(北伊予) - - (南伊予) (訪問日: 2023/07/17)
北伊予駅から南伊予駅へ行く途中、伊予神社にお参りしてきました。伊予神社は二つあるそうですが、これは北の松前町にある方。
北伊予駅から街道っぽい旧道を西進して小学校前を過ぎて、東公民館の隣が伊予神社です。高木の社叢に囲まれた静かな神社でした。
向拝には寺社風の彫刻あり。
ここの上空は松山空港へアプローチする航路らしく、時々上空を旅客機が旋回するのが見えます。(写真には撮れなかったけど)
神社と境内内五輪塔の由緒書。五輪塔は「入らずの森」と書いてあったので、ちょっと写真は遠慮してしまいました。
伊予神社
当社は、第七代孝霊帝の第三皇子で、伊予国を治めて功績の高かった彦狭島命(ひこさしまのみこと)を主祭神とし、愛媛の総神 愛比売命(えひめのみこと)、伊予・久米両郡の開拓神 伊予津彦命(いよつひこのみこと)・同妃伊予津姫命(いよつひめのみこと)、さらに、主祭神の御父 日本根子彦大瓊命(やまとねこひこふとにのみこと)(孝霊天皇)、御母 細姫命(くわしひめのみこと)、また、第十三代成務天皇の勅命により伊予の国造に任ぜられた速後神命(はやしりかみのみこと)(速後上命)を配神として祀る延喜式内明神大社である。
続日本紀・三代実録等の史書にも著述があり、古来より親王宮大明神(しんのぶだいみょうじん)として歴代朝廷の尊崇をうけ、また、統治神として、武将・領主等からも崇敬されてきたが、特に、源義経が社殿を造営し、伊予の豪族河野家も又、代々がこれを修理したと伝えられる。
江戸時代においても藩主は、参勤の上り下りに必ず奉幣して安全を祈願したとも伝えられている。なお、当地方の古歌には、
「民草も豊かなりけり国の名の
いよよと守る神の誓に」とあるように、
古代よりこの地方の氏神として敬られ、伊予一国を代表する国魂神として崇拝された旧愛媛県社である。
松前町教育委員会
五輪塔
五輪塔のあるこの一画は、往古 伊予神社の別当寺「真常寺」ー現晴光寺ーの境内に位置し、「入らずの森」と畏敬されてきたところで、かつては貴顕の尊霊を祀る廟地であったところと伝えられている。
この五輪石群は現在三基に纏められているが、大は高さ約188cm、小は高さ152cmあり、幅はいずれも約70㎝で、石材は砂岩系の軟質岩を加工したものである。全容を見ると、地水火風空の各輪がやや均衡・調和を欠き、倒壊し散逸した異石を組み合わせた五輪塔であることが分かるが、その造立時代を始め由緒・遠隔等の拠るべき資料はない。
また、風化も進んでおり刻字の有無等目ぼしいものは発見されていないが、明治三十年(1897)二月、当時の宮内省属、青山盈氏の調査報告によると、地方色豊か、粗豪で力強さがあり造形手法からみて鎌倉後期の作であろうと推定されている。なお、この調査に付随し、地下60cm程を試掘したところ、青銅経筒六個、中国宋代の磁気壺二個、刀子・布目瓦・土器和鏡等が出土した。これらの遺品は、五輪塔と共に昭和44年(1969)三月一日松前町有形文化財として指定される。
松前町教育委員会