tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

津山線:弓削駅 (ゆげ)

(神目) - 弓削 - (誕生寺)                          (訪問日: 2021/04/30)

神目駅から津山街道(国道53号)で津山線、誕生寺川に沿って北上し、久米南町の中心、弓削の街に入った所にあるのが弓削駅です。国道から一本脇道に入った、ロータリーを備えた駅前広場の奥にある木造駅舎、広い軒先を持った姿は玉柏駅と似たものがあります。(改築前の玉柏駅はこういう姿だったのかもしれませんね)

駅前広場にはタクシー枠が2台分の他、4~5台分のスペースがあり、訪ねた時も数台駐車していました。駐輪場は駅舎右隣りに20台分、更に右手の奥には40台分くらい、いずれも屋根付きです。

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駅舎の半分はアンテナショップ「夢元(ゆげ)」ですが、コーヒー+マドレーヌで200円は安い。ただ最近のコロナ禍のせいか閉店中です。
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券売機は無く窓口で購入(たぶん委託販売)で、入場券はPOS端末(?)での印刷です。久米南町は河童と川柳の町ということで、待合室には川柳の展示が多数。トイレは駅舎左手に別棟になります。
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プラットホームは相対式2面2線で、駅舎北側に側線あり。ホーム土台は福渡駅と同じく煉瓦(イギリス積み)が使われています。駅舎側が2番線でホーム長は187歩、対面ホームが1番線で165歩、跨線橋で連絡しています。

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下は跨線橋から見た岡山方面。
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下は1番線ホームから見た岡山方面、次の写真は2番線ホームから見た津山方面。

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1番線ホームから見た岡山行きと津山行きの列車行き違い。向こうの津山行きが蛇行しながらポイントを通過していて、2番線が直線化されているのが分かります。
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1番線ホーム上の待合所と跨線橋跨線橋福渡駅と同じく、内側の壁無し鉄骨むき出しというデザインです。待合所の方には川柳の展示が一杯。
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津山線:神目駅 (こうめ)

(福渡) - 神目 - (弓削)                             (訪問日: 2021/04/30)

福渡から国道53(津山街道)で津山線と並走し北上、神目集落で誕生寺川を渡って神目駅に着きます。下は誕生寺川左岸の土手道と、そこから分かれて駅への登り道。
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神目駅は純和風な木造平屋瓦葺の駅舎がある無人駅。中央は待合室、左は駅事務所、右がトイレになっています。駐車場はありませんが駅舎右側に何台分かのスペースあり、右手奥には屋根付駐輪場が40台分くらいあります。駅前の店舗跡には、ローカル駅の定番通り美容院の看板が残っていました。

待合室の出札窓口は昔のとおり残っていますが使われておらず、自動券売機、改札機は設置無し。

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ホームは駅舎に隣接して単式1面1線。駅舎のトイレはホーム側から入ります。ところでトイレを主屋に組み入れるようになったのは、特に田舎の家屋では昭和40年前後なので、この駅舎もその頃以降の建築なのか。(建物財産票が無いのではっきりとはしませんが、室内も新しいしもっと最近、平成ぐらいの様な気もします)
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ホーム長は165歩で意外と長く、レールの曲率でホームの端から端は見通せません。下の写真はホームから見た福渡方面。
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レールの向こうには、昔の相対ホームの跡が草叢にのこっています。で、かつての相対ホーム連絡用のなごりか、弓削駅側(北側)の踏切は「構内踏切」の名称のままです。
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おまけ:普通の家屋なら鬼瓦とその下には家紋や翁媼の面が入るのですが、切妻の破風の細かい造作と比較すると、ちょっと中途半端な感じ。JR以後なら家紋はJR瓦にする方法もあったろうし、泊駅(山陰線)の待合所の様に翁面をつけてもよかったのに、と思います。
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[追記 2021/05/05]

「さいきの駅舎訪問」のサイトによれば、駅舎は1998年築だそうです。2000年時点の写真では相対ホームはまだ残っていますが、レールはすでに撤去されて年数がたっている様子です。

津山線・神目駅−さいきの駅舎訪問

 

津山線:福渡駅 (ふくわたり)

(武部) - 福渡 - (神目)                         (訪問日: 2021/04/30)

