(敦賀) - 旧北陸線トンネル群 - (山中信号場跡) (訪問日: 2018/10/16)
旧北陸線を使った県道207は露天部分はぎりぎり車が離合できる幅ですが、さすがにトンネル部分では無理。たとえバイクでも対向車が来たらすり抜けは不可能です。直線で見通せるトンネルでは対向車のライトが無いことを確かめてから、おっかなびっくりでトンネルに入る事になります。
見通せない曲線トンネルは入口に信号があるので安心ですが、そのかわりこの信号が3分とか5分とか長い。赤信号でも見切りで入ろうかと思うかもしれませんが、この県道は越前海岸までの連絡道なので、そこそこの交通量があります。トンネル内ではちあわせになると大変ですので、くれぐれも信号は守りましょう。
観音寺トンネルを出て杉津駅跡に向かう道は、周りの山岳風景にそぐわない直線道路。確かにこういう所を鉄道が通っていれば、風光明媚と有名になるのも分かります。
下は杉津駅跡で越前海岸への分岐点。旧北陸線と杉津駅跡はこの左側の北陸道に吸収されているので、ここの県道は旧北陸線とは少し外れているらしく、ちょとと勾配がきつくなってます。この後はしばらく葉原集落まで、北陸自動車道と並走することになります。(順序からすると旧北陸線跡を北陸自動車道がなぞっているのですが)
旧北陸線は、葉原集落で木の芽峠から下って来た北国街道と合流します。その葉原区公会堂にあった明治天皇葉原御小休所跡の碑。明治11年の北陸行啓のものですからまだ鉄道が開通する前の事で、一行も木の芽峠で今庄から下ってきたのです。
葉原からもう少し下って樫曲にある樫曲トンネル跡。このあたりの北陸線跡は国道476に置き換えられていて路幅があるので、トンネルは歩道に使われています。この写真は西側入り口からみた所。
入口近くの内壁左右には、土木学会選奨土木遺産、登録有形文化財の銘板が埋め込まれています。
旧北陸本線敦賀ー今庄間について
この樫曲隧道を初めとして、山中隧道までの旧北陸本線(通称:杉津線)には、明治29年(1896)の開通当時12の隧道が作られ、現在は10個が残されています。全てが同じ工法ではなく、それぞれに違いがあります。
樫曲隧道は、長さ86m、断面の高さ5.5m、幅4.76mの馬蹄形の隧道です。トンネル全体は、大阪の堺煉瓦工場から搬送されてきたレンガで造られており、下部はイギリス積み、上部のアーチは長手積みで施工してあります。
なお、この区間は当時の鉄道の限界と言われた1000分の25という急勾配が連続し、最少曲率半径360mの難所でした。昭和37年(1962)6月の北陸トンネル開通により、杉津線は廃線となりましたが、現在は地域の方々が南北を結ぶ生活道路として活用しています。
真っ直ぐのびた道路や大きく緩やかなカーブを描く築堤などから、そこが当時線路であったことを知ることができます。
イギリス積みと長手積みの使い分けが分かる内壁。なぜか後付けでガス灯風の電燈がついています。
この電燈、トンネルを歩いて見廻っているといつの間にか点灯してました。タイマー設定なのか、人センサーがなのか分からないけれど。ところで、院内駅の資料館でも思ったけど、煉瓦造り=異人館=ガス灯(のような電燈)という連想が、ここでも働いたんだなあ、と。
おまけ:途中にあった新保駅跡の案内板