tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

信越本線 駅名

信越本線は新幹線開通で結構分断されているので、複数の会社の駅を併記しています

(JR信越本線2)
(篠ノ井) - (今井) - (川中島) - (安茂里)

(北しなの線)
(長野) - 北長野 - 三才 - 豊野 - 牟礼
古間 - (黒姫) - 妙高高原 

(妙高はねうまライン)
妙高高原 - 関山 - (二本木) - 新井 - 北新井
(上越妙高) - 南高田 - 高田 - 春日山 

(JR信越本線3)
(直江津) - (黒井) - (犀潟) - (土底浜) - 潟町
(上下浜) - (柿崎) - 米山 - 笠島 - 青海川
鯨波 - (柏崎) - 茨目 - 安田 - (北条)
越後広田 - 長鳥 - 塚山 - 越後岩塚 - 来迎寺
前川 - 宮内 - 南長岡 - 長岡 - 北長岡
押切 - 見附 - 帯織 - 東光寺 - 三条
東三条 - 保内 - 加茂 - 羽生田 - 田上
矢代田 - 古津 - 新津 - さつき野 - 荻川
亀田 - 越後石山 - 上沼垂信号場 - 新潟

 

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その他の記事

信越本線:沿線-トタン屋根 - tkmov(バイクとローカル線と)

信越本線:沿線-柳原神社・御所天満宮 - tkmov(バイクとローカル線と)

信越本線:沿線-善光寺 - tkmov(バイクとローカル線と)

 

姫新線:美作千代駅 (みまさかせんだい)

(院庄) - 美作千代 - (坪井)                  (訪問日: 2017/09/29)

隣りの坪井駅で日没になってしまったので、この美作千代駅では夕暮れの撮影になってしまいました。

久方ぶりの開業時からの木造駅舎に遭遇。無人駅ですが待合室の改札・券売窓口は塞がれておらず、有人駅の頃のままの雰囲気で、木造駅舎100選にも選ばれたとの掲示有り。ただ窓口の向こうの事務室は整理されて、会議室のような設えになっています。(窓口がアルミサッシになっているのは、無人駅になったのが最近なのか、無人になった後に最近補修したのか、どちらだろうか) (ところで、早くに無人化すると滝野駅の様に古風を残したままでレトロ度は高。一方で最近までがんばって有人営業していたなら、ここの様にアルミサッシなどで改修しているのでレトロ度は低。単なる旅人の自分は、利用者の利便性などとは関係なしに駅を見ているなあ、と再認識してしまった)

自動券売機、飲料自販機の類は無し。トイレは駅舎右手に新しいのがあり。駅前ロータリーに送迎用なら2~3台程度駐車可、駐輪場は屋根付きで約40台分。駅周辺に売店・食堂は無し。(もう少し先の院庄あたりに行けば何かあるかも)

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駅舎横のトイレにあった仙人の里の案内。そもそも今昔物語の話は奈良の久米寺の事なので、これは地名の「久米」に「あやかった」話の様に思えるのですが。

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姫新線:坪井駅 (つぼい)

(美作千代) - 坪井 - (美作追分)                  (訪問日: 2017/09/29)

美作追分から東は、吉井川へ向けての盆地を姫新線中国自動車道と並走して国道181で走る事が出来ます。平日夕方にしては車の流れは順調。

坪井駅は国道181から北に入って鉄工所奥にホームがあります。駅舎は無く2面2線のホーム上に待合所があり、駅前広場からそのまま入れます。自動券売機、飲料自販機、トイレは無し。駅前広場に駐車場7台分、駐輪場は屋根付きで20台分。付近に売店・食堂は無し。国道沿いにも近くには無かったと思います。

下は国道から坪井駅に入った所、駅前広場の奥に待合所が見えます。国道側の待合所は扉付で部屋になっていますが、対向ホームのは開放式。いずれも建物財産標は確認できず。

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対向(上り)ホームから津山方面をのぞむ。右端に保線用か貨物用のホームが見えます。
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ちょうど坪井駅で、下り方向の線路上に落日する太陽。
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姫新線:美作追分駅 (みまさかおいわけ)

(坪井) - 美作追分 - (美作落合)                  (訪問日: 2017/09/29)

