tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

只見線:会津宮下駅 (あいづみやした)

(会津西方) - 会津宮下 - (早戸)                    (訪問日: 2018/10/14)

早戸駅あたりまで、只見川・只見線・国道252(沼田街道)がワンセットで並走してきましたが、沼沢沼脇の隘路を過ぎて会津宮下駅までくると、周りの段丘上にも田畑・人家が出てきます。それにしたがって、ここから先は只見線と国道252、只見川が交わりながらバラけ始める、そういう入口にあるのが三島町阿賀野川の野沢への街道分岐点なので昔からの宿場町と言う風情です。

宮下ダム下流で渡河して旧街道に入って、大きな土産物店の角を曲がれば、突き当りに会津宮下駅があります。

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会津宮下駅は木造平屋トタン屋根で車寄せの梁が花弁状の飾りになった洒落たデザインの駅です。Wikipediaの2006年の写真には屋根の上に看板枠の様な安全索がついていますが、今は軒瓦に沿った手摺状で、結構手を入れて換えているんですね。(って、本当に何かの看板枠だったんだろうか)。駅前広場に5~6台程度は駐車可、駐輪場は屋根付きで15台分です。

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有人駅で券売機、改札機は無く、入場券も含めて出札口で購入です。構内に食堂・売店は無いけど駅前の街道筋には食堂、旅館などあり。トイレは確か待合室横にあり(ちょっと記憶があいまいです)
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ホームは相対式で2面2線、対向ホームの向こう側に側線がいくつかありますが、下草に覆われていて使用しているのかどうかは少々疑問。駅舎側のホーム長は124歩、対向ホームが105歩。駅名標は新旧取り混ぜて4種類設置してあります。

下の写真は駅舎側ホームから見た会津柳津方面。
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こちらは対向ホームから見た只見方向。こちらのホームへは構内踏切を渡りますが、こういうホームの真ん中から降りる形の踏切りは、かなり少なくなったと思います。
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 こちらは柳津方向にある車庫。この右端には転車台があったらしいのですが、すでに草むらの中に埋もれてます。
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対向ホーム上の待合所
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で、こちらは側線の向こうの林の中に飲み込まれそうな、何かの点検台?
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4種類の駅名標。設置場所は順に、対向ホーム上、駅舎軒下、対向ホームの待合所、駅舎側ホーム上。
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建物財産標は駅舎横の倉庫のもの。その次のは待合所に打ち付けてあった金属板だけど、塗装のはげた銘板かも。
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駅舎にかけてあった駅名由来の説明板

会津宮下駅の駅名由来

宮下地区は古くからの交通の要衝で、東に大谷宿へ向かう銀山街道が続き、只見川を舟で渡ると名入村、そして野沢宿(現西会津町)へと至る道を分岐していました。
室町時代には、横田(現金山町)の山内氏勝氏の領地となり、支族・宮下大膳俊久氏の居館が建てられました。また、「会津正統記」には、山内氏は、伊豆国kら三島神社を勧請し三島明神の祠を建立したとあります。由緒、勧進時期などは未詳ですが、「宮下」という地名は、宮下大膳の居館があったことと、三島神社の拝殿下に集落が形成されていったことに由来すると言われています。
昭和三十年(1955)、宮下村と西方村が合併した際、新しい村の名前は、三島神社にちなんで「三島村(六年後町制施行)」と名付けられました。

この地名の由来を受けて、昭和十六年(1941)十月二十八日、只見線が当地まで開通した時、会津宮下駅が開業しました。

◆参考資料◆
平凡社刊「二本歴史地名大系七巻・福島県の地名」
角川書店刊「日本地名大辞典」
■図書刊行会刊「会津大辞典」