昨日の可部線廃線跡探索の続き、小河内駅からです。(今井田駅から布駅まではこちら)
ところで、可部線廃線後の移ろいを記録しておられたブログがありまして。今回の可部線跡探索の参考にさせていただきました。
可部線廃線跡を訪ねる その1 60歳からの「JR全線普通列車の旅」/ウェブリブログ
(私も微力ながら、この世界の在り様を遺して、人の役に立てますように)
小河内駅 (訪問日: 2018/05/20)
線路と太田川に挟まれていた国道191をかさ上げするために、可部線跡と小河内駅を仮設道路に使ったそうで、いまは更地の草叢の中に、かつてのホームと桜がひっそりと取り残されています。周辺は河川改良工事の影響もあって、ホーム前後の線路跡は確認できませんでした。
今日は天気も良い日曜日、太田川沿いの国道、県道には多くのライダーが湧くように現れてきてました。
安野駅 (訪問日: 2018/05/20)
小河内から安野へ向かう途中、国道191号が可部線をくぐる交差部。大型車同士の離合は少しつらいので、そのうち線路路盤を切り開いて国道を拡幅するかも。左端の拡幅工事はその前哨戦?
安野駅は太田川が大きく蛇行した突出部にあるので、国道のバイパストンネルは通らずに、左の旧道で安野集落に入ってゆきます。
吉野集落に入ってゆく可部線の鉄橋。2009年の写真に比べて橋梁前後の路盤部分の林化が激しく、階段で線路面に入ってみましたが完全に藪。鉄橋をのぞんだ写真を撮ろうとしましたが、カメラを構えることもできませんでした。
太田川蛇行部の先端にある平野部にある安野駅、駅舎がそのまま残っています。廃線後に「花の駅」として花畑を整備しているようで、奥の駐車場は観光バスの基地になっています。駅舎横にはトイレ、駅前にはバス停が整備されています。
安野駅は可部線で唯一、国道・主要道から離れて奥まった集落(船場)にあるので、そういうのが保存運動をする地域のまとまりにつながっているのでしょうか。
かつては猫付の駅だったとの事ですが、駅舎まわりをウロウロしてみましたが、猫駅長には会いませんでした。
ホームにはキハ58が静態保存され、駅名票も保存されています。
水内駅 (訪問日: 2018/05/20)
安野駅を出た線路は一旦、太田川右岸に渡ってから水内駅の手前でもう一度左岸に戻ってきます。今でも鉄橋が国道191号からよく見えます。写真では分からないですが、人が向こう岸に向かって歩いていたように見えます。本当は閉鎖されているんでしょうけど、こういう開けたところだと灌木も無くて入れるのかも。
左岸に戻って来た線路が国道と交差するところ。小河内駅(跡)を過ぎたところの交差部分でも拡幅らしい工事をしていましたが、ここも盛土の上に重機が居て、盛土ごと撤去しそうな感じです。
国道191号から少し山側に入った所にある水内駅跡は水内駅公園になっています。ホームの一部と待合所の屋根がのこり、線路は残っているものの芝生で埋められてます。
坪野駅 (訪問日: 2018/05/20)
水内駅から約1キロ、隣の集落にある坪野駅跡は、線路も路盤もホームも撤去済で立派な道路になっていました。下の写真は可部方向の景色。トランザルプを停めているスペースは昔は駅前広場だったのか?
加計方面に進むと、元の線路は盛土と鉄橋で国道と太田川を跨線していたのですが、道路となった今は国道手前で折れ曲がって国道に合流。
国道への合流手前のカーブの所を真っ直ぐ上ると元の線路盛土上にでます。草刈されているのか灌木もなく鉄橋を通れば対岸まで渡れそう。そう思う人がいるから閉鎖されているんでしょうけどね。
で、線路跡の道路の終点横には、国鉄2万キロの碑。道路工事で一時退避していたそうですが、今は綺麗に戻されています。(元の設置場所を知らないので想像ですけど) 国鉄の重要な記念碑が、こういう廃線跡にひっそりと残っているのは不思議な感じがします。
国鉄2万キロ記念碑
国鉄の線路延長が2万キロに達した地点であることを記念して、昭和29年(1954)3月、可部線新鮮開業の日に国鉄下関工事事務所の手で建てられた。国鉄2万キロ標
昭和29年(1954)3月、可部線の布~加計間が開通。
明治5年(1872)に新橋~横浜間29キロを開業して以来、国鉄の総延長が丁度、この地点で2万キロに達したことを記念したものである。