tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

山陽本線:沿線 多家神社(安芸府中)

(向洋) - (安芸府中) - (海田市)              (訪問日: 2017/06/17)

広島駅から向洋、海田市にかけて、山陽本線の北側に旧山陽道が通っています。広島城ができる前は、国府のあった府中を通って船越を越えて瀬野川にでるルートになります。そこでまずは府中にある多家神社へ行ってみました。

多家神社は元々、厳島神社、速谷神社に並ぶ安芸一の宮でしたが、江戸期には衰退し明治に再興されたとのこと。入口は旧山陽道に面し、境内は丘の上にあります。

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拝殿とその後ろの本殿。注連縄がロープになっているのは岩国の村社でも見た覚えがあり。

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 境内にある石碑の奉納者には最後のお殿様 浅野長勲侯の名。

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境内下の鳥居(明治42年建立)の扁額の揮毫は(たぶん有栖川宮)熾仁親王とありますが、親王日清戦争中の明治28年に亡くなられているのでは? それとも過去の扁額を再掲して建立したという事でしょうか。

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安芸国開祖 多家神社(埃宮)
主祭神 神武天皇安芸津彦命
相電神 神功皇后、応神天応、大己貴命
摂末社 貴船神社
由緒この地は、神武天皇が日本を平定するため御東征の折、お立ち寄りになったと言われる所と伝わる。古事記(712年完成)に阿岐国(安芸の国)の多祁理宮(たけりのみや)に神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が七年坐すとあり。日本書紀(720年完成)には埃宮に坐すとある。この多祁理宮あるいは埃宮という神武天皇の皇居が後に当社となった。平安時代になると、菅原道真が編し始めた「延喜式」(927年完成)に安芸国名神大社三社の一つとして多家(たけ/おおいえ)神社の名が記され、伊都岐島神社(厳島神社)、速谷神社とともに全国屈指の大社とあがめられた。
当時の主祭神安芸国を開いた安芸津彦命ほか六柱の神々であった。中世になると武士の抗争により社運が衰え、江戸時代には南氏子(松崎八幡宮)と北氏子(総社)に分れ、互いに多家神ないし埃宮を主張して論争対立が絶えなかった。そこで明治六年(1873)になって、松崎八幡宮と総社を合わせ「誰曽廼森(たれそのもり)」(現在の社地)に、旧広島藩領内で厳島神社に次いで華美を誇った、広島城三の丸稲荷社の社殿を移築して多家神社を復興した。明治七年県社となった。その後、多くの村内小社を廃して多家神社に合祀した。大正四年(1915)九月、社殿を焼失したが、全県的な奉賛を得て大正十一年四月、今日の本殿、拝殿などを再建、境内の整備を行った。なお、境内の宝蔵は三の丸稲荷社より移築した社殿の唯一の遺構であり、今となっては広島場内にあった現存唯一の建物として貴重である。現在、県指定文化財となっている。
たれその森について、「誰曽廼森」と記されている。神武天皇が、当地の者に「曽は誰そ」とお尋ねになったことからこの名がついたといわれている。

 

 

山陰本線:梶栗郷台地駅 (かじくりごうだいち)

(安岡) - 梶栗郷台地 - (綾羅木)                 (訪問日: 2017/05/28)

綾羅木駅からは県道248で綾羅木川を越えると山陰本線が県道に並走してきて、ケンタやラーメン屋のロードサイド店が並ぶ中、県道沿いに梶栗郷台地駅があります。典型的な近代の追設駅で、ホーム上に待合所のみの無人駅、自動券売機(チャージ無)と飲料自販機設置、トイレは無し。建物財産標は未確認。下のホームの写真は長門方向の景色です。

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駅裏には陸橋で移動、駐車場が8台分、駐輪場は約80台分。駅裏に隣接して綾羅木郷遺跡があります。(その先には若宮1号古墳と下関市立考古博物館もありますが、時間の関係でパス)

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史跡 綾羅木郷遺跡
所在地   下関市大字綾羅木字岡・岡の辻・若宮・惣八・打越
指定年月日 昭和44年3月11日(追加指定・一部解除 昭和55年12月23日)
指定面積  42,533.73m2
 
