tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

三江線:沿線-江の川発電所跡

(船佐) -  - (所木)                     (訪問日: 2017/09/10)

所木駅の前にある橋を渡ると、対岸の作木側の国道375ぞいに江の川発電所跡があります。

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国道側から見ると単なる広場ですが、対岸の高宮側から見るとこんな感じ。

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江の川には水力発電所がいくつかあり珍しくは無いのですが、説明板の沿革によれば大正時代に呉への送電用に設置されたという。瀬戸内までの送電のために島根県境まで発電所を作りに来るとは。

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唐香の江の川発電所
 広島呉電力会社(現中国電力株式会社)が、江の川の豊かな水量と多くの瀬(落差)に注目して発電事業を計画し、大正6年(1917年)起工し、同8年竣工、翌9年9月から営業を始めたのが、唐香にあった「江の川発電所」である。
 堰堤は鳴瀬の上手幅員約97メートルをせき、堰堤・発電所間の水路延長は約5.4キロメートル、幅約6.4メートル、深さ約3メートルと記録されている。発電所は第1次世界大戦の戦利品としてドイツより持ち帰ったもので、出力3,000キロワットでドイツ人技師が運転を指導したという。
 この頃、大戦勝利の余波で景気はよく、電力需要は増加の一途をたどり、一方軍備の拡大と共に呉海軍工廠は多量の電力を必要としたので、これに応じるため能見まで水路を延長して二倍の発電量を計画し、大正14年起工昭和2年10月、現在の能見発電所が営業を始めた。
              作木村誌より抜粋

 

 

 

 

山陰本線:戸田小浜駅 (とだこはま)

(益田) - 戸田小浜 - (飯浦)                   (訪問日: 2017/08/27)

山口線益田駅近くまできて西進、国道9号で山陰本線に沿って進むと日本海に出ます。いくつか海水浴場を過ぎて戸田町で、国道が山側に分かれるので旧道を通って、戸田小浜駅に着きます。

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山陰本線の駅には地名を二つ重ねた駅名がいくつかありますが(三保三隅とか宇賀本郷とか)、ここも「戸田町の小浜」という命名でしょうか。単に「戸田」も「小浜」も他の駅名で使われていたからかもしれませんが、それなら石見小浜でもよかったのでは、と思いますけど。

戸田小浜駅は木造平屋瓦葺。駅事務所は公民館になっていて無人駅で自動券売機、自動改札はなし、改札窓口も板でふさがれています。駅舎右手にはJAが併設。駅前広場に駐車スペースが4~5台分、駐輪場は屋根付きで10台分(瓦屋根のえらく立派な駐輪場です)。トイレも駐輪場の横に設置されています。売店、食堂はなし。もしかしたらJAで何か販売しているかもしれませんが、訪問日が日曜日なので確認できず。ここの駅舎も瓦にJRマーク付きです。

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ホームは2面で線路2線。下の写真の両方のホームの外側に向けたポイントがあるので、昔は4線だったのかも。

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跨線橋の脇には柿本神社の鳥居があって、直ぐ近くに神社があると思いますが、実はここから4~500mくらい南に離れています。そういえば波子駅の近く(アクアスの近くともいう)の峠にも柿本人麿伝承の看板がありましたが、ここが生誕地だったのですね。

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柿本人麿生誕の地
 ここ、益田市戸田町は柿本人麿生誕の地といわれています。
 柿本人麿は、天武・持統・文武天皇の治世(674~707)に活躍した「万葉集」の代表的歌人です。益田市には、多くの伝承が残されており、伝生誕地(戸田) 伝終焉地(高津)に神社が建立されています。
 人麿生誕伝承地は他所にもありますが、きちんと生まれ育った伝承が残るのは当地だけです。
 「綾部氏家系」によると、大和に住んでいた綾部家は、柿本氏に仕えていましたが、後年柿本氏の支族が石見に下った時、これに従って下向し美濃郡小野に代々語家として住みつきました。のち柿本某が語家の女を寵愛して、柿本人麿が生まれたといわれています。
 また、「柿本人丸旧記」きは、「我は父母もなし、知る所もなし、ただ和歌の道のみ知れり」と言って、柿の木の下に童形の姿で出現したという伝承もあります。
 人麿は、幼少の頃から詩歌や学芸に秀で、才徳兼備でした。その当時よく遊んだという小野谷の丘腹には、鎌の先で歌を彫ったという伝承岩や、近くには人麿の足跡とされる窪みがある大岩などがあります。
 戸田柿本神社へは、南へ20分ほど田んぼの中を山麓に向かって歩きます。
   平成27年12月 益田市観光協会

