tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

山陽本線:藤生駅 (ふじゅう)

(南岩国) - 藤生 - (通津)                  (訪問日: 2018/01/21)
岩国方面から来ると、藤生付近から漁協とか水産加工所とか海沿いの町っぽくなってきます。そういう国道288号から右折して、小さな駅前広場の奥に藤生駅
木造(?)平屋の駅舎、待合室には券売機(チャージは無し)、改札には時刻打刻機を設置。訪れた日曜には駅員不在ですが平日は7:30から業務開始らしい。
駅前には送迎用に5台の区画に加え、駅舎左手に月極が約30台分あり。駐輪場は右側の跨線陸橋の下に約100台分。食堂売店はなく、駅前の売店も閉店中(店舗売り出し中)。トイレはホームと構外両方から利用可。
ホーム長は本線だけあって長く、320歩(約250m)

国道188号から駅への入口
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跨線橋から見た柳井方面
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対向ホームから見た岩国方向
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ホームからみた駅裏は、もうすぐ山。
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財産標は駅舎、管理票はホームの待合室のもの。
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山陽本線:沿線-岩国空港

(岩国) - 岩国空港 - (南岩国)                  (訪問日: 2018/01/21)

岩国市街から南岩国駅へ行く途中、錦川河口の三角州にある岩国基地、その一角が岩国空港になっています。空港に入る道沿いフェンスの上の鉄条網が、基地の中にある事を思い出させます。

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空港入口に立っても管制塔とか、ボーディングラダーとか空港っぽいものが無いなあともったら、滑走路はここから更に1㎞程先の海岸沿いになるんですね。沖合拡張したためか?

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山陽本線:南岩国駅 (みなみいわくに)

(岩国) - 南岩国 - (藤生) (訪問日: 2018/01/21)

先日、地方紙の投稿写真コーナーに掲載されたローカル駅の写真がちょっと気になりました。レトロな駅舎の装飾壁、待合室の中央にすえられた木製ベンチと、それに座る女子高生、撮影場所は岩国と。
でも山口、特に岩徳線の駅の印象というと、ガランとした待合室、ベンチは壁際、殺風景なほど抑制された打ちっぱなしの壁面というもの。まだいったことの無い山陽本線の駅なのかなと思い、岩国から南へいってみました。

とりあえず岩国の隣、米軍岩国基地を過ぎた先にある南岩国駅へ。住宅地の都市近郊駅という感じで日曜午後でも学生とかで盛況。なので駅前写真をとって次へ。
駅前の斜面で立ちごけして、恥ずかしいから退散したのは秘密です。

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(2018/02/03 再訪追記)

先日は気まずさのせいで駅前しか見なかったので、日をおいて南岩国駅を再訪。駅は国道188のすぐ傍ですが、2階ぐらいの高さの盛土上に駅舎があるので、駅前は結構な急坂です。(用心しないと立ちごけします) 

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駅舎はコンクリート製平屋の有人駅。自動券売機(チャージ機能付)と自動改札(扉無し)を設置。駅前にはタクシー区画が2台、駐輪場は駅前右手に区画有り(ただし混雑していて大型二輪は無理)。駅舎には7-11が併設、トイレは構外とホームと両方から利用可能です。

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ホームから見た柳井方向。ホーム長は約320歩。
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岩国方向。
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岩国と言えばレンコン、ホームの前は一面のレンコン畑。
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アクリル製の財産標は駅舎のもの、金属製はトイレ(ホーム側)のもの。日付はどちらも昭和27年。
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(2018/02/03 更に追記)

今回の岩国探訪、きっかけは冒頭に書いた新聞投稿写真ですが、もう一度撮りためた写真を見返してみると西岩国駅みたいですね。待合室の真ん中に背中合わせのベンチ、というのはその他の駅には無かったです。

 

 

 

 

赤穂線:天和駅 (てんわ)

(赤穂) - 天和 - (備前福河)                   (訪問日: 2017/11/04)

昨年に行ったっきりだった赤穂線の写真をばアップ。

最初は赤穂駅から行くつもりでしたが、赤穂市街へゆく国道250号の渋滞を見て心がくじけたので、西の天和駅に目標変更。ところで赤穂線は旧山陽道に沿っていて、赤穂から西は基本的には国道250号に沿っているんですが、天和駅の手前は河口の埋立地の真ん中を直進。開通の1962年には既に埋め立てられてたという事かな。

国道250号線脇にある天和駅に駐車場は無く露天駐車場が20台程度、駅舎右手にトイレ設置。見ての通りの無人駅で自動券売機もなし。建物財産標は未確認。

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ホームから見た岡山方向。ホームは意外と長くて175m。
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ホームから見た赤穂方向。右手向こうの三菱電機の敷地には赤穂線から分かれた(と思われる)引込線あり。

