(於福駅近く) (訪問日: 2019/08/07)
山陰本線 長門方面へ行く途中、美祢線於福駅の近くの別府弁天池に寄ってきました。(ここは厚東川流域で、厚狭川に沿った美祢線とはちょっと違うけど、於福駅からは車で10分くらいの近さです)
日本名水百選にも選ばれた弁天池は厳島神社の境内にあります。(由来からすると池の守りとして神社が勧請されたという事ですけど) お盆の暑さの中、涼を求めてたくさんの観光客で駐車場(参道横で狭い)もいっぱい、車のときは下流の養鱒場の駐車場に停めるのがよさそうです。
コバルトブルーの湧水と、周辺の赤褐色の小石(褐色藻類で赤いそうです)のコントラストが美しいのですが、2016年の熊本地震、2011年の東日本大震災の当日は白濁したという、不思議な現象を持つ池です。
別府念仏踊
由 緒
昔、この地を別府の庄、堅田の里と言って森林地帯で地名を長林と呼んでいた。この地に一人の長者がいて日夜里人の幸福を祈り、里人から深く尊敬されていた。ある夜、夢枕に白髪の老翁が現われ二枚の鎌を授けていった。
早速里人を集めこの鎌で長林を切り払った。しかし、この土地を開墾し田畑を作るには水が足らない。長者は里人等と苦心したが水を得ることができず神祠を祀り水を授けられるように祈請した。その夜白髪の老翁は青竹の杖を持って長者の夢枕にたたれた。「慈悲深い長者よ、あとに続いて来い」と言って歩き出された。長者は後に続きしばらくして老樹の繁るこの地に来た。老翁は青竹の杖を地中深く差立て「あとでこの青竹を抜け」と言って林の中に消えていった。
長者は老翁の言葉のとおり、青竹を引き抜くと杖の元から清水がこんこんと湧き始めた。この水で里人等は田畑を耕作することができ始めた。その湧き水の水口を池としてその傍らに諏訪の神を祀り、安藝の宮島より御祭神(田疑姫命・市杵嶋姫命・多藝津姫命)を勧請し、社を建立、水の守護神としました。これが厳島神社で、以来千百余年になります。
この池は常に鏡のように澄み、いかなる旱伐(ママ)にも水が切れることなく、どんな大雨にも増水することなく、常に濁りを知らない清水を保っています。
例祭(九月初旬)には神与の水に感謝し、郷中三軒になるまで止めないと、念仏踊りの奉納を続けてきました。この「別府念仏踊」は昭和四十三年四月五日に無形文化財として山口県の指定を受け今日に至っております。
平成八年三月