美作落合から中国自動車道沿いに東進して、旭川水系から吉井川水系に移る所が美作追分で、地形通りの名前です。道路的にいうと、真庭でいったん出雲街道(R181)から分かれた姫新線がもう一度出雲街道に合流するところです。地図を見る限り出雲街道沿いに線路を通せない地形とは思えないですが、やはり落合を通したかったんですかねえ。もう一度この出雲街道を走って確かめたいところです。

美作追分駅は木造平屋でホーム1面1線の無人駅。駅舎というよりも隣の「キリタローの館」と一緒になった公民館のようなものではなかろうか。窓口の奥の事務所は展示館の倉庫みたいになっているし、待合室のしつらえは、どこかの森林公園の展示室のような雰囲気です。

駅前には駐車スペースもあり10台程度なら駐車可、駐輪場は屋根付き20台分。周囲に食堂・売店は無し。自動券売機、飲料自販機は無く、トイレはあり。

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ところで、落合から追分にかけて「キリタローの住むむら」という看板をよく見たのですが、キリタローが何かはさっぱりわからず。この駅も隣の「キリタローの館」の方が目立っていて、最初は駅を見逃してしまいました。

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姫新線:美作落合駅 (みまさかおちあい)

(美作追分) - 美作落合 - (古見)                (訪問日: 2017/09/29)

トランザルプミーティングに出かけるついでに、途中の姫新線に立ち寄ってみました。

美作落合は名前からして、山陰山陽連絡路の旭川と、両備(備中備後)連絡路の備中川の合流点ですが、現代では姫新線中国自動車道の合流点という事になります。そういう意味では、中国自動車道で東に向かう途中の立ち寄り先が美作落合になるのは、必然とも思えます。

実際、美作駅は美作ICのすぐ近くで、ICから南へ約300mの旭川屈曲点で古いトラス鉄橋を渡ると旧街道を通って美作落合駅に着きます。でも落合の中心地は旭川の右岸(西側)なので、旧街道と言っても静かな通りですけど。

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駅前広場から見た商店街(?)
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美作落合駅は木造平屋トタン葺、築造は最近らしく(Wikipediaによれば2005年)、待合室の上には時計塔、南向き屋根には太陽光パネルが付いたちょっとしゃれたデザイン(この外観は因美線 美作加茂駅とちょっと似てます。あちらは瓦葺で車寄せ付ですが)。有人駅ですが訪問時は営業時間外で窓口は閉鎖ですが、職員の気配はあり。自動券売機は無し、トイレは外向きに設置。平日夕方のせいか学生の利用多数。駅前広場や旧道沿いに食堂、売店もあり。駐車場は駅舎左手に約15台分、駐輪場は屋根付き40~50台分。駅前の県道は落合集落から津山方面へ行くR181へのショートカットになっているので、結構交通量があります。

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下の建物財産標は対向ホーム上の待合所のもので、アルミ製らしき金属製に白色塗装。駅舎では未確認。

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山陽本線:西高屋駅 (にしたかや)

(白市) - 西高屋 - (西条)                  (訪問日: 2017/09/10)

西高屋駅のある東広島市高屋町は西条盆地の北東端、盆地中央の西条川流域から東側に抜ける沼田川流域の境目で、平坦な分水嶺にあたります。山陽本線の周辺も田んぼと近年増えた住宅地が広がります。で、そこから北の三次に抜ける街道との分かれ道が西高屋の集落で駅もそこにあります。

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これは西高屋駅前の交差点、正面が三次への道。
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西高屋駅は木造平屋瓦葺で、セブンイレブン併設(待合室にも飲料自販機有り)。有人駅ですが窓口は6:00~11:20,15:00~20:00です。自動券売機(ICOCA対応)、自動改札機(扉式)を設置。トイレは駅舎左手でホームにはありません。駐車場は駅前スペースに送迎用が約10台くらい、駐輪場は南側に約50台くらい。(ちなみに下の写真は北側)

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ホームから三原方面の景色
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左の建物財産標は対面ホーム上の待合所(大正15年9月)、右側は同じく通信配線室(昭和40年9月)のもの。駅舎では確認できず。

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山陽本線:西広島駅 (にしひろしま)

(横川) - 西広島 - (新井口)                  (訪問日: 2017/09/03)

ブログ題名のように「ローカル線」を巡るという意味では、街中の西広島駅は対象外なのですが、ちょっと近くに寄ったついでの訪問。広島市街を東西に走る平和大通り太田川放水路を渡って、西の己斐の山に突き当たった所が西広島駅です。(昔はこのあたりの地名から己斐駅と呼んでいたと思います) 広電の路面電車もここから市内線から宮島線に変わって、宮島まで山陽本線と並走することになります。

