tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

播但線:仁豊野駅 (にぶの)

(砥堀) - 仁豊野 - (香呂)                       (訪問日: 2022/07/30)

R312を北上して砥堀IC入口を過ぎると片側1車線となって、仁豊野まで来るとだいぶん構外に来たなと言う印象になります。仁豊野駅は下の写真の先の信号当たり、仁豊野駅前の標識がある辺りを左に入ります。そういえばここは和辻哲郎氏の生家があるらしい。

仁豊野駅は木造平屋瓦葺の有人駅。駅舎前は駐輪場になってますが、Wikipediaの写真(2007年)だとここは植栽になっていますね。駅前広場に駐車場枠4台+タクシー枠2台。訪問時は夕方の通勤、通学時間だったので送迎車が入れ替わりでやって来てました。周辺に店舗・食堂は無し、飲料自販機は駅前広場にあります。

下は駅前広場の様子。隣は明正寺という大きなお寺です。

駐輪場は駅舎右側の跨線橋下に約50台分、駅舎左側奥にも約50台分あります。ただ入口が狭いので、大型二輪にはちょっと停めるのは難しい(入れたとしても、中で方向転換できないかもしれないというのも理由の一つ)。

待合室にはICOCAチャージ可能な券売機と、タッチ式改札機を設置。その代わりというか、有人駅ではありますが、半分くらいの時間は窓口不在です。

ホームは相対式2面2線で、姫路へ向かって左側(東側)が駅舎で1番線、反対が2番線です。ホーム長は2番線で205歩、カーブになっているので、1番線は18歩ほどずれて配置。2番ホームへは跨線橋で連絡で、開放型の待合所が1棟あります。

下は2番ホームから見た和田山方面。次が姫路方面。

こちらは跨線橋から見た和田山方面と姫路方面。

おまけ:2番線に入線する寺前行列車。

 

 

プラットホーム長












 

播但線:砥堀駅 (とほり)

(野里) - 砥堀 - (仁豊野)                       (訪問日: 2022/07/30)

野里駅からはR372に戻って北上、もう一度線路まで脇道に入って砥堀駅です。後で地図を見ると野里駅から線路沿いに走れる道もあったのですが、現場ではこの住宅地を走り抜けられるかどうか不安で、国道経由にしてしまいました。こういうところの現場の勘が鈍っているな、と少々情けない。

R372からは下の写真に写る信号の所を左折し、200m程入った所の踏切脇が駅です。

下が戸堀駅周辺の様子。踏切の向こうには線路に並行する旧道があり、飲食店が数件。その向こうの大きな建屋はグローブ会社のR&Dセンター。駅に駐車場はなく、右に見えるのは契約車専用。駐輪場はありますが自転車しか入らないので、やむを得ずバイクは路肩駐車(なるべく歩行者の邪魔をしないように側溝の上に停めたので許してほしい)。

砥堀駅は相対式ホーム2面2線、各ホームに待合室を置いた無人駅。ホームへは駅南側( 姫路側)の踏切横から直接入ります。

駐輪場は西側(和田山に向かって左側)に50台分くらいありますが、自動二輪車には無理。原付も停まってなかったです。

ホームは和田山に向かって左が1番線、右が2番線(この配置は前後の野里駅仁豊野駅とは逆)。1番線待合所には自動券売機とトイレを設置。タッチ式改札機は両方のホームにあり。

ホーム長は157歩。下は1番ホームから見た和田山方向。その次が姫路方向の様子。2番ホーム側が一線スルーになっています。

で、姫路行きの上り列車は右側の1番ホームに停車で、右側通行になるのも前後の駅とは逆。別に通過列車待ちではなかったと思うけど。







播但線:野里駅 (のざと)

(京口) - 野里 - (砥堀)                        (訪問日: 2022/07/30)

梅雨が明けても雨がなかなか降り止まない7月の末、雨雲の隙間を縫って播磨から但馬にかけて走って来たので、その記録です。まずは播但線のうち飾磨郡の北端にある野里駅です。*1

かつては馬車道は走っていたらしいR312を走って野里駅へ。姫路からこのあたりまで播但線は高架線。今の野里駅はここからもう少し北ですが、地上線の頃は国道と接近しているこのあたりに駅があったらしいですね。

国道から西へ姫路駐屯地方面に脇道に入った先が駅になります。

野里駅、高架駅ですが駅事務所、改札は高架下の地上にある有人駅。自動券売機、タッチ式改札機設置、トイレは改札内です。駅前ロータリーの駐車枠はタクシー用で、一般車は高架下の有料駐車場になるみたい。もっとも送迎用で立ち寄る車は何台か見ましたが。駐輪場は確認できず。周囲は住宅街、商店街でこの先にイオンもあるので店舗・食堂には困らないと思う。