 史跡綾羅木郷遺跡は、綾羅木平野北側の洪積台地先端に位置する、弥生時代の集落と古墳時代の埋葬跡を主とした遺跡です。明治32~33年(1899~1900)頃発見され、昭和31~34年(1956~1959)に数度にわたり調査が行われました。その後、昭和40~44年(1965~1969)には、遺跡の下層に包蔵される珪砂の採掘に伴う発掘調査が継続して実施されました。
 発掘調査によって、綾羅木郷遺跡では弥生時代前期中頃から中期前半のわが国最大級の1,000基にも及ぶ貯蔵穴群が発見されました。貯蔵穴は深さ2m、底面の直径2mほどの大きさで、上部に覆屋がかけられ、農耕によって収穫された穀物を蓄えていたと考えられています。また、貯蔵穴群を取り囲むように、断面がV字形で幅2m以上の環濠が確認されています。
 出土遺物としては、貯蔵穴や環濠から石器などとともに大量の土器が出土し、コメ・ムギといった穀物や、モモ・クリなどの種子が炭化した状態で発見されています。このほか、当時の食生活を示す魚の骨や貝殻、イノシシ・シカなどの獣骨をはじめ、土笛や鹿の角を加工したアワビオコシなども出土しています。
 このように、綾羅木郷遺跡は、弥生社会の文化生活を知ることができる山口県西部の拠点集落として位置づけられていますが、集落を構成する住居跡は未発見で、隣接する別の場所に住居区域があったとも考えられています。また、遺跡の西側は複数の石棺を持つ墳丘墓や、前方後円墳である若宮1号墳をはじめとした古墳が築かれるなど、弥生時代中期から古墳時代には墓地としても利用されています。
 なお綾羅木郷遺跡は、高度成長期の産業開発と文化財保護のはざまで、市民・研究者・行政が一体となって調査と保護運動を行いましたが、昭和44年(1969)3月8日、珪砂採掘業者の重機によって遺跡の一部が一夜にして破壊されました。しかし、国により破壊を免れた範囲について史跡の緊急指定が行われるなど、その後の文化財保護の方向性を決定する端緒となった遺跡でもあります。
           文化庁山口県下関市

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梶栗郷台地駅から山陰本線はまた県道から離れて、北浦街道が線路に沿って走ります。一般に「街道」と名づく旧道には白漆喰や焼杉板の古民家や土蔵が並ぶものですが、北浦街道は単に住宅地に真っ直ぐな旧道が伸びている感じ。このあたりは近代になって住宅が建ってきたのか。もっと南の幡生あたりの街道筋だと様子が違っていたのかも。

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山陰本線:綾羅木駅 (あやらぎ)

(梶栗郷台地) - 綾羅木駅 - (幡生)              (訪問日: 2017/05/28)
幡生駅の南側には線路沿いの道が無いので、駅裏に出て市街地を北上。線路から離れないように2車線道路を離れて、団地の中をウロウロしつつ北浦街道に出ると、綾羅木駅前です。

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f:id:tkmov:20170614001430j:plain 北浦街道。確かこの先の交差点の右が綾羅木駅

綾羅木駅は駅前ロータリーを備えた有人駅。券売機(ICOCAチャージ無)、自販機あり。トイレも併設。駐車場は10台分程度、駐輪場は駅舎に隣接して約100台分くらい。駅舎建物財産標は未確認。

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ホームから長門方面の風景

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駅前ロータリーには美容院が1軒、このローカル駅前に美容院(散髪屋)という組み合わせは至る所で見られますが、何かのお約束でしょうか。

山陽本線:幡生駅 (はたぶ)

(新下関)(綾羅木) - 幡生 - (下関)              (訪問日: 2017/05/28)

山陰本線西端を目指すために、まずは山陽本線との合流点、幡生駅へ。下関ICから行くと、ICを出たところで国道2号が関門トンネルに入るための立体交差があり、すんなりとは幡生駅へ行く県道258には入れず、何度かUターンするはめになります。ようやく県道から幡生駅への脇道に入れたと思ったら、アンダーパスで線路を越えて駅の反対側に出てしまうし。(このアンダーパスは交互通行なので、信号に注意、危うく赤信号で進入して立ち往生するとこでした)

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久方ぶりの有人駅で券売機(チャージ機能)もあり、駅舎財産標は確認できず。駅舎前に数台分の駐車場とトイレあり。駐輪場は線路を越える跨線橋(県道258)の下にあります。駅の前は何かの工場かと思えば、JRの総合車両所でした。駅舎内には立食いうどん店の看板はありますがシャッターが下りていて閉店中?。看板やゴミ箱が置いてあるところを見ると、もうやっていないか。近所には、線路を渡った先の県道258交差点付近に店舗はいろいろあり。