 

 

山口線:石見横田駅 (いわみよこた)

(東青原) - 石見横田 - (本俣賀)                   (訪問日: 2017/08/27)

津和野町から益田市に入っても、山口線の走る高津川右岸には連続した道路が無いので、左岸の国道9号で並走することになります。で、益田の平野部に近づいた横田集落で国道ごと右岸に移動し、石見横田駅に到着。

旧道の駅前の様子。駅前には高津川漁協があって、アユを持ち込む人もチラホラ。
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石見横田駅は木造平屋スレート葺、久しぶりにちゃんとした独立した駅舎で(日原駅は公民館だったし)待合室や事務室もありますが、たぶん無人駅。自動券売機、自動改札機はなし。売店食堂の類もなし。駐車場は駅前広場を利用すれば4~5台は可能、屋根付き駐輪場10台分あり。

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こちらは駅舎右手にあるトイレ(最近の物らしく新しい)
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ホームは2面2線で対面ホーム上に待合室あり。対面ホームの奥には保線用線路があって小さなラッセル車が停車中。すぐ2駅先が益田駅なのでそっちで待機すればよい様に思うのですが、山口線用としてここに待機しているのか。そういえば江津駅の隣の都野津駅にもラッセル車が停まっていたから、そういう運用方法なのかも。

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建物財産標はホームの待合室のもの。屋根スレート管理票しか付いていない駅も多いので、財産票とは排他的なのかなとも思ってましたが、そうでもないらしい。

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さて石見横田駅を過ぎると、山口線は何故か高津川からいったん離れて山越えとトンネルで益田方面に向かいます。川沿いには現在国道9号がとおっているくらいなので、別に線路を通せないわけではないと思いますが、旧街道がこちら側だったのか、あるいは通したかった場所があったのか。まあ峠越えと言っても標高50m位しかないので、たいした理由は無いのかもしれませんが。

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峠のトンネルから出て来た山口線と並走路の跨線橋。線路は砂利を換えたばかりの様子。
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山口線:東青原駅 (ひがしあおはら)

(青原) - 東青原 - (石見横田)                    (訪問日: 2017/08/27)

日原駅過ぎたあたりから石見横田駅にかけて、山口線高津川の右岸を、車道は左岸と分かれていて、山口線と並走する道路がありません。東青原駅も青原集落から橋を渡ってアクセスします。ついでに言えば、この駅までが津和野町で、ここから北は益田市になります。

ところで東青原駅青原駅の真北にあるのに「東」とは、これは如何に。そもそも青野集落は東青原駅の西の対岸にあるので、この駅を「東青原」と呼ぶのは自然なことに思えます。一方で青原駅は日原と青原集落の丁度中間点、高津川の渓谷が深くなって集落の途切れる場所にわざわざ作ってあるのが、ちょっと不自然な感じがします。

で、国道から橋を渡ってお寺の脇道を上ると、山際の東青原駅に着きます。

正面に東青原駅の待合所が見えるアクセス路
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駅前から北へ行く道路(ただしこの先は線路に沿った道はありませんが)
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東青原駅は駅舎無くホーム上に待合所がある無人駅。自動券売機、自動改札機、自販機などは無し。駐車場、駐輪場もご覧のような駅前なのでありません。ただホーム上には待合所が2つ、下の写真のような通常の待合所と、もう一つは小さな何もない待合所。

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ホームから津和野方面の眺め。手前の待合所は収納盤も掲示物もなにもなし。
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待合所には建物財産票の代わりに「屋根スレート管理票」というのが付いています。三江線の駅にもあったと思いますが、建物財産票との使い分けがあるの?

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山口線:青原駅 (あおはら)

(日原) - 青原 - (東青原)                     (訪問日: 2017/08/27)

線路沿いに走ろうと、日原を北に過ぎたあたりで高津川を渡河、三渡八幡宮のところで山口線に合流するも、道路は河岸段丘の奥に入り込んでしまって、結局少ししか線路は見えません。

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で、最終的には高津川右岸の集落と生活道が途切れて、左岸の国道9号と合流する地点に青原駅があります。集落の集まり具合からすると八幡宮のあたりが良いのではないかとも思うのですが。

青原駅は駅舎は無く、盛土上のホーム2面2線に各々待合室のある無人駅です。自動券売機はなし。駐車は階段下の広場に数台が可能、駐輪場は屋根付きスタンド付で12台分。周囲に売店、食堂なし、自販機もなし。

