tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

宇部線:草江駅 (くさえ)

(常盤) - 草江 - (宇部岬)                      (訪問日: 2019/04/13)

常盤公園から海沿いまで出て県道220号を西進、宇部空港入口の交差点を山側に右折した所の踏切脇が草江駅になります。

下の写真は宇部空港入口交差点から見た宇部空港。草江駅はここを右折してすぐ。
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踏切脇から見た草江駅全景と、踏切を渡ったところにある駅前広場。駅前に駐車場が5台分、駐輪場は広場に約30台、駅舎の奥に約30台分あります。
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草江駅はホーム上に待合所1棟、トイレ1棟がある無人駅。自動券売機も自動改札機もなし。待合所はホームの上屋の半分を壁で囲んだような構造です。
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ホームは1面1線でホーム長は110歩。下の写真はホームから見た小郡(新山口)方面。ホームの先にある踏切は最近拡張されたそうで、ここを右に行けば宇部空港になります。(宇部空港HPによれば徒歩7分ですが、もう少しかかるんでは?)
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草江駅は一応、宇部空港最寄り駅ですが、それを感じさせるのは駅前の案内看板ぐらいで、それ以外はいたって長閑なローカル駅です。宇部線が1時間に1本有るか無いかぐらいなので乗継ぎには使いにくいだろうし、ここから更に10分かけてターミナルまで歩いてゆくのを考えると、新山口宇部新川からのバス便を選択してしまうかなあ。(まあ大館能代空港へ小ケ田駅から行くのよりは、はるかにましですが。って、そんな奴はいないか)
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宇部線:沿線-常盤公園と石炭記念館

(常盤) -  - (草江)                      (訪問日: 2019/04/13)

常盤駅の案内板にあった常盤公園、その中にある石炭記念館に行ってみました。

幕末の長州藩が欧州を見習って領内で石炭採掘を試みていたのは知っていましたが、ここ常盤湖のできる前、江戸時代初期には既に石炭採掘をしていたとの事で、宇部炭田発祥の地とされています。ただ実際に採掘会社が稼働するのは1900年頃らしく、これは八幡製鉄所が出来て国産製鉄が軌道に乗る時期と呼応しているのかもしれない。 (ところで字面だけみると「常磐(じょうばん)」と見間違って、常磐炭田と勘違いしそう。実際には「盤」の字が違うし読みも違うのですが、どちらも炭田で有名だったという共通点があるので、ちょっと頭が混乱しそうです)

下の写真は石炭記念館前に展示されているD51美祢線石灰石運搬していた機関車だそうですが、わざわざ25‰勾配で展示されてたとは気づきませんでした。
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で、こちらが石炭記念館と目玉となる竪坑櫓を流用した展望台、展望台から望む周防灘と宇部空港です。
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記念館の一階には坑道の再現展示、展望台には炭田の由来などの説明と炭田の写真が展示されています。

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以下、展示物からの引用です。

常盤湖

 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏は中国8か国112万石の所領から6か国を失い、長門・周防のわずか2か国30万石へと大幅に減封されました。そうした苦しいお家事情により、一旦は豊かな吉敷(現在の山口氏あたり)の地を与えられていた家老の福原氏は1625年(寛永2年)、寒村であった宇部へと領地替えとなりました。
 福原氏はこの苦境を乗り切るため、積極的に田畑の開作政策を進め、1695年(元禄8年)に常盤湖築堤に着手し、1698年(元禄11年)に完成しました。さらに、溜水、用水路工事、検地等関連作業が1701年(元禄14年)に完成し、その結果、305町9反7畝(約300ha)の水田を灌漑することができたといいます。
 工事は福原氏筆頭家老の椋梨権左衛門が中心となって行い、築堤にあたっては、本土手の位置を白髪の老人のお告げによって決めたり、池になかなか水が溜まらず、湖畔に松を植えたり、神仏に祈ったりしたという逸話が残っています。
 湖は南北に約1.8km、湖面面積約100haにおよび、掌をほぼ南北の方向に押し付けた形で、北部には指先に相当する入り組んだ地形が見られます。この入江を形づくる長く突き出した岬とそこに残された森の緑が生み出す陰影は、広大な水面の表情に変化を与え、常盤湖の景観を大変美しくしています。 