土曜の夕方、駅は1名勤務の様で諸業務で忙しく、列車発着時刻を外してやってくるライダーの改札までは手が回らない様子でした。

ホームは高架上の島式1面2線、和田山方向で見て右側が1番線(姫路方面)、左が2番線(和田山方面)。

ホームの両端は柵で仕切ってあって、柵内が158歩、柵外は目測で各々30歩くらい。下の写真はホームから見た姫路方面、その次が和田山方面。

分岐はY字分岐ですが、カーブに駅があるせいか、ちょっと蛇行するようなレール。これなら一線スルーが出来たんじゃないかな。(ま、となりの砥堀駅のホーム配置と言い、素人に分からない運用方針があるんだと思いますが)

 



*1:明治21年頃の地図だと郡部に入っていますが、鉄道が引かれたときはもう姫路市内だったかも

嵯峨野観光線 駅名

嵯峨野観光鉄道 嵯峨野観光線の駅名リスト

(山陰本線:嵯峨嵐山)

 - (トロッコ嵯峨) - トロッコ嵐山 - トロッコ保津峡 - トロッコ亀岡

 

 

嵯峨野観光線のその他の記事

 

 

駅名標

- トロッコ嵐山 - トロッコ保津峡 - トロッコ亀岡

 

播但線 駅名

播但線の駅名リスト

(山陽本線:姫路)

 - 京口 - (野里) - (砥堀) - (仁豊野) - (香呂)
 - (溝口) - (福崎) - (甘地) - 鶴居 - 新野
 - 寺前 - 長谷 - 生野 - 新井 - 青倉
 - (竹田) -

(山陰本線:和田山)

 

播但線のその他の記事

播但線:沿線-竹田城 - tkmov(バイクとローカル線と)

 

 

駅名標

 - 京口 - - - -

 - - - - 鶴居 - 新野
 - 寺前 - 長谷 - 生野 - 新井 - 青倉
 -

 

姫新線:美作土居駅 (みまさかどい)

(上月) - 美作土居 - (美作江見)                         (訪問日: 2022/07/16)

佐用郡から姫新線に沿ってR179を西進して、峠を越えて美作(郡名でいえば英田郡)に入ります。ところでこの峠、かつての出雲街道で国境のはっきりした峠なのに、地図を見ても名前がついていない(明治初期の地図でも北の間道には杉坂峠と名が残っているのに)。姫新線のトンネルが万能トンネルだし、駅前の出雲街道説明図には"万の峠"と書いてあるのでそれが峠の名前なのか。

それにしても新しいバイクだと車載カメラがブレブレなので、ダンパ付き雲台とかジンバルを買おうかな。高いけど。

峠を下って土居の集落に近づくとR179は例によって集落外れをバイパスするので、川を渡って駅の方へ。でも通った道が出雲街道と直行する格好だったので、民家の間の生活道を横切る感じになってしまいました。

美作土居駅は木造平屋スレート葺の無人駅?。もしかしたらタクシー会社の委託業務かもしれないけど、駅を見て回っている間に人の気配はなし。駅舎前の植栽はしばらく手入れしてない様子ですが、JR業務車と軽トラが停めてあるし、出札窓口内は事務用品が並べてあったり、裏にはプロパンボンベが付いたままだったりで、まだ使われている感じはします。

駅前広場に車数台のスペースはあり、駅舎左手の駐輪場(屋根付き)は約5台分。あとパノラマ写真にしか写ってないけど、かつての駅員住宅が雑木林に飲み込まれつつあります。

車寄せの下に飾られているモザイク製の駅名看板。かつてはこれが掛けてあったのかも。

自動券売機、改札機は無し。人の気配はしないけど出札窓口は使われている感じがします。トイレはこの待合室の隣です。

目についたのは木造駅舎には珍しい、コンクリート製の改札口ブース。こういうブースを見たのは、伊里駅と旧大社駅ぐらいですね。

ホームは津山方面に向かって左側に単式で1面1線。ホーム長は170歩で幅は3歩。

佐用側のレールがクランクに曲がっているので、かつては相対式2面だったのだと思います。下の写真の左側の茂みがたぶんホームの跡。

下の写真を撮るために駅の北側に廻るには佐用側の踏切まで大回りになりますが、対向ホームがあったころは構内踏切があったんだろうか。

駅前の出雲街道宿場案内図。この地図で言えば美作土居駅は西の端の西総門跡から北に入った所になります。駅から下ってきたところの交差点に復元された総門が建っています。







姫新線:上月駅 (こうずき)

