tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

北陸本線:沿線-旧柳ヶ瀬線

(新疋田) - 旧柳ヶ瀬線 - (余呉)

敦賀から琵琶湖へ抜けるにはいくつかルートがありますが、鉄道でいえば、柳ヶ瀬峠を越えて木之本へ行くルート(旧北陸線)と、深坂越えて塩津へ行くルート(現在の北陸本線)に分かれます。新疋田駅の少し敦賀寄りの疋田交差点が分岐点で、敦賀から来て左に行く国道8号には、道路に沿って旧北陸線跡らしき側道が伸びています。この後、旧北陸線跡は塩津街道(国道8号)を離れて北陸自動車道に沿ってゆきます(時代的には北陸線の方が先ですが)。

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こちらは北陸自動車道上下線のトンネルに挟まれた旧北陸線の刀根トンネル。2車線分の路幅がとれているので拡幅されたんだと思われます。
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刀根トンネルを抜けた先にある、こちらが小刀根トンネル。今は県道から外れて行き止まりになっていて、そのおかげで昔のまま残され、土木遺産に指定されています。明治十四年建設で、当時の姿をとどめる日本最古のトンネルだそうです。
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小刀根トンネルから敦賀方向を振り返った所がこちら。真っ直ぐ先に、さっき通って来た刀根トンネルが見えます。
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敦賀市指定文化財
建造物 小刀根トンネル
指定年月日 平成八年六月十一日
管理者 〇〇〇〇
時 代 明治時代 (銘板)明治十四年
総高6.2メートル 全幅十六・七メートル 総延長56メートル

 明治二年(1869)11月、新政府は東京~横浜間、京都~神戸間、敦賀米原間(後に敦賀~長浜間に変更)の鉄道敷設を計画した。
 敦賀~長浜間の工事は、明治十三年四月に四区に分けて着工された。これは日本人技術者のみによる工事では明治十二年七月に開通した京都~大津間に次いで二番目のものである。
 敦賀~長浜間のトンネルには明治十四年に貫通した曽々木・刀根・小刀根トンネル、明治十六年に貫通した柳ヶ瀬トンネルがあるが、現在曽々木トンネルは消滅し、柳ヶ製・刀根トンネルは車道に使用するため一部ないし全部の拡幅工事が行われ昔の姿をとどめていない。またこの工事以前に着手完了した京都~大津間の東山・逢坂山トンネルもその後の鉄道電化工事などによって改修がなされている。
 このような意味から、建設当時の姿を今に伝える日本最古の鉄道トンネルであると言える。
 また、レンガ造りの馬蹄形の構造、内部の岩盤露出部分とレンガ積み上げ部分などの手法にも当時の建築技術がうかがわれ、貴重な遺構である。
 なお、この鉄道は、昭和三十二年の深坂トンネル開通までは北陸本線として、それ以降、昭和三十九年の廃線までは柳ヶ瀬線として利用された。
  平成十二年三月三十一日
   敦賀市教育委員会

(説明板には「全幅十六・七メートル」と書いてありますが、石組み部分のサイズとしても 6.7mの間違いではなかろうか)

 

刀根集落を過ぎて柳ヶ瀬峠に掘られた柳ヶ瀬トンネル、旧北陸線の最後のトンネルで、これを抜ければ近江の国です。路幅そのままで交互通行なのは敦賀以北のトンネル群と同じですが、交通量はずっと多い。

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