宇部炭田発祥の地と石炭記念館

 山口県の石炭に関する記述は1645年(正保2年)に刊行された俳諧論書「毛吹草」に、山陽道の宿場町として栄えていた舟木(現在の宇部市舟木)の名物として「舟木 石炭干漆ニ似、当初薪灯ニ用之」とあり、これが最古とされています。
 同時代における宇部地域の石炭採掘について述べた文献は現在のところ見つかっていませんが、1929年(昭和4年)の常盤湖干ばつの際に湖底から石炭採掘の跡が発見されたことから、常盤湖が築造された元禄11年(1698年)以前の、少なくとも江戸時代前期には宇部でも石炭の採掘がおこなわれていたと考えられています。そのため、このあたり一帯は”宇部炭田発祥の地”と伝えられ、石炭記念館がこの地に建設された理由の1つにもなっています。
 また、石炭記念館の展望台は宇部炭田の主要炭鉱の1つであった東見初炭鉱で活躍した竪坑櫓の部材を再利用したものです。この櫓は地上と電車坑道を結んだ人員竪坑の櫓として、炭鉱閉山まで多くの炭鉱労働者を運んできました。色や形状などは現役当時と比べると多少変わっていますが、イギリス洋式のバックステイ型の面影を残しており、展望台に改装されているとはいえ、竪坑櫓にのぼることができる数少ない建造物です。

 

宇部線:常盤駅 (ときわ)

(床波) - 常盤 - (草江)                       (訪問日: 2019/04/13)

床波駅から常盤駅に行くには、国道190号から宇部空港方面の県道へ左折。更にすぐに左折して住宅を抜け、坂を下ったところに常盤駅があります。(この2回目の左折がちょっと判りにくいです)
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小郡から宇部線をたどってきて、この常盤駅で初めて海に接します。
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常盤駅は鉄骨造り平屋の駅舎がホーム横に1棟、出札窓口はありますが今は閉鎖中で無人駅。待合室から直接ホームとその向こうに海が見えます。自動券売機、自動改札機はなし。ホーム上には待合所とトイレが別棟で設置されてます。海沿いの盛土上の駅なので駐車場は無く、駐輪場は駅前周辺に150台分くらい。自転車サイズのスペースしかないので、ちょっと大型バイクはこの中には入れられませんね。
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ホームは1面1線でホーム長は107歩(閉鎖部分も含めると130歩くらい)。下の写真はホームから見た宇部方面と入線する新山口行きの列車。
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下の写真は小郡方面
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建物財産票はホーム上の待合所のもので、日付は昭和13年3月。
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常盤駅は常盤公園までの最寄り駅で徒歩15分。地図をみると国道190号を横切って直行する案内になっていますが、徒歩なら可能ですが、車両だと国道の交差点が複雑なのでちょっと直進はむつかしいかも。自分の場合は結局、正面入り口のほうに回りました。
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おまけ : ホームから見える民家の屋根瓦に鯱を発見。とりあえず分布域の山陽側の西端として記録。(山陰側は江南駅まで確認済)
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宇部線:床波駅 (とこなみ)

(丸尾) - 床波 - (常盤)                    (2019/04/13)

丸尾駅を出て西進するとまた国道190号に戻ってしまうのですが、それでは面白くないので途中から旧道で床波駅に向かいます。

下は国道190号から床波への旧道の分かれ道。旧道は西岐波や床波の集落をつなぐ街道筋ですが、結構直線路が多く、道路改良された昔の国道だったような感じ。

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下は床波集落で少し先を右に入ったところが床波駅。周囲にはスーパーなどがあります。
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床波駅は木造平屋瓦葺の無人駅。駅前広場には日曜日でもタクシーが2台待機、駐車場は月極が10台程度、駐輪場は約120台分あり。駅には売店などはないけど、旧国道まで出れば店舗、食堂などがあります。自動券売機(チャージ機能なし)が設置され、自動改札機はなし。トイレは駅舎の端のホーム側にあり。
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ホームは一方が駅舎に接した相対式2面2線でホーム長は124歩、ホーム間は跨線橋で接続。

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下は駅舎側ホームから見た宇部方面。その次は山口方面の景色。
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線路は駅舎側の方が直線で対向ホーム側が分岐する形(こういうのは片開き式っていうの?。山陰本線鳥取県内でよく見る形です)
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宇部線:丸尾駅 (まるお)

(岐波) - 丸尾 - (床波)                       (訪問日: 2019/02/13)

宇部線は並走道路がほとんど無く、少し離れた国道190から駅ごとにアプローチするのですが、丸尾駅前後には1kmくらいの並走路があるので線路沿いに走ってみました。(といっても、ガードレールがミカン色という以外は別に珍しいもんではないですが)
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この沿道から離れて一旦集落内の路地を潜り抜けた先が丸尾駅です。
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丸尾駅は木造平屋トタン葺の無人駅。駅前には小さな広場になっており、自転車20~30台が三々五々駐輪。ほんとは駅舎右手に100台分くらいの駐輪場区画があります。駐車場は無し。窓口は残っているけどカーテンで閉鎖、自動券売機や改札機はなし。食堂・売店の類もありません。トイレは駅舎左手にありますが、ホーム側と外側とに半分に仕切られていて、外側は閉鎖です。(宇部線だけでなく、このあたりの山陽本線の駅のトイレもこういう仕様です)