建部駅から昔の津山街道で津山線に沿って田畑の中を北上、旭川を渡った所が福渡駅です。このあたりは昔は建部町と言っていたので、建部駅の方が中心と思い込んでましたが、訪れてみれば福渡には銀行、旧役場や商店街もあって、こちらの方が行政の中心だったと悟った次第。福渡の前の旭川備前・美作の国境でかつては街道の渡し場があった所という位置づけは、美濃金山駅を連想します。駅前の街道筋の雰囲気も似ているような気がします。

下の写真は商店街から福渡駅への入り口の風景(写真中央のT字路を右折した所が駅)。
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福渡駅は木造平屋の駅舎がある無人駅。駅舎左手に露天の駐輪場が40~50台分、右手には有料駐車場が40~50台分、トイレは駐輪場奥に離れて置かれてます(非水洗)。駅舎前のスペースはタクシーと駅業務用です。(列車到着のときは駅員が通いでやってくる様です)
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待合室の出札窓口は閉鎖で自動券売機(ICOCA非対応)を設置、自動改札機はありません。写真は撮り忘れたけど、下の写真の背後に飲料自販機があったと思います。駅には売店・食堂は無いですが、近くの市街地には店舗はいくつかありそうです。
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下で写っている駅員さんは列車到着に合わせてやって来て、発車後は業務車に引き上げてたので、通い業務ではないかな。
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プラットホームは単式1面1線+島式1面2線で岡山側で跨線橋で連絡。駅舎のある単式ホームが1番線で岡山から見て左側(西側)にあり、島式ホームが2,3番線です。駅舎の南(岡山側)に側線と小さな車庫があります。ホーム長は島式が147歩(そのうち延長分が30歩)、島式が124歩。
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下は1番ホームから見た津山方面と、岡山方面の景色。

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島式ホームには待合所が1棟、このバス停みたいなデザインは津山線でよく見かけた形。それから壁を剥がしたかのような鉄骨むき出しの跨線橋もこの先の津山線でいくつか共通しています。
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おまけ:フラットホーム基礎に使われている煉瓦積。福渡駅の設置が明治30年というと東京駅や北陸旧線(今庄ー敦賀)の建設と同時期なので、煉瓦を多用した時代ということでしょうか。北陸旧線のトンネルと同じくイギリス積が使われています。
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おまけ2:岡山行きと津山行きの列車行き違い。この行き違いがあったので、駅員が通ってきたのかも。

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駅舎の財産票が明治42年ということは、駅設置から10年余で本格的に駅舎を建てたということですかね。



津山線:建部駅 (たけべ)

(金川) - 武部 - (福渡)                          (訪問日: 2021/04/30)

旭川に沿って登ってきた津山線は、金川駅の北からは昔の街道にそって旭川と国道53号を離れて支流に沿って山越えをします。

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下は峠をトンネルで抜けて、武部の街を見下ろしたところ。津山線は下に見える平地の端っこ、山際を通っています。
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津山線に並走する生活道。昔風の牛小屋兼納屋が残る農家が点在しつつ、こういう道が建部駅から福渡駅まで続きます。
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建部駅は明治33年設置時からの木造駅舎が残る無人駅。駅舎向かって左手に駐車場が6台分、駐輪場が約50台分。右手にヤマザキ店がありますがどうも閉店中の様。トイレは駅舎左隣でホーム内外から入れます(簡易水洗)。f:id:tkmov:20210504175736j:plain

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登録有形文化財になっているだけあって、待合室内や出札窓口などは昔の趣を残しています。逆に言うと山陰の駅の様な絵や写真、手芸の展示は無く、そういう意味では少し寂しいかも。木次線八川駅因美線那岐駅は小さな書架があったり、芸備線野馳駅は事務室がそのままタクシー会社の事務所で人が居たりして、そういう人の気配がした方が好ましいと思うのは、旅行者の身勝手な感想か。
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待合室には昭和35年の駅舎写真が掲示、駅舎外観は今とほぼ同じですが待合室に半間四方の小部屋があるようにみえます。便所は同じ場所で建替えられてますね。