下はJR西広島駅前ロータリーに入るひとつ前の交差点で、奥に駅舎が見えます。手前を横切るのは路面電車の軌道で、左側に行くと広電西広島駅
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下は交差点の先の路面電車軌道と、その先の広電西広島駅のホーム。ホームと軌道が同じ高さだし、駅全体を屋根が覆っているので、少しヨーロッパのターミナルのような雰囲気。*1
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で、こちらがJR西広島駅(東口)。有人駅で自動券売機(ICOCA対応)、自動改札口(扉式)設置。改札口横に食堂、コンビニ、ロータリー周囲にも店舗多数。駅舎左側には市営駐輪場で自動二輪は200円/日です。駅舎に建物財産標は確認できす。

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ホームから横川方向の景色
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*1:ところで、このblogでは路面電車は対象にしません。路面電車はたいがい市街地の交通量の多い路線を走るので、バイクで並走してもつらいだけですから

山陰本線:江崎駅 (えさき)

(飯浦) - 江崎 - (須佐)                   (訪問日: 2017/08/27)

飯浦から国道191を西進して、江崎駅からは山口県萩市に入ります。江崎の集落は、海側の国道191沿いには道の駅や食堂があったりして結構賑やか。それに対して駅のある山側は学校、郵便局などが集まった閑静な集落でちょっと対照的です。

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下の道路標識がある所が、駅への入口。直進は県道17で津和野へ至る。
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途中の郵便局前にあった、一灯吊下げ式信号機。山陰線沿線で見たのは3カ所目。
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江崎駅は木造平屋トタン屋根。昼間は駅員駐在だが6:30~15:00まで。自動券売機、自動改札機はなし。飲料自販機は待合室に設置、トイレは駅舎隣りホーム外にり。駐車場は駅前広場に4~5台ぐらい、駐輪場は屋根付きで約40台分。

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ホームは2面2線+引き込み線(上りホームの外側)。ですが、対向ホーム(下り側)への跨線橋は閉鎖されていて、下り線路も発錆しているところを見ると、1面1線に変更されたのかも?

下の写真はホームから萩方向に駅舎と跨線橋の風景。その下は益田方向の景色。
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閉鎖された跨線橋
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 駅舎ホーム側に木製表札タイプの財産標があり。ところでこれが本当に建物財産標なのか誰かに聞いてみたいんですけど、なかなか駅員駐在の時間帯に訪問できないのが悩みです。  開業50周年記念碑は駅舎入口横の松の木の根元です。

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山陰本線:飯浦駅 (いいのうら) (追記あり)

(戸田小浜) - 飯浦 - (江崎)               (訪問日: 2017/08/27)

戸田小浜駅から国道191で西進すると、飯浦集落手前で線路は海岸線まわり、国道は内陸のトンネルを通って別れ別れになって、飯浦駅のところで合流します。

合流するといっても駅に行くには、国道から入った脇道から更にほぼUターンで細い山道を登るので、道を間違えたかと思うほどです。

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この道の先が飯浦駅
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駅舎側から進入路を振り返った所。
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飯浦駅は木造平屋の無人駅。立派な駅舎があるにしては入口が分かり難く、隠れ駅度満点です。待合室は窓口や看板が昔のまま残っていますが、扉はアルミ製になっているし、外装は塗り直していたり、整備はされているようです。そういえば何故か駅名看板が付いていない。

駅舎左手には保線用なのか広場があり、4~5台程度は停められそう。駐輪場はみあたらず。自動券売機、飲料販売機などは設置無し。建物財産標は確認できず。

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ホーム上には真新しい(というか何もついていないまっさらな)待合室が一棟。もしや駅舎を廃止して、この待合室に移行するのでは無ければよいが。
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(追記) 2021年再訪時の様子。駅舎取り壊されてました。

山陰本線:飯浦駅 (いいのうら) 再訪 - tkmov(バイクとローカル線と)

 

山陰本線:沿線-戸田柿本神社

(戸田小浜) - - (飯浦)               (訪問日: 2017/08/27)

戸田小浜駅の横に柿本神社の鳥居が建っていたので、社殿はすぐ近くにあるかと思いきや、駅から1kmほど山に入った先にあります。駅から東に少し移って、小川沿いに遡行する感じです。