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トイレはホーム側からだけ使えます。(今や改札がないので、この区分の意味もなくなったと思いますが)
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ホームは単式1面1線ですが、駅舎との間のスペースは昔は線路で、その左にもう1本行き止まり線路があったように見えます。
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下の写真はホームから見た山口方面。向こうの駅構外の線路を見ると、昔はホームの両側に線路があったような曲がり具合。その次の写真は宇部方面の景色です。
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山陽本線:本由良駅 (ほんゆら)

(嘉川) - 本由良 - (厚東)                       (訪問日: 2019/02/17)

宇部線廻りで阿知須駅に行った帰りに、宇部線に並走する山陽本線本由良駅に立ち寄り。山陽本線に並走する裏道から本由良駅に入ります。(駅がこの裏道を向いているので、この道が昔の街道筋だったのかも)

本由良駅は木造平屋スレート葺の無人駅。待合室に自動券売機(チャージ機能なし)が設置、駅舎事務所や窓口は閉鎖で自動改札機なし。トイレは駅舎左手にありますが、構外からの入口は塞がれていてホーム側からしか入れません。駅前広場に駐車場が5台分、駐輪場は駅舎左手に約30台、あと駅前道路わきに40~50台分あり。食堂・店舗などは無し。

ところで開業時(M33)の駅名は阿知須駅ですが、その直前に、駅のある場所は井関村(阿知須の街がある)から分離独立して佐山村になってたわけで、阿知須の人にとってはちょっと違和感があったのではないかな。更に大正になって宇部線が開業したときに、阿知須に出来た駅が本阿知須駅となって違和感が増したので、昭和25年に駅名を入れ替えたのでしょう。(最初から由良駅にしておけば、鳥取由良駅と名前がダブらなかったのに、というのはいらぬお節介か)

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ホームは駅舎に接した単式1面1線+島式1面2線で、ホーム間は跨線橋で連絡。島式ホームの駅舎側はフェンスで封鎖されて使用されていない様子で、隣の嘉川駅と同様です。ホーム長は駅舎側が314歩、島式のほうが少し長くて338歩。
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下は島式ホームから見た宇部方面。
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次は駅舎側ホームから見た宇部方面。
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島式ホームから見た山口方面
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下は跨線橋からみた山口方面。非電化路線なら遠くまで見通せるのですが、ちょうど架線架台が視界を遮ってしまいます。
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おまけ:ホームに接するトイレ。外装は新しいですが、天井裏を見るとかなり古そう(銘板どおりならS7年築)。丁寧にホーム側半分だけ仕切っていますが、今では無人駅で改札が開放されているので仕切りの役目は終えていると思いますけど。
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塗りつぶされているのは駅舎の建物財産票
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宇部線: 岐波駅 (きわ)

(阿知須) - 岐波 - (丸尾)                       (訪問日: 2019/02/17)

宇部線を北からたどると、ほとんどが山側を向いていて沿道も国道190になっていて、阿知須駅で一度海側に向いた後、岐波駅でまた山側に戻ります。下の写真は国道から岐波駅への進入路をのぞいたところ。国道からの路地の奥に広場と駅がある造りは北嘉川駅深溝駅と似ています。
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岐波駅は待合室とトイレのみの駅舎1棟の無人駅。待合室に自動券売機(チャージ機能なし)設置。駅舎右手の空地に駐車場が20~30台分、駐輪場は約90台分。駅前広場に面して薬局、病院があり、近くの国道沿いにもロードサイド店がいくつかあります。
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駅舎からホームへは構内踏切で連絡、ホームは島式が1面2線で、ホーム長が127歩。
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下はホームから見た山口方面、その次が宇部方面の風景。駅舎と反対側の線路が直線です。(これが一線スルーなのかどうかは、鉄分のない私にはわかりませんが)
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駅舎の横には海へ続く踏切。
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境線: 後藤駅 (ごとう)

(富士見町) - 後藤 - (三本松口)                        (訪問日: 2019/04/20)

