tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

境線: 後藤駅 (ごとう)

(富士見町) - 後藤 - (三本松口)                        (訪問日: 2019/04/20)

境線に沿った道がないので一度県道まで出て、ローソンの角を曲がった路地の先が後藤駅
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後藤駅は駅前広場の奥に木造平屋の駅舎のある無人駅。駅前には駐車スペースが数台と月極が6台分、駐輪場は約30台分。駅舎は待合室以外は閉鎖されているので店舗などは無し、自動券売機も駅舎ではなくホーム上の待合所にあります。便所は駅舎右手に別棟で設置。Wikipediaによると境線敷設の功労者の名をつけた駅名との事。方谷駅の案内板で「人名由来の駅名は方谷駅だけ」と書いてあったけど、実際は結構あるみたいです。(方谷駅案内板では「当時としては唯一」と書いてあったけど、開業年は後藤駅(M35)の方が方谷駅(S3)より古いしなあ)
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駅舎に接続するホームはなく、島式1面2線で駅舎からは構内踏切で渡ります。
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ホーム長は219歩、下の写真はホームから見た米子方面と後藤総合車両所とその先に見える大山。車両所への引込線はありますが、徒歩の入口はなさそうなので、やはり最寄り駅は隣の富士見町駅ですな。
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下はホーム上、境港側の端に立つ待合所。
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隣接するショッピングセンター(ホープタウン)に接続する境港側の出入口。見ている限り、ほとんどの乗降客はこちらの出入口を使っているようです。なので自動券売機はホーム上なんでしょうね。
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こちら側にも駐輪場があるし、ショッピングセンターの2,3階が駐車場なので車で乗り継ぎも便利そうです。(夜間早朝は閉まっているかもしれないけど)

 

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おまけ:ここの駅舎の瓦もJRマーク付き
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境線: 富士見町駅 (ふじみちょう)

(博労町) - 富士見町 - (後藤)                    (訪問日: 2019/04/20)

境線は18kmに15駅なので駅間距離は平均1kmと短いのですが、富士見町駅から博労町駅が0.5km、後藤駅までが0.7kmと一段と狭くなっています。狭いのは駅前の道もそうで、ホーム横の狭い路地は駐輪場のために更に狭い。でも博労町駅もそうですが、路地が狭いが故にか、放置自転車もなく整列した様子は少し気持ち良い。

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富士見町駅は住宅街の中、国道9号バイパスをはさんで後藤総合車両所前にある無人駅。駅舎は無く境港に向いて左側(南西側)にホーム1面、ホーム上に待合所(というか屋根)が1棟。その下のボックスには自動券売機(チャージ機能付き)があり。建物財産票は確認できず。たぶん駐車場はありません。
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JRになってからの新設駅なので、狭い敷地に狭いホームが1面のみでホーム長は120歩。駅名からして大山が見えるかと思ったのですが、家並に隠れて見えません。下の写真は米子方面の風景で、この撮影の直後にはホームが通学の中学生で埋まってしまいました。
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こちらは境港方面。向こうに見えるのは9号線バイパスで、皆生温泉に行く皆生街道。そのバイパスの向こうは、もう後藤総合車両所になります。
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ホームの幅が狭く、駅名標はパノラマモードでないと全体が入らない程です。
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駅名標にわざわざ「後藤総合車両所最寄り駅」と書くところを見ると、隣の後藤駅に間違えてゆく人が多いんでしょうか。といっても鉄道関係者以外の一般客が車両所に用事があるとは思えないし、鉄道関係者なら最寄り利用駅の事情も知っていると思うんですけどね。

それと隣駅は「博労町(まち)」で、ここは「富士見町(ちょう)」と読みがぶれているのは、設置時代のせい?