国指定 登録有形文化財
  平成十八年三月二日 登録
  登録番号第三十三 - 〇一〇三号
JR津山線(旧中國鉄道)
建部駅 駅舎
 所在地   岡山県御津郡建部町中田四〇三 - 三
 構造・規模 木造平屋建・瓦葺
       建築面積 八十四平方メートル
 建築年   明治三十三(一九〇〇)年
沿革
 中國鉄道株式会社の岡山駅津山駅(現、津山口駅)間が開通したのは明治三十一(一八九八)年である。
 今日まで県南と県北を結ぶ五八.七営業キロメートルの鉄路として大きな役割を果たしてきた。
 当駅舎は、開通の二年後の明治三十三(一九〇〇)年に地元から請願駅として設置された。その後、昭和十九年(一九四四)年に、国に移管された。

駅舎
 梁間三間桁行六間、基礎は花崗岩の切石を廻しており、沓石は幾星霜を経て足下で光っている。切妻屋根はセメント瓦葺き(改変)で乗降場の上屋まで一体で葺降ろす構造になっている。外部の腰壁は堅羽目板貼、壁は白漆喰塗、開口部は木製建具が嵌っており、一部の増築や屋根葺材が改変されているものの、全体構造は当初の姿をよく留めている。内部もほぼ球場が保たれ、一文字型の小荷物取扱口や出札口の窓口カウンターは当初の姿で残されており、往時の姿を偲ぶことが出来る。津山線の当初の姿をとどめている駅舎として貴重である。
  建部町教育委員会

 

ホームは単式2面2線で駅舎のある東側が2番線で、こちらのレールが直線です。(1線スルーというのですか? といってもレール形状でしか見てないので、信号システム上でスルーになっているかどうかは分かりませんが) 駅舎反対側の1番ホームへは福渡駅側の構内踏切で連絡、ホーム上には開放型の待合所が1棟あります。ホーム長は構内踏切側を起点として1番ホームが70歩、2番は120歩ですが、どちら側も鉄骨枠で149歩まで延長されています。
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下は1番ホームから見た福渡駅方面。
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おまけ:2番線を通過する岡山行き列車
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宇部線:居能駅 (いのう)

(宇部新川) - 居能 - (岩鼻)(妻崎)                        (訪問日: 2021/03/27)

宇部線小野田線の分岐駅、居能駅です。宇部線は街路と並行しているのですが、小野田線は田畑の中を通って、厚東川も鉄道橋に沿う道路橋は無いので、妻崎駅方面から来ると結局R190を走って大回りすることになります。(って、バイクで来ようとするせいです)

居能駅は駅前の道路から直ぐに駅舎が建っているいて駐車場は無く、駐輪場は駅舎右手スロープ状に40~50台分程度。
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コンクリート製駅舎は窓口は閉まっており、たぶん無人駅。待合室には自動券売機(ICOCA非対応)を設置、自動改札機は無し。昔は貨物業務あったとの事で駅舎は大きく待合室も広い。道端に飲料自販機はあるものの、売店・食堂は駅近在にも無さそうです。
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ホームは単式1面1線+島式1面2線+側線多数。駅舎がある東側の単式ホームが4番線で、島式ホームが2,3番線、西側に並ぶ何線かの1つが1番線だと思います。で、2番線もフェンスで閉鎖されているので、結局、相対式の単式ホーム2面2線としか使われてない様子(4番が宇部新川方面、3番が宇部・小野田方面)。島式ホーム長は106歩(小野田側の閉鎖部分も含むと123歩)、単式ホームとは約30歩の千鳥配置です。
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下は駅舎前から見た4番線の宇部駅方面
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下は宇部新川方面。
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2番線がフェンスで閉鎖されている上に、裏手の工場からホームまで作業用通路らしきものを設置中(恒久的な道路なら側溝とか地盤工事を先行するだろうと思う)で、レールも切られています。これはそのうち、側線を撤去するということかな。
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建物財産票は確認できず。
 

小野田線:妻崎駅 (つまざき)

(居能) - 妻崎 - (長門長沢)                        (訪問日: 2021/03/27)

長門長沢駅から居能駅にかけての小野田線は並走する道路が無くなるので、集落の中をウロウロしながら妻崎駅にたどりつきます。

妻崎駅は木造平屋の駅舎の残る無人駅。駅前は少し狭いので写真は広角で撮っています。駅前に駐輪枠が約10台分、駐車場枠は無し(送迎のために停めようと思えば2~3台は可能)。向かい側には(開いているかどうかは不明ながら)お約束の理容院もありますが、その他の店舗・食堂などは見当たらず。