境線に沿った道がないので一度県道まで出て、ローソンの角を曲がった路地の先が後藤駅
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後藤駅は駅前広場の奥に木造平屋の駅舎のある無人駅。駅前には駐車スペースが数台と月極が6台分、駐輪場は約30台分。駅舎は待合室以外は閉鎖されているので店舗などは無し、自動券売機も駅舎ではなくホーム上の待合所にあります。便所は駅舎右手に別棟で設置。Wikipediaによると境線敷設の功労者の名をつけた駅名との事。方谷駅の案内板で「人名由来の駅名は方谷駅だけ」と書いてあったけど、実際は結構あるみたいです。(方谷駅案内板では「当時としては唯一」と書いてあったけど、開業年は後藤駅(M35)の方が方谷駅(S3)より古いしなあ)
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駅舎に接続するホームはなく、島式1面2線で駅舎からは構内踏切で渡ります。
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ホーム長は219歩、下の写真はホームから見た米子方面と後藤総合車両所とその先に見える大山。車両所への引込線はありますが、徒歩の入口はなさそうなので、やはり最寄り駅は隣の富士見町駅ですな。
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下はホーム上、境港側の端に立つ待合所。
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隣接するショッピングセンター(ホープタウン)に接続する境港側の出入口。見ている限り、ほとんどの乗降客はこちらの出入口を使っているようです。なので自動券売機はホーム上なんでしょうね。
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こちら側にも駐輪場があるし、ショッピングセンターの2,3階が駐車場なので車で乗り継ぎも便利そうです。(夜間早朝は閉まっているかもしれないけど)

 

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おまけ:ここの駅舎の瓦もJRマーク付き
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境線: 富士見町駅 (ふじみちょう)

(博労町) - 富士見町 - (後藤)                    (訪問日: 2019/04/20)

境線は18kmに15駅なので駅間距離は平均1kmと短いのですが、富士見町駅から博労町駅が0.5km、後藤駅までが0.7kmと一段と狭くなっています。狭いのは駅前の道もそうで、ホーム横の狭い路地は駐輪場のために更に狭い。でも博労町駅もそうですが、路地が狭いが故にか、放置自転車もなく整列した様子は少し気持ち良い。

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富士見町駅は住宅街の中、国道9号バイパスをはさんで後藤総合車両所前にある無人駅。駅舎は無く境港に向いて左側(南西側)にホーム1面、ホーム上に待合所(というか屋根)が1棟。その下のボックスには自動券売機(チャージ機能付き)があり。建物財産票は確認できず。たぶん駐車場はありません。
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JRになってからの新設駅なので、狭い敷地に狭いホームが1面のみでホーム長は120歩。駅名からして大山が見えるかと思ったのですが、家並に隠れて見えません。下の写真は米子方面の風景で、この撮影の直後にはホームが通学の中学生で埋まってしまいました。
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こちらは境港方面。向こうに見えるのは9号線バイパスで、皆生温泉に行く皆生街道。そのバイパスの向こうは、もう後藤総合車両所になります。
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ホームの幅が狭く、駅名標はパノラマモードでないと全体が入らない程です。
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駅名標にわざわざ「後藤総合車両所最寄り駅」と書くところを見ると、隣の後藤駅に間違えてゆく人が多いんでしょうか。といっても鉄道関係者以外の一般客が車両所に用事があるとは思えないし、鉄道関係者なら最寄り利用駅の事情も知っていると思うんですけどね。

それと隣駅は「博労町(まち)」で、ここは「富士見町(ちょう)」と読みがぶれているのは、設置時代のせい?

 

境線: 博労町駅 (ばくろうまち)

(米子) - 博労町 - (富士見町)                      (訪問日: 2019/04/20)

 

米子駅から線路に並走して国道181を渡ったところが博労町、米子の商業地だったらしく、今でも焼杉板壁の大きな民家が並ぶ地区です。下の写真、国道わきの商家風民家の角を曲がった先の踏切横に博労町駅があります。

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博労町駅は踏切脇のホーム端に待合所が建つ無人駅。待合所内に自動券売機があり、自動改札機はなし。待合所と背中合わせにトイレ(水洗)も設置。周囲は住宅、工場、寺社、商家が立て込んでいて道も狭く駐車場は無いのですが、この狭い道が結構、交通量があります。駐輪場はホーム脇に一列駐輪。(きれいに並んでいるので、ドミノ倒しができそう)
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ホームは米子駅方向から見て右側(北東側)に単式1面でホーム長は116歩。山陰本線から分岐する境線のカーブに沿って、駅自体が緩やかにカーブしています。下はホームから米子方面を望む。
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こちらは境港方向。500mに隣の富士見町駅があるのですが、緩いカーブになっていてちょっと確認できず。
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