由緒書きに拠れば、ここが柿本人麿の生誕地で、益田市街地の死没地には高津柿本神社があるとの事。高津の方は近くを通ったのに行きそびれてしまいました。そういえば波子駅ちかくの国道9号、峠越えの所にも柿本人麿の顕彰碑が建っていたのを思うと、「石見といえば人麿」というのがこのあたりのコンセンサスなんでしょう。

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戸田柿本神社
 戸田柿本神社の祭神は柿本人麿です。人麿は、天武・持統・文武天皇の治世(674~707)に活躍した「万葉集」の代表的歌人で、この地は、人麿生誕の地と言われています。
 戸田東光山(あさひ山)にあり、宝永7年(1710)津和野藩主亀井茲親が創建、文化14年(1817)神社火災で神殿や神像を焼失、文政5年(1822)亀井茲尚が神社再建に合わせ、津和野藩御用彫刻師大島松渓に命じ、ご神像と七体像をつくらせて寄進、奉納しました。
 境内上段には、本殿・通殿・拝殿があり、下段には、社務所・宝物庫・通夜殿があります。上段には、「筆柿」といって、筆の穂のような小さな実のなる柿の木があり、当社のご神木となっています。
 「戸田柿本人麿神社明細帳」によると、「人麿、後年老いて故郷に帰り、高角鴨山に卒す。後、戸田村に社を建て、人麿を祀るに、そもそも人麿は語家というこの家にて共生す。語家方は本姓は綾部氏なるか。人麿に由縁ある筆柿の古木あり」と書かれています。
 「綾部氏家系」によると、大和に住んでいた綾部家は、柿本氏に仕えていましたが、後年柿本氏の支族が石見に下った時、これに従って下向し美濃郡小野に代々語家として住みつきました。のち柿本某が語家の女を寵愛して、柿本人麿が生まれたといわれています。
 また、「柿本人丸旧記」には、「我は父母もなし、知る所もなし。ただ和歌の道のみ知れり」と言って、柿の木の下に童形の姿で出現したという伝承もあります。
 人麿は、幼少の頃から詩歌や学芸に秀で、才徳兼備でした。その当時よく遊んだという小野谷の中腹には、鎌の先で歌を彫ったという伝承岩や、近くには人麿の足跡とされる窪みがある大岩などがあります。

 

 

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戸田柿本神社由緒記
 祭神は正一位柿本朝臣人麿であります。人麿公は今からおよそ千三百年前、天武、持統、文武の三天皇につかえ、宮廷歌人として令名が高く、万葉集に数多くの長歌、短歌を遺しています。そのうち「妻と別れて京に上りくる歌」「臨死(みまか)らんとする時自ら傷みて作る歌」は石見の国と人麿との深い由縁を物語っています。
わけても「万葉集」の「石見の海 打歌の山の木の際よりわが振る袖を妹見つらむか」の「打歌の山」が古くから益田市中垣内町の大道山とされ、その北西の戸田町は生誕地、北東の高津町は死没地と伝えられています。
 柿本社の宮司綾部家は四十九代続いている旧家ですが、その庭前の柿の木のもとに、祭神は七歳の童児となって孝徳天皇即位九年に天降ったと古記にあります。同家には人麿のお墓が現存しています。
 社殿は神亀年代に創建され、学問、産業、疾病除厄の神様で、津和野亀井藩主をはじめ古来地方民の尊崇厚いところであります。
  記
一、建造物 本殿 権現造り  文政五年四月再建
      拝殿 妻破風   木造り明治二十九年再建、組み物の彫刻は西航そのもの、見事である。
      宝庫 社務所   大正十三年建立
         神楽殿   明治三十五年増築
二、御神体 柿本人麿木彫座像 ほかに人麿童子像、付帯像計七体は益田市指定文化財、台座の動物浮かし彫りは妙技である。作者は津和野藩士大島常一(文政五年)
三、宝物  柿本従三位人麿記、人麿旧記、柿本集、筆柿古木の根など多数
      綾部家には近世古文書の所蔵が多い、なお境内には神木筆柿がある。
四、例大祭 四月十八日    新年祭   春季
  八朔祭 九月一日     新穀感謝祭 秋季

  昭和五十六年十一月吉日
    益田ロータリークラブ建立