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バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ

山陰本線:梶栗郷台地駅 (かじくりごうだいち)

(安岡) - 梶栗郷台地 - (綾羅木)                 (訪問日: 2017/05/28)

綾羅木駅からは県道248で綾羅木川を越えると山陰本線が県道に並走してきて、ケンタやラーメン屋のロードサイド店が並ぶ中、県道沿いに梶栗郷台地駅があります。典型的な近代の追設駅で、ホーム上に待合所のみの無人駅、自動券売機(チャージ無)と飲料自販機設置、トイレは無し。建物財産標は未確認。下のホームの写真は長門方向の景色です。

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駅裏には陸橋で移動、駐車場が8台分、駐輪場は約80台分。駅裏に隣接して綾羅木郷遺跡があります。(その先には若宮1号古墳と下関市立考古博物館もありますが、時間の関係でパス)

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史跡 綾羅木郷遺跡
所在地   下関市大字綾羅木字岡・岡の辻・若宮・惣八・打越
指定年月日 昭和44年3月11日(追加指定・一部解除 昭和55年12月23日)
指定面積  42,533.73m2
 
 史跡綾羅木郷遺跡は、綾羅木平野北側の洪積台地先端に位置する、弥生時代の集落と古墳時代の埋葬跡を主とした遺跡です。明治32~33年(1899~1900)頃発見され、昭和31~34年(1956~1959)に数度にわたり調査が行われました。その後、昭和40~44年(1965~1969)には、遺跡の下層に包蔵される珪砂の採掘に伴う発掘調査が継続して実施されました。
 発掘調査によって、綾羅木郷遺跡では弥生時代前期中頃から中期前半のわが国最大級の1,000基にも及ぶ貯蔵穴群が発見されました。貯蔵穴は深さ2m、底面の直径2mほどの大きさで、上部に覆屋がかけられ、農耕によって収穫された穀物を蓄えていたと考えられています。また、貯蔵穴群を取り囲むように、断面がV字形で幅2m以上の環濠が確認されています。
 出土遺物としては、貯蔵穴や環濠から石器などとともに大量の土器が出土し、コメ・ムギといった穀物や、モモ・クリなどの種子が炭化した状態で発見されています。このほか、当時の食生活を示す魚の骨や貝殻、イノシシ・シカなどの獣骨をはじめ、土笛や鹿の角を加工したアワビオコシなども出土しています。
 このように、綾羅木郷遺跡は、弥生社会の文化生活を知ることができる山口県西部の拠点集落として位置づけられていますが、集落を構成する住居跡は未発見で、隣接する別の場所に住居区域があったとも考えられています。また、遺跡の西側は複数の石棺を持つ墳丘墓や、前方後円墳である若宮1号墳をはじめとした古墳が築かれるなど、弥生時代中期から古墳時代には墓地としても利用されています。
 なお綾羅木郷遺跡は、高度成長期の産業開発と文化財保護のはざまで、市民・研究者・行政が一体となって調査と保護運動を行いましたが、昭和44年(1969)3月8日、珪砂採掘業者の重機によって遺跡の一部が一夜にして破壊されました。しかし、国により破壊を免れた範囲について史跡の緊急指定が行われるなど、その後の文化財保護の方向性を決定する端緒となった遺跡でもあります。
           文化庁山口県下関市

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梶栗郷台地駅から山陰本線はまた県道から離れて、北浦街道が線路に沿って走ります。一般に「街道」と名づく旧道には白漆喰や焼杉板の古民家や土蔵が並ぶものですが、北浦街道は単に住宅地に真っ直ぐな旧道が伸びている感じ。このあたりは近代になって住宅が建ってきたのか。もっと南の幡生あたりの街道筋だと様子が違っていたのかも。

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