tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

小野田支線:沿線-本山岬

(長門本山) - 本山岬

小野田線の終点、長門本山駅の先へ行くと、周防灘に突き出した本山岬があります。小野田、宇部、徳山と多くの素材系工業地帯があるせいか、岬の先端からみる周防灘にはタンカー、貨物船が並んでいます。(といっても遠すぎて写真では、うまく映ってないですが)

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岬の上の広場にある金毘羅宮は明治に勧請されたもの。

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由緒
抑も金毘羅大権現は天竺箸闍崛の山神にして仏法を守護し衆生を済度し給ふことは金毘羅天童子大宝積経等に徴しても明かなり。且つ常に普天卒土の人民に無量の福徳を与え、水火風の禍難を救ひ給ひたるその霊験の著しきこと、声の響に応ずるが如きわ普く人の知る所である。
讃岐国那珂郡琴平町象頭山松尾寺は、舊金光院の脇坊即ち師迹相続の先師金剛坊大僧正によってまつられし神霊なり。
時明治二十六年当地村人信仰者の集りにより、象頭山松尾寺より金毘羅大権現の御尊像を勧請せられ、堂内には金毘羅大権現本地仏大聖不動明王を安置し、徴に法灯を捧げて金毘羅大権現の神慮を慰め、処方諸難を救ひ給えと祈り、善男善女の恭敬禮拝するものの左右を離れず影の形に随ふが如く諸人の難を救い給ふ。
  例祭日 四月十日、十月十日
          本山岬金毘羅院 執事

蛇神様
 蛇神様はハミの神様、寛政七(一七九五)年に建立された。本山の南側水田一帯(今は石油タンクが立ち並ぶ)には蛇が多く、蛇谷と言われる地があった。蛇神様を祀ってから、本山町の人でハミにかまれた人はいないということだ。
 蛇神様は八王子様ともいう。高千帆中学校の近くに八王子神社がある。神殿と鳥居のある立派なお宮だ。このあたりも蛇害に悩まされ、ハミよけの神として建てられた。つまり本山と同じ御祭神を祀るお宮である。
 この神々は天照大神須佐之男命の誓約(ウケイ)において生まれた五人の男神と三人の女神をさす。このうち三女神は宗像三女神として海上交通を守護する神になるが、五男神は大蛇を退治した須佐之男命の子であるから蛇に強かろうということで、蛇害除去の神として祀られるようになったと思われる。
 本山の蛇神様は少しなまって「はっちょうじ様」とも呼ばれている。なお、左側の祠は観音様である。
   郷土史家  河本寅雄
   本山ふるさとづくり協議会 

本山岬のビュースポットは砂岩に開いた、くぐり岩ですが、波も荒く遠くから眺めるだけにしました。近くで見ると、砂岩に入った節理にそって浸食がすすんで穴が開いているような感じですね。

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本山岬
 本山岬周辺では、原料となる粘土、燃料となる松、穴窯(あながま)を構築するのに適した斜面、船による製品搬出に適した港に近い立地などの良い条件が揃っていたことから、6世紀末頃須恵器が生産されました。当時作られたイイダコ漁用のタコツボは、今でも時々岬の浜辺で打ち上げられ、1400年前とのつながりにロマンを感じることができます。
 地質は砂岩層や礫岩層のため、風波などの浸食で歳月と共に少しずつ形を変えてきました。昭和初期の頃までは岬とつながっていたくぐり岩ですが、昭和10年頃崩れ落ち、今の岬とくぐり岩の形になりました。
 またくぐり岩手前にウミガメに似た亀岩があるほか、砂浜に琥珀が打ち上ることもあり、様々な魅力で楽しませてくれます。

本山岬公園「くぐり岩」
 本山岬は、市の最南端にある岬で、周防灘に突出するように海に面しています。約4000万年前の地層が露出し、浸食や風化を繰り返しながら、長い歳月をかけ形成された奇岩がそびえ立ち、中でも干潮時にしか近づくことができない「くぐり岩」を望む風景は訪れる人に感動を与えてくれます。
 潮の満ち引きや朝夕の光によってその表情を変える奇岩はどこか幻想的で、悠久の時の流れに思いを馳せながら、静かに奇岩を眺めるのも趣があります。