誕生寺駅の駅名由来になっている誕生寺、駅から北西へ約700m、バイクで数分ですので行ってみました。お寺の前には参拝用の大きな駐車場あり。山門の正面に本堂、左に観音堂、本堂の前には法然上人由来の大公孫樹。
境内の大イチョウは「逆さの公孫樹」と言われているそうですが、確かに普通のイチョウとは違うこの枝ぶりを見れば、根と枝が逆さになっていると見えますね。那岐の菩提寺にもある大イチョウから、法然上人が杖として持ってきたのが根付いたとの事ですので、次は奈義の菩提寺にも行ってみなければ。
熊谷直実の寄進で創建されてから約900年の古刹との事。不覚にも浄土宗法然の生誕が美作だったというも知らなかったし、そこに、平家物語 平敦盛の段で有名な熊谷直実が関係しているのも、意外な発見でした。
誕生寺
栃社山誕生寺は、建久四年(1193)法力房蓮生(熊谷直実)が、浄土門念仏元祖法然上人誕生(1133年)の地に、師法然上人の御徳を仰ぎ上人誕生の旧邸を寺院に改めたものです。また、蓮生は、この寺でなき上人のご両親の追善供養のため、五年間の常行念仏を修したといわれています。
以来八百数拾年の星霜を経て、境内には法然上人のゆかりの公孫樹、片目川、産湯の井戸などがあり、また法然上人二十五霊場第一番札所となっています。両幡の天下ります椋の木は世々に朽ちせぬ法の師の跡(熊谷入道詠)
誕生寺七不思議
〇逆木の公孫樹(境内)
銀杏の大木が逆さに伸びたという
法然上人十五才の旅立ちの時、那岐の菩提寺から杖にされた銀杏を地に挿された所、根が逆さに伸び、枝は本来、根っこであるといわれる。
〇御影堂の宝珠(境内)
御影堂屋根の玉は何? 人生究極のお宝!
参拝者が御影堂(本堂)を拝する時、棟の中央に置かれている「宝珠」は、まさに西方浄土の位置。人生で求めるべきところの真の宝であります「極楽浄土」の象徴と言える。
〇秦氏君・御鏡(宝物館)
母、秦氏の涙あとが残る手鏡
我が子、勢至丸(法然上人)との別れを悲しまれた母の涙のあとが残っている秦氏君・手慣れの銅鏡。
〇石仏大師(本堂脇壇)
法難を予告した石仏
天正六年、住職、深誉上人は片目川より御本尊のお姿に似た大師(法然上人)の石像を発見、手にしたところ、頭の下がったその姿に当時に何か異変が起こると感じ、御本尊を産湯の井戸に沈め隠された。その直後、浮田一門の襲撃により御影堂は破壊されたが、幸い御本尊は助かった。
〇黒こげの頭(本堂脇壇)
法然上人のお顔だけは焼けなかった文楽人形
浪花の文楽座の大火で、総て焼失した中で不思議にも法然上人の人形の顔の部分だけが焼ける事なく神々しく残っていた。
〇無垢の御影(客殿)
法然上人の御影跡が残る無垢の真木
法然上人ご誕生の際、二つの白幡飛び来て椋の枝にかかった。その初代の椋が枯れた時、真木より上人のお姿が昇天したと云う。その跡影。
〇人肌のれん木(客殿)
法然上人の肌の暖かさを保ちつづけているれん木
十五才の勢至丸、比叡山に旅立つ際、身体を暖めるために母に与えた、孝養の銀杏れん木。法然上人自らの肌の温かさを保っていると云う。
さて、誕生寺から更に西の山中にあるのが、北庄の棚田、棚田100選だそう。県道で谷沿いの急坂を登った先の稜線で少し道幅が広がって、眺望が開けます。
訪ねたときは、まだ田起こしをしたばかりで、田植えまでは間がありそうでした。
下の写真は国道53号へと稜線を下っているところ、高原の平坦地から川谷へと降りてゆきます。こうしてみると、吉備高原の端の浸食崖に棚田が作られているのが実感できます。