(由宇) - 神代 - (大畠) (訪問日: 2018/02/03)
由宇の市街地を過ぎて南下するとまた海岸ローカル線に戻ります。通津や藤生あたりにはあった波止場もあまり見られなくなって、少しさみしくなった沿線に建っている船の形をしたのは由宇歴史民俗資料館。そういえばこの近くに大島商船高専があったはずなので、そういうデザインなのか。
神代駅は国道188沿いの山と海に挟まれた木造平屋の無人駅で自動券売機を設置、駅前には月極駐車場(約15台分)と駐輪場があり、国道沿いの角には売店と自販機もあり(訪れた土曜には休業でしたが)。滞在中の15分の間に上下線とも1本ずつ列車が止まりましたら、乗降客は無し。
ホームから見た岩国方面。ホーム長は約320歩。
こちらは柳井方面
跨線橋から見た岩国方向。海と山に挟まれた駅の立地が良くわかります。
こっちは駅前の月極駐車場と有料駐車場。車留めは無くて監視カメラを使った信用方式だそうです。
建物財産標は対向ホームの設備のもの。駅舎では確認できず。
対向ホームの奥に残る石碑。近づけないので何の碑かは分からず。
駅前にあった神代駅設置の由緒書き。
神代駅
明治三十年(1897)山陽鉄道が開通しましtが、神代には駅が無く地区の人々は由宇駅か大畠駅を利用していました。
大正六年(1917)に単線運転の信号所が出来て一日に一、二本列車が停まるようになりました。
大正十年(1921)七月に「神代駅設置期間同盟」が結成され、年々引きつがれました。
昭和十九年(1944)山陽本線複線工事着工を期に、地区民あげて猛運動を展開し、七月三十日、彼岸は実を結び、いわゆる「請願駅、神代」の新設起工式が行われました。
地区民も拠金・奉仕作業(神東小学校の児童も材木運搬)をし、完成しました。
このようにして、同年十月十日完成、翌十一日、駅員十名で開業されました。
昭和六十二年(1987)日本国有鉄道は民営化されJRとなり、日勤一人勤務が続きましたが、平成元年(1989)無人駅となりました。
平成九年三月
岩国市教育委員会
初代の神代駅は明治時代に一度設置されているので、この由緒は2代めの設置のものです。設置者が岩国市教育委員会に書き換えられてますが、これを建てた時は由宇町だったはずなので、そのままにしておけば、それ自体が由緒を語る事が出来て良いと思うのですが。