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ところでWikipediaによれば、「天和」は元は「鷆和」で明治9年の真木村と鳥撫村が合併して出来た地名との事(駅前の信号機には旧字で表記)。駅の案内板を見ると、駅のある所が鳥撫、すぐ西隣の200mも離れていな集落が真木のようです。

両村名の「真」と「鳥」を合字して「鷆」を使ってしまう発想は現代では出てこないでしょうし、何だか関西には変わった地名が多いと思ってましたが、こうやって新地名が出来てくるんですね。

 

赤穂線:駅名

赤穂線の駅名リスト

(山陽本線:相生)
(西相生) - (坂越) - (播州赤穂) - (貨)西浜 - (天和)
(備前福河) - (寒河) - (日生) - (伊里) - 備前片上
西片上 - 伊部 - 香登 - 長船 - 邑久
大富 - 西大寺 - 大多羅 - 東岡山 - 高島
西川原
(山陽本線:岡山)

赤穂線の他の記事

赤穂線:沿線-大石神社 - tkmov(バイクとローカル線と)

赤穂線:沿線-坂越浦・大避神社 - tkmov(バイクとローカル線と)

 

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メモ:一灯点滅式信号機

ツーリング途中で見つけた一灯点滅式信号機を記録。最初は昔の形式かと勘違いしていましたが、別に現行形式だそうで「通常の交差点信号機を設置できない細街路交差点で、主従を明確」にするための信号機だそうです。*1  といっても、別に他の交差点と比べて通常の信号機が付けられない、という程の細街路とも思えないですが。(小海線のはちょっと狭かったですけど)

  

東海道本線:米原駅 (まいばら)

(醒ヶ井) - 米原 - (彦根)、(坂田)、(フジテック前)                  (訪問日: 2017/10/01)

 

関ヶ原から峠越えをして、ようやく琵琶湖畔に出て来たところで米原駅、沿道も21号から9号に変わります。

新幹線駅でもあるしローカル駅でもないので、ここは駅前(東口)の写真を撮っただけで退散。

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東海道本線:醒ヶ井駅 (さめがい)

(近江長岡) - 醒ヶ井 - (米原)                  (訪問日: 2017/10/01)

柏原から北に迂回していた東海道本線は長岡を経て、醒ヶ井で旧街道と国道21号、東名高速と合流します。醒ヶ井駅も国道21号線沿いになります。

駅舎の右半分はコミュニティセンターとの併設。駅前と向かって右側に駐車場が50~60台、駐輪場は確認できず。駅舎に売店・食堂は無いけど周囲に店舗多数(国道沿いだし、醒ヶ井宿は観光地ですし)。トイレは駅舎右手に設置。下の写真の左手には道の駅「醒ヶ井水の宿駅みゆき」で、野菜直売所とかもあります。

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f:id:tkmov:20180108113808j:plain 駅舎の表札でもコミュニティセンター併設の形式。

駅事務は委託業務らしく、1~2時間おきに30分程度開業。自動券売機は無いので、窓口閉鎖時は無人駅と同じ扱いなのでしょうけど、そうは言っても割引券とかが欲しい人は不便だろうし、実際に窓口をたたいて事務員を呼んでいる人はいましたね。

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ホームは1面1線+島式1面2線ですが、駅舎側のホームは閉鎖。ホームの端が斜めに削られてしまって物理的に利用できなくなっているのは、潔いというべきか、もったいないと考えるべきか悩むところです。島式ホーム長は歩測で約240m。

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f:id:tkmov:20180108120352j:plain 建物資産標はホーム待合室の物です。

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おまけ:柏原以西の民家にはベンガラ色が使われていましたが、醒ヶ井駅では駅舎の柱が赤色。

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県境の向こうの関ヶ原ではこういう装飾は無かったので(あちらはどちらかというと白壁と黒)、この地域差が気になっていたところ、醒ヶ井で見たのが下の案内板。丹生という地名からするとかつては辰砂(赤塗料の元になる酸化水銀)が採れていたのかもしれません。そうはいっても、息長丹羽真人(醍醐天皇の頃)の伝記には辰砂の話は出てこないし、仮に奈良時代以前に辰砂が採れていたとして近世の流行に繋がるというのも考えにくいし、そもそもあの色付けは多分ベンガラ(酸化鉄)で辰砂とは別だと思うし、単なる街道筋の流行だったのかなあ。と色々と疑問は広がってしまうのです。

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東海道本線:近江長岡駅 (おうみながおか)

(柏原) - 近江長岡 - (醒ヶ井)                  (訪問日: 2017/10/01)

柏原から西進して長岡あたりで東海島本線は、国道21、名神高速、旧中山道からも離れて北に迂回します。線路沿いの道も農道とかを経由して紆余曲折しながら、長岡駅付近でようやく県道244にでてきます。だいたい、この県道244って明治時代の旧東海道線の跡なのでは?、というのは帰って来てから地図を見て気が付いたこと。