(佐用) - 上月 - (美作土居)                        (訪問日: 2022/07/16)

出雲街道は佐用から西進すると、千種川から離れて美作へ峠越えしますが、上月はその峠への入口にあたります。R179から佐用川の支流を渡ると上月駅があります。(三日月、上月とこのあたりは月の付いた地名が多い。語源は月とは違うようですが)

上月駅は「ふれあいの里 上月」特産物直売所と併設、というか一部を間借りした形の無人駅。直売所には地産野菜の販売や食堂もあり。駅を見ている間にも、買い物客が入れ替わり立ち代わりやってきます。地元の人だけかと思えば大阪ナンバーもいましたが、よそ者といえば私が一番よそ者か。

駅部分はこの間口二間分だけ、その入口も直売所の野菜や花とかの売り場に占領されそうです。

自動券売機、改札機は設置無し。トイレは下の写真のドアを出て右にあります。

ホームは相対式で2面2線、2番線側が駅舎に隣接しています。(雲のせいでホラー調の写真になってしまった)

下の写真は駅舎側2番線から見た津山方面。

こちらはホーム端から見た佐用方面。写真に撮り忘れましたが、この後ろにホーム連絡用の構内踏切があったはず。対向ホームからは通路が踏切まで伸びています。とはいえ、対向ホームまで遠いなあ。

駅舎側の2番線の外側にあるホーム跡、側線の跡かな。




姫新線:佐用駅 (さよ)

(播磨徳久)(久崎) - 佐用 - (上月)(平福)                          (訪問日: 2022/07/16)

徳久から出雲街道のR179を西進、因幡街道のR373と交差する佐用駅です(鉄道的には姫新線智頭線の乗換駅と言うところでしょうか)。R179は新市街地の広がる佐用川北側を通りますが、姫新線は昔の街道筋の佐用川南側の山沿いにあるので、旧道に沿って古そうな商店街を通って駅に向かいます。下の写真は佐用駅の入口。ところで駐車禁止が偶数日だけというのは、奇数日はこの商店街はお休みという事?

佐用駅姫新線智頭線共用の有人駅。写真に見えるのは駅舎というより待合室で、出札窓口とかはホームの盛土下の半地下にあります。こちら側の駅前にはタクシー乗場が5台分で、右の方のスペースを一般乗降用に使っています。駐輪場は待合室右側に約20台分ありますが、写真のような入口なので大型二輪の駐輪は無理。停めるとすれば駅の裏側(南側)の駐車場を使うしかありません。(といいつつ今回は歩道に停めましたけど)

下は駅裏にある駐車場で約20台分。ここへは駅の西側のアンダーパスを通って入れます。

待合室はコンクリート打ちっ放しですが天窓のおかげで明るい雰囲気。写真では無人ですが、土曜日とはいえ列車到着時には通学生で一杯になります。トイレはこの待合室の隣です。

下の写真の扉の向こうが駅事務所とホームにつながる地下道です。

出札窓口、駅事務所はホームへの地下道にあります。自動券売機設置(写真にはJRのしか映ってませんが、たしか智頭急行のもあったと思う)、自動改札機は無し。ホームは智頭線が手前、JR姫新線が奥になります。窓口はJRのものだと思いますが、駅員は智頭線の乗客の案内もしていたので、両方の路線の対応をしている様子。

下の写真は智頭線に入線してきた上郡行き列車。実はこれに乗ろうとするご老人が階段を登るのに苦労しているので、駅員が対応して列車に待ってもらっているところ (ま、時間内に間に合ってたのかもしれませんが)。上郡駅とか智頭駅とかは窓口も改札もJRと智頭急行では別々の対応になっているのと比べると、かなり融通の効いた対応をしてもらっているようです。

ホームは盛土上で島式2面4線。JR姫新線が南側、智頭急行智頭線が北側のホームを使ってます。ホーム長は姫新線が150歩、智頭線が188歩で70歩の千鳥配置。ホームは割と幅広で6歩(約4m)です。

下は姫新線ホームの南側(山側)で1番線、その外側には側線あり。その次はホーム2番線から見た上月駅方面。姫新線の方は通学学生が多く、智頭線はシルバー世代が多い印象。

こちらは智頭線ホーム、北側(上郡に向かって右側)が1番線(なぜか姫新線とは番線の順番が逆です)。その下の写真はホームの上郡駅側の端からみたホーム全景。

下は智頭線ホームの端から見た上郡方面。右側の智頭線は南(つまり左手)の久崎駅へ、姫新線は西(つまり右手)の上月駅へ行くので、この先で立体交差することになります。

おまけ:レール探傷車と入線してきたスーパーはくと

町名が「さよう」なので駅名も同じだと思ってましたが、駅名は古い「さよ」のままだというのを、今回初めて知りました。



姫新線:三日月駅 (みかづき)