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改札から跨線橋を越えるとホームの南端に出るせいか、ホームはやたら長く感じます。(実際は歩測で280歩。岩徳線の駅のホームもこのくらいだったか)

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山陰本線山陽本線駅名標

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因美線:河原駅 (かわはら)

(郡家) - 河原 - (国英)               (訪問日: 2017/04/16)

若桜線因美線は船岡-河原付近でT字路の様に合流して、北の鳥取に向かいます。それで若桜から国道53号にでようとすると、船岡駅の次に現れるのは因美線河原駅になります。

国道482号から国道53号に抜ける県道に面して、駅舎との間に駐車場は20台+月極が10台位、駐輪場(屋根付)が約50台分あります。駅は無人駅で券売機、飲料自販機、売店は無し。ホーム1面に1線、ホーム上に待合室。駅舎とホームの間には昔は線路があったと思う。

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ホームから鳥取方面を臨む

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待合室に掲げられた広告ですが、この昭和色満載の看板は現役?それとも保存資料? これらのお店は現存する様ですし、わざとレトロに書いているのかも。

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 駅名標の色は、ここまでの因美線は青色でしたが、河原駅はオレンジ。それとも現在切替中?

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f:id:tkmov:20170609235315j:plain 駅舎の建物財産標は未確認

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若桜線:因幡船岡駅 (いなばふなおか)

(八頭高校前) - 因幡船岡 - (隼)               (訪問日: 2017/04/16)

若桜駅から西進してきた若桜線鳥取に向けて北にカーブする手前、船岡駅です。国道から少し入った駅前には駐輪場が30台くらい、駅舎右手の駐車場に約10台くらいのすぺーすあり。窓口は改装されており無人駅の委託販売の様ですが、訪れた時はカーテンが閉まっており閉店(営業時間:平日 08:30-17:00、土曜 08:30-12:00、日祝 休業)ーーだいたい日曜日にバイクを乗り回しているので、どこの駅も営業時間外なんです。

券売機なし、飲料自販機有り、財産票は未確認、トイレは駅舎右手にあり。駅舎や周囲に店舗はありませんが、県道に出ればヤマザキがあります。

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ホームで鳥取方向を臨む。軒下のベンチに人形が座っているのは、ちょっと心臓に悪い。

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 ホームには、かつて牛市場で使われていた牛用秤が展示されています。

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この大きな秤は、
牛を直接乗せて牛の体重を量る秤

船岡は古来より因伯牛(いんぱくぎゅう)(黒毛和種)
発祥の地です。
享保5年(1720)に鳥取藩がこの地に
牛市場を置き、昭和5年因幡船岡駅
が開業。その時市場を駅前に大規模移
転。昭和45年(1970)に廃止となるま
で、県内外の商人が集まる山陰第一の
家畜市場があったなごりです。

 

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若桜線:隼駅 (はやぶさ)

(因幡船岡) - 隼 - (安部)                (訪問日: 2017/04/16)

いわずとしれたハヤブサの駅。8月のイベントでは数百台のハヤブサが集まるそうで、きっと付近の道路はワンメイクレースみたいになるんだろうかとか、迷惑じゃなかろうかとか、逆に心配になってしまいます。(ちょうどSSTRのゴールみたいな感じかな)。

 無人駅、券売機なし、飲料自販機有り、駅舎に売店は無いけど駅前に雑貨店と食堂あり。駅前に駐車場5~6台、駐輪場は20台分、トイレは駅舎右側の駐輪スペースの後ろ。

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訪問した際に停まっていたハヤブサ。地元の鳥取の人だそうですが、駅を案内してくれたり、隣にある鐡道展示館で店員みたいに対応していたり、半分、駅の関係者みたいな人でした。

駅舎の中にはバイクのハヤブサのポスターがいくつも貼られていて、観光客もわざわざ停まっているハヤブサを囲んで写真を撮って帰るし。なかなか交わることの無いバイクと鉄道という二つの線の、もっとも濃い接点がこの駅なのかもしれません。