長岡駅は県道に面した有人駅(委託かもしれないけど)、自動券売機はチャージ対応、自動改札は無し。駅前広場には送迎用駐車場あり、駐輪場は確認できず。広場に面して喫茶店の看板はあれど営業しているかどうか少々疑問。

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ここは伊吹山の最寄駅なので、湖国バスの車庫には伊吹山のスキー場の看板がかかっていますが、ホームの案内板ではスキー場の案内が消されていたのが気になります。

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待合室の奥はある、何かいわくありげな煉瓦壁。真ん中の窪みは何かイコンがかかってそうな感じ。
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ホームへの連絡地下道
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下りホームから見た米原方面。こちらのホーム長は約230m、対向の上りホームは約240mで、両ホームは約40mずれた千鳥配置です。
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上りホームから見た関ヶ原方面。丁度正面に伊吹山が見えます。
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伊吹山の名所案内でスキー場とリフト案内が消されているので、スキー場が閉鎖されたのか。
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建物財産標は順に、駅舎、下り線ホーム待合室、上り線ホーム待合室のもの。
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おまけ:長岡駅付近の家には梁や軒下にベンガラの赤色を付けているところが多い(柏原宿よりも少し控えめですが)。古い家だけではなく、下の写真の様に新しそうな家でも軒下の材を赤色に塗っているので、根強い伝統なのかも。

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東海道本線:沿線-柏原宿

(関ヶ原) - - (近江長岡)

柏原駅前には旧中山道が通り、柏原宿の街並みが残っています。江戸時代は、木曽、揖斐、長良川から琵琶湖へ抜ける中継路として栄えたところです。道路探索という意味ではこういう旧街道も辿ってみたいのですが、現有鉄道と違って旧街道は事前調査しないとなかなか現地では辿れないし、たまたま出会った部分を探索することになってしまいます。

下写真:R21から柏原駅・旧中山道に入る脇道。
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下写真:柏原駅前から東の中山道
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下写真(3枚):柏原駅から中山道を西へ進む。
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柏原宿の西端の一里塚。碑の建っているところからすると橋のたもとの樹が一里塚にみえますが、その奥の小塚が復元された一里塚です。
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こちらが復元された一里塚
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(復元)柏原一里塚

一里塚は、旅人の里標(みちのり)の目安・駕篭・馬の乗り賃の目安と旅人の休息場所として作られた。

 慶長九年(1604)、徳川家康の命をうけ、秀忠はまず東海道中山道北陸道での一里塚築造に着手した。そして奉行には永井弥右衛門白元・本多佐太夫光重を任命、江戸は町年寄の樽屋藤左衛門・奈良屋市衛門、街道沿いでは天領は代官、私領は領主に工事参加の沙汰が出された。工事現場の総監督はすべて大久保長安が担当した。
 一里塚の規模は、五間(9メートル)四方に盛土して、一本または複数本の木が植えられた。おもに榎が選ばれた。成長が早く根が深く広く張って塚が崩れにくい利点から採用された。
 柏原一里塚は、江戸日本橋から数えて百十五番目で、柏原宿内の西見附近くに街道を挟んで北塚と南塚があった。(両塚とも現存しない。)
北塚は、街道沿いに北側で、愛宕社参道の石段東側(現仲井町集会所)の場所にあった。
南塚は、街道を横切る接近した二筋の川のため、やむを得ず東側のの川岸で街道より奥まった所に築かれた。(現在では、大幅な河川工事が行われたので、この地点から東寄りの河床の位置になる。) なお、江戸時代刊行の道中記等を見ると、両塚とも三本の榎が描かれている。

東山道と九里半街道
(古道東山道の道筋)
 東山道は、横河駅があった梓を中山道と同じ道で東へ進み、長沢を過ぎ、ここ北畠具行卿墓参道入口のある谷間で、中山道と別れ山越えする。

 徳源院のある清滝へ降り、右へ折れ、成菩提院裏山の北側を東進する。
 JR野瀬(山)の踏切に至り、再び中山道と合流して、県境長久寺へと向かう。

(九里半街道)
 中山道関ヶ原宿と番場宿の間は、九里半街道とも呼ばれた。
 木曽・長良・揖斐三川の水運荷物は、牧田川養老三湊に陸揚げされ、関ヶ原宿から中山道に入り番場宿で、船積の米原湊道へ進む。
 牧田から米原湊までの工程は九里半あった。関ヶ原・今須・柏原・醒ヶ井・番場の五宿は、この積荷で、六、七軒と問屋場が多かった。

 

ところで、柏原宿ではベンガラで赤く飾った旧家が目立ちます。これはここだけではなく、米原付近までの街道筋の特徴なのですが、その理由は醒ヶ井駅の近くで明らかになります。

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おまけ:中山道東山道の分岐点にある一灯点滅式信号機。
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