 

境線: 博労町駅 (ばくろうまち)

(米子) - 博労町 - (富士見町)                      (訪問日: 2019/04/20)

 

米子駅から線路に並走して国道181を渡ったところが博労町、米子の商業地だったらしく、今でも焼杉板壁の大きな民家が並ぶ地区です。下の写真、国道わきの商家風民家の角を曲がった先の踏切横に博労町駅があります。

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博労町駅は踏切脇のホーム端に待合所が建つ無人駅。待合所内に自動券売機があり、自動改札機はなし。待合所と背中合わせにトイレ(水洗)も設置。周囲は住宅、工場、寺社、商家が立て込んでいて道も狭く駐車場は無いのですが、この狭い道が結構、交通量があります。駐輪場はホーム脇に一列駐輪。(きれいに並んでいるので、ドミノ倒しができそう)
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ホームは米子駅方向から見て右側(北東側)に単式1面でホーム長は116歩。山陰本線から分岐する境線のカーブに沿って、駅自体が緩やかにカーブしています。下はホームから米子方面を望む。
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こちらは境港方向。500mに隣の富士見町駅があるのですが、緩いカーブになっていてちょっと確認できず。
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山陰本線:東山公園駅 (ひがしやまこうえん)

(伯耆大山) - 東山公園 - (米子)                    (訪問日: 2019/04/20)

米子の中心部から東へ、9号線の裏道みたいな県道を通って東山運動公園=どらやきドラマチックパーク米子の前にある東山公園駅です。運動公園はたいてい山奥の交通の便の悪いところにあるので、こういう風に隣接駅があるのはいいですが、停車する列車が1時間に1,2本しか無いのが玉に瑕。15分くらい見てる間にも、特急、快速は何本も通るんですけどね。

運動公園の駐車場から見た東山公園駅。手前の建物は駅舎ではなく待合所とトイレ。駅舎は無い無人駅で、上下線各々の盛土上にホームと待合所を設置(ホーム長は161歩)。券売機はなく、公園側のホーム入り口にタッチ式改札機があります。公園の反対側(北側=上り線)ホームに出入り口はなく、公園側に跨線橋で連絡。公園用の駐車場・駐輪場に接しているので、駐車には困りません。平成になってからの新設駅のせいか、建物財産票は確認できず。
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公園側ホームから見た伯耆大山方面
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ホームから見た公園内の野球場。右手方向には小川を渡って陸上競技場があります。公園には売店・食堂などはありませんが、少し行くと国道9号にロードサイド店がいくつかあります。
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駅は山陰本線がちょうど大山の方向に向きを変えたところにあるので、向こうから特急がくれば絵になるなあ、と思ったけど、そういう時に限って何にも来ません。(まあ時刻表なんか関係なしにバイクを走らせてますからねえ)
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山陰本線: 米子駅 (よなご)

(東山公園)(博労町) - 米子 - (安来)                    (訪問日: 2019/04/20)

 

米子の町中にある米子駅、駅の隣には交番もあるし、さすがに駅前の歩道にバイクを放置もできず、駐輪場を探すも大型は駐輪禁止。しようがないので交番でバイク用駐輪場を聞いてみると「駅の近くにバイクを停めるところはありません」とつれない返事とともに、「少しの間なら交番の前に停めてもよいよ」と優しい計らいです。まあ、交番が歩道広場の奥にあるので、そこまで押して登ってゆくのは少し大変でしたが。(松江駅出雲市駅は大型二輪用の区画もあったのに対して、鳥取や米子は少し冷たいんじゃないかな)

(米子駅駅舎正面と、その左隣にある交番の前に停めたトランザルプ)
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米子駅ICOCAエリアになって、ICOCA対応券売機や改札機が設置されてます。
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ホームは単式1面と島式2面で跨線橋3本で連絡されていますが、西側跨線橋は工事のため閉鎖中。下は4番線から見た松江方面でホーム長は250歩。駅舎横にある0番線は100歩です。
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で、こちらが境線が入る0番線ホーム。境線の様式の通り妖怪仕様で、米子駅ねずみ男だそうです。

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おまけ:引込線に停車中のラッセル車(だと思う) 
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山陰本線:由良駅 (ゆら)

(下北条) - 由良 - (浦安)                    (訪問日: 2019/04/28)

浦安から東へは線路沿いに加勢陀川を超える道がないので、海岸に戻って国道9号で由良駅に向かいます。途中から9号線はバイパスができて更に海岸線に寄りになってしまうので、ここは旧国道を走って由良宿の手前で南に曲がって由良駅に着きます。

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駅に近づくにしたがって、何やら親子連れや自転車に乗った小学生が増えてくる。周りをパチパチ写真に撮っているし、今までの駅と違うぞ、と思って駅を見てみると、あーそうでした、ここは例のコナン駅でした。