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ホームから鳥取方面の景色

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駅舎に隣接する隼繹鐡道展示館。中にはNゲージジオラマとか、特急の座席とかが展示されています。(智頭駅のホームとかにもそういう座席はあったなあ)

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展示館の奥で保管されているお座敷列車。夏は宿泊できるそうです。

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若桜線:安部駅 (あべ)

(隼) - 安部 - (八東)               (訪問日: 2017/04/16)

八東駅から線路沿いの県道を進んで、次の集落の日下部にある安部駅に。集落と違う駅名になった由来は Wikipediaをご参照を。

県道を北に右折して踏切を渡ったところが安部駅。駅前スペースには駐車場が10~15台程度、駐輪場が約30台。トイレは駅入口の前に設置、看板は古そうですけどトイレ自体は新しいような気がします。(基礎がコンクリだし)

駅舎とプラットホームは登録有形文化財の木造平屋、美容室が併設されているのは丹比駅等と同じです。(若桜鉄道に限らず、駅舎に入居していたり駅前の店が美容室、散髪店のケースが多いのは何故なんだろう。タクシー会社というのも良くあるんですが、酒屋とか食料品店とかをあまり見ないんですよね。)

委託販売の無人駅で券売機はなし、飲料自販機は駅前にあり、食堂売店は駅舎・周囲には無し。待合室の入口はめずらしく妻口にあり、軒下の入口が美容室用になっているせいで、待合室は少し狭く、いびつな形になっています。本来は軒下の入口が正面だったんではなかろうか。

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ホームには木造待合室が一棟。写真は鳥取方向の風景。若桜駅では満開だった桜が、ここでは葉桜です。ホームには車でやって来た祖父と孫らしき観光客。桜の季節という事もあり、列車から降りて駅を見て回る人も数人あり。

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若桜線:八東駅 (はっとう)

(安部) - 八東 - (徳丸)               (訪問日: 2017/04/16)

徳丸駅からは八東側左岸に移って県道6号で八東駅へ。八頭町にある八東駅・・・ややこしい。*1

 駅舎とプラットホームは登録有形文化財、車寄せにはなぜか注連縄。無人駅の委託販売ですが、訪れた日曜日は営業していないようです。券売機なし、飲料自販機あり、トイレはホーム側に水洗式があり。駅前広場に車約10台分のスペース、駐輪場は駅舎右側に屋根付きで約30~50台分。

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ホームには木造待合室。下は若桜方向の景色。

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ホーム横に静態保存された有蓋緩急車-ワフ35000(だそうです。いや、列車の型式とかはよく知らないんですよ)

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駅舎の建物財産票はたぶん建設時の金属製です。*2

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*1:ここの地名-八東町-は昭和発足なので、八頭郡の東だから八東だと思ってましたが、地名の古さからすると八頭より八東の方が先の様ですね。八上郡(因幡の白兎の八上姫に由来)から律令時代に八東郡が分かれていて、それを引き継いだ町名らしい。八頭郡は明治に八上、八東、智頭を合わせて成立との事。そういえば川の名前も八東川だし

*2:考えてみれば、第三セクターになってもこういう財産票を残しているかと思えば、JRでも国鉄時代の財産標が除かれていたりします。第三セクターの方が(若桜鉄道の様に文化財登録すれば特に)駅舎の歴史を訴えるために、こういう物を残す傾向にあるのかも?

若桜線:徳丸駅 (とくまる)

(八東) - 徳丸 - (丹比)              (訪問日: 2017/04/16)

丹比駅から西へ約2km、若桜線が八東側の右岸から左岸へ渡る所に徳丸駅があります。ここまでの東は若桜線の沿線は国道29号でしたが、ここから西は県道6号の旧道になります。

国道側からのぞむ、田んぼの中の徳丸駅。下はホームから若桜方向の風景。

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平成になってから出来た新設駅のせいか、駅舎はなく、券売機、自販機の類は無し。駅前は数畝分(1段は無い)の広場になっていて、駐車場15台分、駐輪場20台分とトイレがあり。田んぼの真ん中なので近所にも売店はありません。

 下はホームに入線する鳥取行きラッピング列車。近づいてくる列車正面に ”SUZUKI" と書いてあるのが不思議でしたが、ホームに入ってきて側面を見て納得。そう、若桜線といえば "HAYABUSA" なのでした。ここまで気づかないとは迂闊、迂闊。この先気を張ってゆかねば、と思ったのでした。

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