(西栗栖) - 三日月 - (播磨徳久)                           (訪問日: 2022/07/16)

西栗栖駅から西へ、出雲街道の宿場町、三日月藩城下町でもあった三日月駅です。駅は国道179に接してJA三日月支店のすぐ隣。駅前には国道に接続する大きなロータリー付きです。下の写真は駅前の国道179で、正面の山の斜面には植栽で作られた三日月マークが見えます。

駅舎と見える寄棟瓦屋根の建物は三日月交流センターの表札がかかる待合室で、屋根には伊達政宗並みの三日月飾りつき。無人駅で自動券売機、改札機は無し、トイレは駅舎内にあります。駅舎の横が駐輪場で約10台分(露天)、その横に駐車場は約15台分。隣のJA駐車場も使えるか?。

ホームは駅舎に接して相対式2面2線で、西栗栖駅側の踏切で接続。対向ホームにも屋根付き待合所が二棟あります。ホーム長は駅舎側(佐用駅へ向かって右側)が全長で178歩、そのうち西栗栖側から69歩までは土台あり、その先は後からの延長部分。対向ホームも69歩のところまでが土台ありで全長157歩。

下の写真2枚はホームから見た西栗栖駅方面。

下の写真は駅舎側ホームから見た佐用駅方面。この先のホームは沿線の住宅と同じ高さで隣り合っていて、ホームから部屋がすぐ近くに見えます。歩数を測っていると家の中の子供から声をかけられます。

三日月さんぽ
 三日月は古来、早くから開けた所で、下本郷からは弥生時代の銅鐸や土器が出土し、新宿では古代から環頭太刀や多くの装飾物、馬具や土器などが出土しています。
 飛鳥時代には新宿に中川駅が置かれ、奈良時代の『播磨国風土記』には中川里と記されて讃容郡の中で最も多くの記事が載せられています。
 中世には大畑の平家伝説、三日月の弓の木伝説、春哉にある国の重要文化財である北条時頼像など数多くの伝説や伝承が残っています。江戸時代中期の元禄十年(1697)に郡内唯一の三日月藩となり一万五千石の城下町として森家九代173年の治世の後に、明治維新を迎えることになります。
 乃井野はその三日月藩の陣屋があったところで、藩邸と家臣の屋敷や藩校の廣業館が立ち並んでいました。三日月は美作街道の宿場町で本陣はじめ問屋、旅宿、店舗が軒を並べていました。

あの「鉢の木」の時頼廻国伝説がここにもあったという話。地名由来は時頼が三か月滞在したとか、播磨国風土記には「水漬け(みかづけ)」だったとか、諸説あるようですが。


おまけ:この駅に停めている自転車はみんな、鍵をつけたままなんですけど、なんで?



姫新線:西栗栖駅 (にしくりす)

(千本) - 西栗栖 - (三日月)                          (訪問日: 2022/07/16)

千本駅から国道179で西進、西栗栖の集落で旧道にわかれて西栗栖駅に到着です。下の写真は駅から西栗栖小へ向かう旧道の様子。

西栗栖駅はガラス張りの駅舎、というか待合所が1棟の無人駅、Wikiによるとごく最近、2020年に木造駅から建替えられたそうです。駅舎前には駅開業50周年記念碑、建立が昭和60年なので木造駅舎の頃からあるかと思うと、今の駅舎を見て何を思うのだろう。トイレは右手に別棟で設置、駅舎左手の坂の上に駐車場が6~7台、駐輪場は約20台分(露天)。周囲に店舗は無いけど、駅前のお洒落な家には"piano class"と書いてあるところを見ると、ピアノ教室?

駅舎には自動券売機、改札機は無し。ホームへは階段で上がります。

ホームは相対式2面2線で、三日月駅側の踏切で連絡。最近改修しただけあって、ホームへは車椅子スロープもついています。ホーム長は駅舎側が全長156歩で、そのうち千本駅側の89歩分は柵で閉鎖されています。駅舎反対側ホームは98歩と少し短め、ホーム幅は2.5歩(170~160cm)で結構狭い。

下はホーム端から見た千本駅方面。その次は三日月駅方面。


ちょっと見慣れないのが階段横にあるホーム下のトンネル。こちらから見ると排水溝にみえるけど、レール面と同じ高さなので何に使っていたか想像がつきません。(次の写真がトンネルを線路側から見たところ)