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構内の分岐ポイントから曲がることなく、駅前広場のすぐ横まで伸びてきている側線。
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駅舎内は出札窓口などは塞がれてすっきりと改装されており、絵やかつての写真等が展示。自動券売機、自動改札機の設置は無し。飲料自販機もなく、トイレは別棟でホーム内/外の両方で使用可。
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ホームは島式1面2線で、ホーム端(長門長沢駅側)の構内踏切から入ります。ホーム長は88歩。

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下は駅端から見た居能駅方面。
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小野田線:長門長沢駅 (ながとながさわ)

(妻崎) - 長門長沢 - (雀田)                       (訪問日: 2021/03/27)

雀田駅から小野田線に沿って宇部へ向かって旧道を走り、県道6号(宇部湾岸道路)と交差するところに長沢駅があります。駐車場・駐輪場はありませんが、県道から一段低い所にある駅前には少し広場になっており、駐車や駐輪は可能です。
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長門長沢駅はホーム横の待合所が1棟だけの無人駅。券売機、自動改札機などの設備は無し。トイレ、飲料自販機もありません。周囲は住宅街なので店舗・食堂も見当たりません。
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ホームは1面1線で小野田から見て右側、ホーム長は94歩。下の写真はホームからみた雀田駅方面。
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ところで、ホーム前後のレールには変な屈曲があり、かつてはもう1線が分岐していた様に見えます。
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小野田支線:沿線-本山岬

(長門本山) - 本山岬

小野田線の終点、長門本山駅の先へ行くと、周防灘に突き出した本山岬があります。小野田、宇部、徳山と多くの素材系工業地帯があるせいか、岬の先端からみる周防灘にはタンカー、貨物船が並んでいます。(といっても遠すぎて写真では、うまく映ってないですが)

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岬の上の広場にある金毘羅宮は明治に勧請されたもの。

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由緒
抑も金毘羅大権現は天竺箸闍崛の山神にして仏法を守護し衆生を済度し給ふことは金毘羅天童子大宝積経等に徴しても明かなり。且つ常に普天卒土の人民に無量の福徳を与え、水火風の禍難を救ひ給ひたるその霊験の著しきこと、声の響に応ずるが如きわ普く人の知る所である。
讃岐国那珂郡琴平町象頭山松尾寺は、舊金光院の脇坊即ち師迹相続の先師金剛坊大僧正によってまつられし神霊なり。
時明治二十六年当地村人信仰者の集りにより、象頭山松尾寺より金毘羅大権現の御尊像を勧請せられ、堂内には金毘羅大権現本地仏大聖不動明王を安置し、徴に法灯を捧げて金毘羅大権現の神慮を慰め、処方諸難を救ひ給えと祈り、善男善女の恭敬禮拝するものの左右を離れず影の形に随ふが如く諸人の難を救い給ふ。
  例祭日 四月十日、十月十日
          本山岬金毘羅院 執事

蛇神様
 蛇神様はハミの神様、寛政七(一七九五)年に建立された。本山の南側水田一帯(今は石油タンクが立ち並ぶ)には蛇が多く、蛇谷と言われる地があった。蛇神様を祀ってから、本山町の人でハミにかまれた人はいないということだ。
 蛇神様は八王子様ともいう。高千帆中学校の近くに八王子神社がある。神殿と鳥居のある立派なお宮だ。このあたりも蛇害に悩まされ、ハミよけの神として建てられた。つまり本山と同じ御祭神を祀るお宮である。
 この神々は天照大神須佐之男命の誓約(ウケイ)において生まれた五人の男神と三人の女神をさす。このうち三女神は宗像三女神として海上交通を守護する神になるが、五男神は大蛇を退治した須佐之男命の子であるから蛇に強かろうということで、蛇害除去の神として祀られるようになったと思われる。
 本山の蛇神様は少しなまって「はっちょうじ様」とも呼ばれている。なお、左側の祠は観音様である。
   郷土史家  河本寅雄
   本山ふるさとづくり協議会 

本山岬のビュースポットは砂岩に開いた、くぐり岩ですが、波も荒く遠くから眺めるだけにしました。近くで見ると、砂岩に入った節理にそって浸食がすすんで穴が開いているような感じですね。

