - (熊崎)               (訪問日: 2025/11/23)

昨年の秋、佐賀関・関埼灯台からの帰りに立ち寄った、下ノ江駅の様子です。佐志生駅からは日豊本線に沿った山道を西進、途中踏切をわたり国道217バイパスの下をくぐって下ノ江の集落に近づいたところでもう一度踏切を渡ると、すぐ向こうに駅が見えます。

駅まで踏切の向こうの道から行けるなと思ったところ、路肩崩落のため通行止め。しようがないので駅の佐伯側の踏切に回って県道の方から下ノ江駅に入りました。

下ノ江駅は古い木造駅舎が残る無人駅。駅舎左手の信号中継室前が駐輪場らしく約10台分のスペースがあり、更に左手奥に月極駐車場が約20台分あります。トイレは駅舎右手に少し新しいものが別棟です。周囲は田畑と民家が点在し県道付近に郵便局など少し店舗がありますがちょっと歩ける範囲は難しいか。

駅舎には飲料自販機や電話ボックスがあり。券売窓口は閉鎖されていて駅事務所も空っぽで自動券売機はホーム上に設置されています。タッチ式改札機はなし。待合所天井には昔のストーブ煙突の貫通穴が残っていたり、古い碍子配線が使われていたりと、建物財産標はないですが大正年間の開業時の駅舎のようです。

ホームは島式1面2線で駅舎からは跨線橋から連絡しており、その他に駅舎側に引込線が1線と車庫があります。跨線橋は現在補修中。

下は跨線橋から見た佐伯方面、次が多い多方面の様子。

ホームに番線は書いてなかったのですが、大分からみて右側=駅舎と反対側が上り大分方面用ホーム、駅舎側が佐伯方面用ホームです。下の写真は上りホームからみた佐伯方面のホーム全景、次は大分方面のホーム全景です。

こちらはホーム端からみた佐伯方面の様子。

ホーム上には待合室が1棟で中には自動券売機(現金用)が設置されています。跨線橋を補修したり、券売機がホーム上にあったりして、もしや駅舎を取り壊す準備なのか?、とちょっと疑ってしまいます。

おまけ:引込線に待機中のMC。これはどういう作業車なんだろう。

おまけ2:駅舎前に稲荷神社がありますが、駅建設時の狐の祟を鎮守するものとのこと。こういうのは明治の鉄道草創期の話と思っていましたが、昭和5年のことで意外と新しいのですね(とはいえもう100年近く経ってはいるが)。

下ノ江鳥越稲荷大明神縁起
大正の始め当地に鉄道建設工事が着手され鳥越の山岳を掘ることとなったので請負人が、山狐の巣屈に出向いて立退き方を哀願した後工事に入ったのですが、不慮の災厄が続出して死傷事故が相次ぎ発生したので、作業員は恐れをなして日毎に減少し、工事中断の事態となってしまいました。関係者は驚き、近くの原野に稲荷大明神を奉祀したところ、災害はたちまち止まり作業員も次々復帰し、工事も進捗して大正四年八月十五日、下ノ江駅が開業できました。ところが、開業後は祭祀をする人もなかったので、稲荷大明神のホコラは荒廃して、山狐は再び悪事をはたらきだして災害は増加してゆきました。工事の際に構築されてた下ノ江駅構内と、近辺の人家でそれらを呪うように深夜怪火が飛びかい妖魔出没して、駅員および付近住民の災厄が頻発し、旅客公衆の死傷事故も相次ぎ変死病没と思われるものが21名にもおよびました。当時の武田一郎駅長は、深く心をいためいたり神社を奉祀することによって必ず災厄がなくなることを信じ、駅前空地に高さ六尺余りの石台を建て、昭和五年十一月三日の佳節を期し盛大な開眼の式を挙行、あわせて犠牲者に対しても供養を行いました。その日以後災厄は全然あとをたって関係者の健康も回復しました。それ以後毎年十一月三日に祭典を行い、今日に至っております。
     下ノ江鳥越稲荷世話人

 

ちょうど訪問日の頃にやっていた食文化祭のポスターが貼ってありました。