tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

山陰本線:須佐駅 (すさ)

(江崎) - 須佐 - (宇田郷)                       (訪問日: 2021/07/21)

益田から萩にかけての山陰を再訪。江崎駅から西進すると、国道191はすこし山陰本線を離れて山中を迂回、須佐の平地に出た所で再び線路と合流します。

須佐駅は国道脇、駐車場を挟んで駅舎と土産物店が並んで建っています。駐車場は駅舎手前と左手奥に約25台分、駐輪場も駅舎左手に並んで、屋根付きで約30台分。トイレは駅舎左側でホーム外から利用。駅舎右には土産物店、いかマルシェ(スサノモノミトコ館)…特産の男命いか(みこといか)を中心にお土産が買えますが、バイクだとちょっと活イカは持ち帰れないのが残念。(にしても館名の意味はよくわからない)

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駅舎内の待合室は新しく、どちらかというと、よくある交流館という感じ。ホームへの通路にある乗車券販売所は委託らしく、黄色ユニフォームの人(となりの売店と共同?)の出入りはあるけど、列車の来ないときは窓口は無人です。
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ホームは単式2面2線で、駅舎側が益田方面(上り)、対向ホームが長門方面(下り)*1。各々ホームには待合所を設置。
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f:id:tkmov:20210724233537j:plain(長門方面ホームにある待合所)

下は駅舎側ホーム(益田から見て右側)からみた益田方面で、ホーム長は153歩。対向ホームとのズレは43歩。その下は同じく長門方面の写真。対向ホームは162歩で、駅舎側ホームとのずれは60歩。両ホームは跨線橋で連絡です。

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下は跨線橋から見た益田方面。Wikipediaによると右側のホームは島式で写真の右端には3番線がある事になってますが、ホームを歩いた時はそこに線路があるとは気づかず、完全に単式ホームだと思ってました。
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下は跨線橋から見た長門方面。こう見ても3番線があるようにはみえませんが。
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写真中央の2番線のカーブが一部直線になっているところを拡大すると、草に埋もれた3番線の痕跡が見えます。2013年の水害からの復旧中には3番線を使っていたそうですが、どのくらいの期間でここまで草叢に隠される様になるのかが知りたいところです。*2

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須佐湾ホルンフェルスと言えば日本地質百選です。時間があれば高山の磁石石とか見てみたかった。神話の里の"みこと君"といえばたぶん須佐之男命、"こうてい様"というと高山にある黄帝社のこと?
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駅前にある"時刻表の父" 手塚猛昌顕彰碑。こういう碑を見なければ、たぶん一生知らなかった人です。

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手塚 猛昌(てづか たけまさ)
 嘉永六年(1853年) 毛利藩領益田家家臣岡部護英の次男として須佐河原丁に生れる。士族とはいえ貧しい生活の中でも向学心に富み、三十三歳の老書生として慶應義塾に学び、卒業後は、庚寅新誌社を創立。明治二十七年慶應義塾の恩師福沢諭吉の勧めにより荘田平五郎からの援助を受け、イギリスの時刻表を手本に、日本で初めての本格的時刻表月刊「汽車汽船旅行案内」を発刊。この時刻表の発刊により交通・運輸の利用は格段に拡充し、近代日本発展の一翼を担った。
 また、猛昌は東京市鐵道(後の都電)や東洋印刷、帝国劇場、旅行案内などの創設等に関わり、財界人としても大いに活躍した。こうした彼の功績を時代に引き継ぎたく顕彰碑を建立する。
      手塚猛昌顕彰事業実行委員会

 

*1:ホームには番線が書いてませんが、Wikipediaによると駅舎側が1番、対向ホームが2番とのこと

*2:只見線の不通区間の様子からすると6~7年あればこのくらいにはなりそうですが、2003年廃線可部線毛木駅の様に全然草の生えないところもあるし、結構まちまちですよね。