駅前は親子連れでいっぱい。待合室にも10人以上いて、人を写さないように遠慮してアングルをとるのも大変。至る所にコナンのポスターが貼ってあります。
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由良駅は平屋スレート葺の有人駅。窓口以外にも自動券売機(チャージ機能なし)が設置、トイレは駅舎の外側。駐輪場は駅舎西側に屋根付きが多数。ただし自転車サイズで壁で囲ってあるので、大型バイクは非常に停めにくいです。駐車場は見当たらず。駅周辺に売店・食堂もあり。

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ホームは2面2線で対向ホームの南側には保線用引込線がついるので、かつては島式ホームだったのかも0。ホーム長は駅舎側が約180歩、対向ホームが150歩で、相互は跨線橋で連結されてます。

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跨線橋には山陰でよくみる、小窓がひとつだけ付いているタイプで、通路内にもホームにもコナンのポスターやプリントが多数あり。
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下は島式ホームから見た下北条方面と、浦安方面。駅舎側の1番線が直線化されているのが分かります。
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ところで待合室や駅前には写真や動画を撮る親子連れでいっぱいなのに、入場券を買ってホームに入るのは私一人。なんだか普段より"鉄"属性が高くなったような感じでいやだなあ。入場券は140円しかしないのでホームの看板も見てあげればよいのに。

駅舎に戻った時に改札の駅員さん(女性)に「これだけ見学者がいても、だれもホームには入りませんね」といったら、「いえ、何人かは入ってゆかれましたよ」と上品に対応されてしまいました。でも、もしかしたらその人も鉄属性の人かもしれませんよ。(私は違いますけど)
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建物財産票は島式ホームの上屋にあったもので、スレート管理票も同じサイズ。

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山陰本線:浦安駅 (うらやす)

(由良) - 浦安 - (八橋)                   (訪問日: 2019/04/28)

八橋駅から国道9号を通って、駅前交差点から浦安市街地へ南に入ったところに浦安駅があります。(よく似た駅名に間違って行ってしまうという話を聞きますが、さすがに新浦安駅と間違える人はいないだろうな)

地名で言えば、浦安駅のある場所は西隣の八橋町の範囲だったので開業時は八橋駅、その後に八橋町中心に駅が出来たら駅名をそちらに譲って、ここは東八橋駅になるわけです。八橋町は明治から町制、浦安が町制になるのはようやく昭和17年ですから、当初は八橋のほうが優勢だったんでしょうね。そして昭和29年に八橋、浦安も含めて東伯町ができる頃は、その中心の浦安が栄えてきて駅名に使われたという感じではなかろうか。

下は県道から駅前広場に入るところ。
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浦安駅は木造平屋瓦葺の有人駅。駅舎右手のスレート葺の建屋は昔の貨物取扱所の跡か。駅前広場は広く東半分に駐車場が約10台分とその他に月極がいくつかありますが、隣の病院との共用かもしれません。駐輪場は駅舎右手に屋根付きで多数。駅舎に食堂売店はありませんが、駅前ビルにお好み焼き屋などあり。トイレは駅舎横で改札内と外の両方で利用可。
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駅舎内には券売窓口と自動券売機(チャージ機能なし)がありますが、列車の来ないときは特に改札はなし。訪れたときは列車待ちの登山装備の人が5,6人、駅舎前に輪行の人が1人いて、休日でも利用者はいる様子(遠慮して写真では写してませんけど)。でも大山への登山ルートとしてはここは少し遠いような気がしますけどね。

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ホームは2面2線ですが、島式ホームの外側には保線車両用の線路が残っています。ホーム間は跨線橋で連絡、ホーム長は171歩で双方のホームは約20歩分、千鳥配置になっています。
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屋根は赤瓦葺ですが、鬼瓦には例のJRマーク付き。青瓦のJRマーク付きは多いですが、赤瓦では今のところ岩美駅下市駅とここの3カ所くらい。でも下市駅のは他の2駅と少しデザインが違うんですよね。(それとも見る角度のせいかな)
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島式ホームの外側に止まっていたモーターカーとマルチプルタイタンパー(だと思う)。モーターカーはいろんな駅に止まってますが、みんな少しずつ外観が違ってて、同じのがないんじゃないかと思います。

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山陰本線:八橋駅 (やばし)

