tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

高山本線:沿線-下原八幡神社

(訪問日: 2019/10/06)

飛騨金山駅に来たついでに、境内を高山本線が通っている下原八幡神社に寄って見ました。(というか、Wikipedia高山本線の項にこの八幡神社の写真があったので、見に来たというのが正確なところ)

下原八幡神社は飛騨川左岸、飛騨金山駅から2km程上流でルートは2つ。行きやすいのは右岸の国道41号から下原小学校へ分かれて、その先の鉄橋を渡って神社参道から行く道。もう一つは飛騨金山駅から飛騨川左岸の高山本線沿いに走って、下原集落の中を通って神社社殿脇に出る道で、最初はこちらでたどりましたが、ちょっとわかりにくくてお勧めできません。

 下写真は下原小学校と下原中津原集落の間にかかる鉄橋(写真は神社中津原側から見た所)
f:id:tkmov:20200105214812j:plain

神社参道から通して神社を見た所。ふたつの鳥居の間を線路が通っていて、参道には踏切があります。ちなみにこの参道は車両通行止めです。
f:id:tkmov:20200105213017j:plain
f:id:tkmov:20200105215201j:plain
f:id:tkmov:20200105221047j:plain
f:id:tkmov:20200105215655j:plain

山沿いに線路がある場合、斜面上の家や寺社への道が線路で塞がれているのは良くあることですが、ここは参道を横切って境内脇を線路が通っています。もしかしたら線路から川側は境内ではないのかもしれないけど、ここの参道は飛騨川の船着場から直接登ってくるようになっているので、昔は神社敷地だったのではないかな。(由緒によると境内は六段=1800坪だそうですから)

やはり参道を横切って境内を列車が通ってゆくのは、ちょっと不思議な光景です。
f:id:tkmov:20200105220600j:plain

f:id:tkmov:20200105210814j:plain

f:id:tkmov:20200107000418j:plain

f:id:tkmov:20200107001138j:plain

 

境内にあった由緒書き。上古からの創立や武振熊の由来などは斐太後風土記 中津原村の項にも同じように書かれています。ところで斐太後風土記では飛騨一宮 水無神社と同じ祭神なので中津原水無八幡宮と称した、としていますが、水無神社は八幡宮ではないように思うんですけどね。あるいは水無神社が位山をご神体としていて、そこは両面宿儺の伝説がある事が関連するのかもしれません。
f:id:tkmov:20200105222951j:plain

下原八幡神社
祭神  応神天皇
創立  仁徳天皇の御代 千六百年前
社格 郷社 下原郷(下原・中原・上原)十七カ村
境内坪数 千九百三十五坪
     上古は、中津原水無八幡宮と称して飛騨八社の第一番であった。
由緒
 斐太後風土記によると仁徳天皇の御代、飛騨の国は「両面宿儺」という首長が治めていた。宿儺は、一つの体に両面があり手足は四本づつあって、走ることは馬の如く左右に剣を佩し強弓を引く豪傑であった。時恰も大和朝廷の全国統一期にあたり、宿儺は天皇の命に反したので、皇弟の「難波根子武振熊命」が勅命を奉じて飛騨へ討入る事となった。
 武振熊は、武内宿祢と共に神功皇后にお供して、三韓に渡り凱旋の後も香坂王忍熊王の軍に勲功のあった名将軍であったので、美濃国高沢山の要塞で両面宿儺の軍を打ち破り、道々心を配りつつ中津原に来て軍勢を宿め、飛騨入国の最初のこの地に仮の斎場を設けて先帝、応神天皇の御霊を奉祀して戦勝祈願された遺跡が下原八幡神社の起源である。武振熊は、どこからともなく舞い降りた一羽の白鳩の道案内によって無事討伐の任を果たした。
 本殿の左側の注連縄を廻らした大岩を、昔から猫の形に似てもいないのに「ねこ岩」といっている。武振熊がこの大岩の上に八幡様を勧請されたので、難波根子武振熊命の「ねこ」から来たものといわれている。「根子岩」の横に国指定天然記念物で直径四米の「神代杉」と、傘の様な大杉で乞食が年中居たという「乞食杉」や、穴がいくつもあってくぐることが出来た「蓮根杉」があったが、昭和二十四年、濃斐中学建設資金として伐倒された。嘉永六年(一八五三)の神木改によれば、目通り一丈以上九本、六尺以上八本、の記録がある。昭和二十一年神祇会となる。神社総代七名 内主管者一名、氏子数六百戸。
文化財 十二点 懸伝・神鏡・御輿・絵馬・山車・高寺権現の神鏡
        花笠踊・御神刀・槍・長刀・狛犬・社叢
境内社 神明神社 祭神 天照皇大神
         創立 安政四年(一九五八) お田植祭りとして、祭日が五月五日であったが平成元年から四月祭と合併。
    春日神社 祭神 武甕槌神(たけみかつきのかみ) 経津主神(ふつぬしのかみ) 天児屋根神(あめのこやねのみこと)
         創立 元亀三年(一五七〇)
歴代神職 中世飛騨守護職、京極氏の一族である京極四郎左衛門尉源高氏の後裔が当村に住み、その五世の孫、細江喜助が元和年間(一九一五)より当八幡神社に奉仕した。代々「若宮太夫」を名乗り、その十三世 細江志津馬に至り断絶

 

f:id:tkmov:20200105225712j:plain

 

おまけ:この八幡神社の前の道はサイクリングロードになっている様で、国道から橋を渡って飛騨川左岸を登ってゆく自転車を何台も見たんですけど、この先は川沿いの道は行き止まりのはず。もしかして峠越えで木曽街道まで行ってたんだろうか。