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ホームから益田方面をのぞむ
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左は階段側(たぶん下り線側)ホームの待合所、右が反対側の待合所の財産標。
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駅前広場にある地元名士の方の頒徳碑。(最初は忠魂碑かと思ってしまいました)
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山口線:沿線-三渡八幡宮

(日原) - - (青原)                  (訪問日: 2017/08/27)

日原駅からは北へは、山口線はトンネル・橋梁で直進、国道9号は高津川沿いに屈曲しながら北上。なるべく線路沿いに走りたいので、高津川を渡る鉄橋の下をくぐった先で、国道から離れて高津川の右岸に渡ります。

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橋を渡って、田んぼの先を直進すると山口線に突き当たりますが、そこにあるのが三渡八幡宮(県指定有形文化財)。踏切りを渡ってすぐの階段を上って、河岸段丘の上が社殿になります。

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 境内を囲んでいる杉のひとつ。社殿の周囲はずっとこのくらいの大木で囲まれてます。
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島根県指定有形文化財(建造物)
三渡八幡宮本殿 一棟
 附 棟梁之記(松材) 一枚
(つけたり とうりょうのき)

三渡(みわたり)八幡宮は、永享元年(一四二九)吉見氏の氏神とし
て造営された。その後消失(焼失?)。再興を経て、現在の本殿は、寛保
三年(一七四三)年に建造されたものである。
本殿は比較的小規模であるが、全体として均整のとれた本格
的な社寺建築の技法によって造られている。内外に見られる彫
刻技法には高度の技術を持った工匠の作風がうかがえる。これ
らの装飾には彩色が施され、柱の丹塗と相まって江戸期にふさわ
しい豪華な意匠となっている。県内の江戸時代中期の神社建築
の中でも優れた建造物のひとつである。
神社に残っている「棟梁之記」によれば、本殿は大阪の大工
鳥井九郎兵衛義堅により造られている。造営手法は、大阪で
資材を加工し現地で組み立てるという当時の生産流通形態
を知ることができる貴重な実例のひとつである。
平成七年十月二十七日に、島根県指定有形文化財に指定される。

構造及び形式
   一間社流造 杮葺(いっけんしゃながれづくり こけらぶき)
所在地 津和野町池村二三七九
所有者 三渡八幡宮
修 理 平成五、六年 保存修理工事
    平成二十四年 屋根葺替

平成二十九年三月
 津和野町教育委員会

 

山口線:日原駅 (にちはら)

(青野山) - 日原 - (青原)                  (訪問日: 2017/08/27)

日原駅と言えば、今は錦川鉄道となった岩日線の終着点に計画されていた駅。地形的にいえば、この日原駅から少し北の国道187方面から合流するような計画だったんでしょうね。

津和野方面から日原駅前にいたる道の様子。日原の街自体はもっと北の国道187沿いが中心なので、このあたり(枕瀬)はやや寂しい感じ。

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日原駅簡易郵便局と合築された駅舎、自動券売機は無く郵便局の委託販売。駅舎右手には公民館が併設、トイレは改札口横にあり。駅舎は土壁造りなのか、かすかに土蔵のにおいがします。駐車は駅前広場に5~6台が可能、左手の空地に月極らしき駐車スペースあり、駐輪場は確認できず。周囲に売店、食堂なし。

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ホームは2面2線、対向ホーム上に待合室あり。

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建物財産標はホーム待合室のもの。「国鉄」と書いてあるのはあまり見ないかも。
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山口線:青野山 (あおのやま)

(津和野) - 青野山 - (日原)                   (訪問日: 2017/08/27)

津和野から東(六日市、岩国方面)へ県道226で峠を越えると、ポッカリとお椀を伏せたような山ー青野山が見えてきます。(たぶん)この山から名づけられた青野山駅は、この写真で見える青野山の反対側(北側)にあります。

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津和野駅からは国道9号で青野山の麓をトンネルで抜けて、鉄橋を渡ったところで山口線と合流します。(鉄橋の下に山口線が走っているはず)

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国道9号から青野山駅への入口。対向車がいるところを右折。
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国道から駅へ上ってゆく道。途中に茶園があって、ここには写っていませんが茶の木が目立ちます。
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正面は青野山の北麓(見栄えは南麓側の方が良いと思う)
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青野山駅は踏切脇のホーム1面1線の無人駅。券売機、自販機、トイレ、駐車場、駐輪場なし。ホームは短く、歩測で約60m。

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ホームから見た益田方面
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駅の下にある民家。昔は、たばこ屋兼雑貨屋だったような雰囲気。
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 建物財産標は未確認ですが、そのかわり貼ってあった塗装管理票。山口方面ではよく見た管理票です。