(浦安) - 八橋 - (赤崎)                    (訪問日: 2019/04/28)

ここのところ仕事が忙しくて、過去のツーリング記録を書き込めませんでしたが、徐々に再開します。

閑話休題

赤崎駅から東へ赤崎道の駅までは国道9号がバイパスで結んでますが、ここは海岸線の旧道で港町をトロトロ走るのが趣があります。(写真を撮るのも忘れるほどまったり走れますから)

海岸線から国道9号に戻ったとこにある道の駅で海産物をお土産に買って、ここからは国道を進んで八橋駅前交差点を南に入ると、電機工場の奥に駅前広場を備えた八橋駅があります。「山陰本線八橋駅」という漢字の字面だけを見ると京都にあるのかと思ってしまいますが、ここの読みは「やばし」で昔は陣屋のあった場所だそうです。(といっても京菓子の八ッ橋由来の地名といえば、知立八橋村ですけどね)

大きなペンション風の駅舎に見えますが、この建物は八橋ふれあいセンターで駅の待合室は右手の一部屋分です。駐車場はふれあいセンターの前に4,5台分を駐車か、駐輪場は建屋の右手に屋根付きで35台分。食堂売店はないですが、北の海岸線にかけては海水浴場もあって、何らかの店舗がありそうな様子。

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待合室内には時刻表やベンチ、トイレがあり、飲料自販機は建屋外に設置。無人駅なので改札はありませんが、ラッチだけは古い木製でもしかしたら建て替え前のを残しているのかもしれません。

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ホームから振り返った改札口
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ホームは1面1線の棒状駅でホーム長は228歩。下はホーム上の待合所と赤碕駅方面の風景。
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こちらはふれあいセンターからホームに登ってくる斜道と深浦方面。
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自動券売機は下の写真の背後にあります。
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建物財産票はホーム上待合所にありましたが、記銘が消えていてただのアクリル板です。(堀込をしてないタイプだったらしい)
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ふれあいセンターに掲示してあった旧駅舎の写真。海水浴場への臨時駅から出発したにしては、結構立派な駅舎だったようです。
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ここは中世には八橋城が、江戸時代は陣屋があって東伯の中心だったらしく、東隣の現深浦駅の位置まで旧八橋町だったらしい。だから今の深浦駅が開業時は八橋駅と呼ばれていたのではないですかねえ。(御来屋駅名和駅の関係とか、山陰本線の駅名にはややこしいところが多いなあ)

山陰本線:沿線-名和・御来屋の地名と駅名 - tkmov(バイクとローカル線と)


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町指定史跡  八橋城跡 (昭和49年5月1日指定)
 この城山は山陰線の開通により分断されたが八橋城跡である。中世、行松氏の居城で大江場とも号した。
 大永四年(1524年)ここを攻略した尼子経久は城番として吉田左京亮を置いて伯耆支配の拠点とした。その後、尼子氏を滅ぼした毛利氏は杉原重盛に城を守らせた。天正年間に入り織田氏と対決するようになると、八橋城は山陰での毛利勢の中心拠点として重要視され、城の整備がすすめられた。「伯耆民談記」によれば東に大手を構え、本丸と二の丸があり、周囲に堀を巡らせていた。豊臣治下では南条氏が領有したが、関ヶ原の合戦後の徳川治下で一時期、中村氏、市塙氏が封ぜられた。
 元和三年(1617年)池田光政鳥取藩主になったとき一藩一城製で廃城となる。寛永九年(1632年)池田光仲入国後、津田氏が八橋を領有し、以後明治維新まで陣屋を置いて治めた。
 津田氏の菩提寺体玄寺(南西200m)の西丘陵上に津田家の墓所がある。雄大な墓碑十一基が往時を偲ばせている。
  平成十六年9月
  琴浦町教育委員会

 

下は駅の西隣にある古い木造校舎に見える水産加工場か酒蔵(地図だと醸造所のようですけど)。屋根が白く塗装されているのは日射予防のためか。
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駅の南の蔵付きのお宅。このあたりの海沿いの民家は屋根棟先に鯱をのせた、鯱地帯です。
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山陰本線:赤碕駅 (あかさき)

(八橋) - 赤碕 - (中山口)                      (訪問日: 2019/04/28)