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本山岬
 本山岬周辺では、原料となる粘土、燃料となる松、穴窯(あながま)を構築するのに適した斜面、船による製品搬出に適した港に近い立地などの良い条件が揃っていたことから、6世紀末頃須恵器が生産されました。当時作られたイイダコ漁用のタコツボは、今でも時々岬の浜辺で打ち上げられ、1400年前とのつながりにロマンを感じることができます。
 地質は砂岩層や礫岩層のため、風波などの浸食で歳月と共に少しずつ形を変えてきました。昭和初期の頃までは岬とつながっていたくぐり岩ですが、昭和10年頃崩れ落ち、今の岬とくぐり岩の形になりました。
 またくぐり岩手前にウミガメに似た亀岩があるほか、砂浜に琥珀が打ち上ることもあり、様々な魅力で楽しませてくれます。

本山岬公園「くぐり岩」
 本山岬は、市の最南端にある岬で、周防灘に突出するように海に面しています。約4000万年前の地層が露出し、浸食や風化を繰り返しながら、長い歳月をかけ形成された奇岩がそびえ立ち、中でも干潮時にしか近づくことができない「くぐり岩」を望む風景は訪れる人に感動を与えてくれます。
 潮の満ち引きや朝夕の光によってその表情を変える奇岩はどこか幻想的で、悠久の時の流れに思いを馳せながら、静かに奇岩を眺めるのも趣があります。 

 

小野田支線:長門本山駅 (ながともとやま)

(浜河内) - 長門本山                         (訪問日: 2021/03/27)

浜河内駅から更に線路沿いに南下して、終点の長門本山駅へ。家の並ぶ旧道で海際まで出ると、県道354に合流した所が駅への入口です。
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長門本山駅はホームに隣接した待合所が一棟だけの無人駅。自動券売機、自動改札機は非設置、飲料自販機もトイレもありません。県道からの入口が広場になっていて、駐車スペースは1~2台分、駐輪場は特にありませんが広場入口に数台駐輪中。

ホームから見返した線路が丘陵を緩やかに蛇行しながら下ってくるのが、なかなか良い味を出し、周りには何にもなく駅だけポツンとした様子、ほんとに"終着駅"という雰囲気です。
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ホームは1面1線で浜河内駅から見て左側(東側)がホーム、ホーム長は49歩。
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浜河内駅でも確認したけど、列車は1日3往復。朝7時半に乗ってきたら、帰るのは11時間後。う~ん。

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下は駅前広場にあった観光マップ。わざわざ3km弱の支線を作って、岬の先の何にもない所に駅を建てたんだろうかと疑問だったんですが、ここの書いてあるように、この少し先に炭鉱があったんですね。書いてある事に気づかずに、本山岬へ行くときに通り過ぎてしまいました。(でも坑口跡のあるあたり、完全に住宅街ですね)

旧本山炭鉱斜坑坑口跡

本山地区の石炭の発見は江戸時代の嘉永年(1848~1853年)に遡り、沖合400m付近に石炭の露頭がある事が知られ、小舟で採取したことに始まりました。明治30年に会社が設立され、一時中断再開されたが昭和38年閉山しました。斜坑坑口跡は大正6年に新設されたものです。この遺跡は平成10年に市指定文化財に指定されました。

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小野田線支線:浜河内駅 (はまごうち)

(雀田) - 浜河内 - (長門本山)                         (訪問日: 2021/03/27)

雀田駅から本山岬へ向かう支線沿いに南下し、浜河内駅に行ってみました。浜河内の集落に入って簡易郵便局の信号の角を曲がって踏切横が駅になります。

下の写真は線路沿いに本山岬まで続く道路。浜河内という地名は明治初期の地図にも出てくるので、この道も、角の郵便局もその頃からあるものかもしれません。
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郵便局の角を曲がって、下の写真の先に見える踏切脇が浜河内駅
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浜河内駅はホーム上に待合所が一棟の無人駅、待合所には踏切脇の敷石の道から入ります。御覧のように駐輪場、駐車場は無く、二輪車なら1台が何とか停められます。待合所の駅名看板は退色していてかろうじて読める程度。自動券売機、改札機、トイレの設置は無し。飲料自販機や売店、飲食店は近所にもなさそうです。
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ホームは1面1線で長門本山駅に向かって左側がホームです。ホーム長は62歩。

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小野田支線は朝2往復、夕方1往復だけです。