tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

篠ノ井線:沿線-東山道古峠越

(冠着) - - (姨捨)                       (訪問日: 2023/06/16)

篠ノ井線姨捨駅から冠着山の山裾を抜けて冠着駅に行きますが、線路沿いの道は無いので(あるけど、この古峠越は結構な山道の様なので)、聖高原へR403、そこから三峯山・冠着山の鞍部にある東山道古峠を通ってみました。

まずは姨捨駅のすぐ上を通る長野道をくぐって国道403で聖高原に上がります。写真はブレブレですが、結構な通行量があります。

姨捨SAを見下ろしながら高度をかせいで進んで、聖湖を過ぎたところで県道498で冠着山方面の一本松峠へ向かいます。

で、峠道の県道に入ったとたんに狭い山道。更に鞍部へ下る急坂は凍結時のグリップのためか、溝の切られたコンクリ舗装でなかなか大変です。

で、冠着山へ行く鞍部、古峠に出ると急に視界が開けます。地図だと右に筑北村(旧坂井村)へ下る県道があるはずなので、写真の分かれ道を右に進んでみたら、これは冠着山へ登る道でハズレ。じゃあ、試しに左にいってみると千曲川側に下ってゆく急坂で、やはり違うので引き返し。

実は上の写真のちょっと手前に藪で隠れた右への分かれ道があって、これが冠着駅へ下る道(県道494)でした。聖高原からここまで、急なくだりが続いて見通しがきかないので、油断するとこの道は見逃してしまいます。

古峠を下ってくると、ようやく田畑が出てきて一安心。途中、何かの養殖池もありました。何を飼っているんだろう。

下の写真は山を下って冠着駅手前にあった集落。篠ノ井線はこのあたりでトンネルから出てくるはず。

おまけは古峠にあった、東山道支道の説明板です。

東山道支道(古峠越)
 東山道は、都と東山道諸国の国富を結ぶ、律令の幹線道路(官道)であった。
 信濃国における経路は、美濃から信濃坂を越えて天竜川沿いを上がり、覚志駅(塩尻市)を経て、錦織駅(旧四賀村)で本道は東に転じ、保福寺峠を越えて旧青木村へ入り、亘理駅清水駅碓氷峠を越えて上野国(群馬県)へと至っていた。
 東山道支道は、錦織駅から分かれ、立峠を越えて麻績駅へ、そして亘理駅、多古駅、沼辺駅を経て越の国へと向かっていた。
 麻績駅を経て善光寺平に至る初期東山道支道の峠越えは、猿ケ馬場峠(黒坂周平説)、一本松峠(一志茂樹説)、古峠の三説があって、地元誌(麻績村誌、坂井村誌、戸倉町誌、更埴市史)は、一番標高が低く、平地まで最短距離の峠である古峠越えを推定している。
 東山道支道は、都と国府間の情報伝達、労役、納税などに利用された。奈良時代から平安時代の初期は、越後の蝦夷対策遂行のため、渟足柵や磐舟柵へ、兵や軍事物資を運ぶ軍用道路としての役割を担ったと推定される主要な道路であった。
 平成四年、戸倉町文化財調査委員会(戸倉町教育委員会、戸倉史談会)は、長野県文化財保護協会の要請により、古峠経路の調査を行った。そして坂井村教育委員会の調査報告も付け加えられた調査報告書が、同協会に提出されている。
 古峠から御麓地区に至る古道の復元は、同調査委員会の報告書に基き復元された。なお、途中の馬頭観音より下は、現代の舗装道路との関係で、一部農道を利用した。また、古峠直下は、急峻であり、崩落の痕跡もあったため、経路を特定するのは、困難であったが、斜面を東側に下る経路の痕跡が認められたので、地形の状況などを総合的に判断し、経路であると推定して復元された。
 平成二十六年六月 戸倉史談会
          冠着山の自然と文化遺産を保存する会

あの古峠から下る道は、この説明板にも「急峻、崩落の痕跡」とあるし、ネットの書込みを見ても廃道に近い所がある様で、引き返してよかったのかも。