山口駅から山陰道の旧街道を進んで、赤碕の集落で山側に右折して赤坂駅に到着。今までの駅に比べて、駅前ロータリーや駅裏への自由通路も備えた、ちょっとあか抜けた駅です。

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駅舎左手には駅北側への自由通路(でも北側には駐車場しかないですけど)、その前には送迎用の駐車枠が10台程度、駅北側には多数駐車可。駐輪場は駅舎右手に屋根付きで約200台分(ただし大型バイクはちょっと入りません)。トイレは駐輪場近くにあり、外側とホーム側の両方で使用可能。ロータリー周囲には旅館や売店などが点在しています。

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駅舎は木造平屋トタン葺。待合室には発券窓口機がありますが、お昼は休業で次は12:55から業務再開、ですのでその間は自動券売機(チャージ機能なし、入場券あり)を利用します。 待合室の反対側には、昔KIOSKがあったらしい窪みがありますが、今は飲料自販機の置き場になっています。

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ホームは1面1線(駅舎側)+1面2線島式で、各々のホーム長は348歩と275歩で山陰本線としては結構長いほうです。下の写真は島式ホームから見た米子方面と駅舎側ホーム。対向の島式ホームにはスレート屋根とプレハブタイプの待合室が一棟あります。
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下は駅舎側ホームから見た倉吉方面。右手には自由通路で連絡された駐車場が見えます。
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下は駅舎側ホームから対向の島式ホームと米子方面を見る。
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待合室にあったバス路線図。基本的には倉吉のバスエリアの西端に位置することになっていて、ここから西へのバスはないのかもしれない。
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駅舎前の植栽に立っていた「開業百周年記念碑」。因美線では「全通記念」が碑になっていたのに対して、山陰本線は各駅で「駅開業記念」を取り上げているのが特徴ですが、山陰本線は長くて少しづつ開通した事が影響しているのでしょうか。
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赤碕駅は下市や御来屋に比べて、パステルカラーのペンキ塗装やトタン屋根で少し洋風ですが、庇下のこういうところにも飾り付きのバナーハンガーがあったりして、メルヘンタッチを演出しています。もし開業時からの装飾なら、なかなかハイカラなデザインだったと思います。

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山陰本線:沿線-赤碕 河本家住宅

(中山口) - - (赤碕)

大山北麓の山陰本線沿線を走ると、農村地帯と漁村地帯(近世は海上交通地帯というべきか)が交互に現れますが、御来屋駅から赤碕駅にかけては街道が海から離れて農村地帯になります。そういう農村地帯のかつての繁栄ぶりを残す史跡として、赤碕駅西側の街道筋で古民家の展示を見かけました。

100m四方はありそうな大きな敷地と、その外からも見える大きな藁葺屋根の主屋が印象的ですが、時間がないので路傍に掲示されている案内板を撮影して、先に進みます。

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国指定重要文化財(建造物)
河本家住宅(かわもとけじゅうたく) (指定年月日 平成22年12月24日)
 河本家は尼子氏の家臣であった弥兵隆任を初代とし、寛文年間(1661~1673)、五代弥三衛門のときに当地に移り住んだとされ、以後、代々大庄屋などの要職を務めた。
 河本家住宅の主屋は、寄棟造、茅葺の居室部と、切妻造、瓦葺の客間部からなる。貞享5年(1688)建築の居室部は、寄棟造の屋根に棟石を置くなど、当地方の特徴をよく伝え、宝永4年(1707)建築の客間部のオクノマは、木の皮を残して加工した杉材を多く用いて透彫の欄間を入れるなど、洗練された意匠である。そのほか、文政3年(1820)の離れ、文化3年(1806)の味噌蔵及び米蔵天保13年(1842)建築の新蔵、安永8年(1779)建築の土蔵や、江戸末期から明治にかけて建てられた門及び納屋、米蔵及び大工小屋が残る。
 河本家住宅の主屋は、江戸中期の山陰地方における農家の住宅形式をよく伝える大型民家であり、かつ建築年代の明らかな民家としては山陰地方で最古に属す。また蔵などの付属建物を含めた宅地構成は、当家に伝わる嘉永期の家相図とよく符合し、豪農の屋敷構えをよくとどめるものとして価値が高い。
  平成27年3月 鳥取県教育委員会