(本由良) - 厚東 - (宇部) (訪問日: 2019/07/06)
本由良駅から厚東駅までは県道216号-国道490号-国道2号とほぼ山陽本線沿いに走るりますが、駅間が12㎞と結構離れています。すぐ近くの宇部線だと5~6駅程はありそうなくらい。で、下が国道2号から厚東駅に入る交差点(北から見たところ)と駅への進入路。
「厚東駅」という字面だけみると「厚狭の東側」という事で新しく名付けられたのかな、と思いましたが下の案内板に書いてあるように、厚東氏が名乗りに使うように中世以前からの地名のようです。そういえば中心の川の名前が厚東川だったり、中世には厚狭郡が厚東郡/厚西郡に分かれたりとか、このあたりの地名の変遷は八頭郡(昔は八上郡)と八東郡の関係に似た感じがします。 まあそんな地名の由来とは別に、開業時の駅名はひと山超えた宿場町の名前をとって船木駅だった上に、船木には舟木町駅があったりしてたのですが。隣の本由良駅とか、宇部線の阿知須駅とか、どうもこの辺りの駅名の変遷はややこしい。
厚東史跡観光案内
- 「ことう駅」は明治三十三年(一九〇〇)開業した宇部地域では最古の駅で、昭和20年までは陸上輸送の拠点として賑っていた。
- 「持世寺温泉」は古くから万病に効くといわれ、年間十三万人以上の入寮者がある。この温泉は遠く厚東氏時代は戦傷者が、また昭和二十年には広島の原爆被災者が多数治療に来られた。
- 「淨名寺」厚東氏ゆかりの寺として東隆寺と共に厚東氏の歴史と文化事業を語る由緒ある古刹 (山門入口に説明板あり)
- 山口県指定史跡「霜降城跡」治承三年(一一七九) 厚東氏七代武光が築城したと伝えられる中世の山城跡。その規模は県下で最大のもので、厚東氏の防備の要であったが、正平十三年(一三五八年)大内氏の来攻によって落城した。城は、本城、前城、後城、中ノ城からなり、それぞれ説明の標柱が建てられている。
- どんだけ道 (広義には「しょうぶが浴道」までを含む) 江戸時代の山陽道跡。地元では「殿様だけが通る道」、これが訛って「どんだけ道」といわれる様になった。詳しくは下図を参照されたい。
厚東駅は山陽新幹線の高架を背負った鉄骨造り平屋の地上駅で無人。駅前広場には駐車区画が約10台分(とはいえ、駐車スペースはいくらでもありますけど)、駐輪区画はないながら20~30台程駐輪中。食堂・売店はありませんが、すぐ近くの国道2号沿いにはいくつか店舗あり。待合室には券売機(チャージ機能なし)を設置、自動改札機はなし。トイレはごみ放置がひどいため閉鎖されていました。
ホームは単式1面1線+島式1面2線で跨線橋で連絡。ホーム長は各々232歩で、90歩程度ずれた千鳥配置です。
跨線橋から見た新山口方面。電化区間は架線が邪魔で遠くが見通せません。