(会津蒲生) - 只見 - (大白川) (訪問日: 2018/10/14)
六十里越峠、田子倉ダムをこえて、ようやく会津に到着、しかも久しぶりの有人駅の只見駅です。メインストリートの国道252から100mぐらい入った所が駅なんですが、行った日はちょうど地域のマラソンか駅伝大会で、ゴールがこの駅前道路。ゴールする高校生と観客の間をすり抜けるように走るのはちょっとばつが悪かったです。入ると結構大きな駅前広場があり、その奥がコンクリート平屋造りの只見駅。左側はたぶん駅事務所で、右側の待合室には観光案内所が併設で野菜なども販売中。トイレは駅舎の右隣り。駅前広場には20~30台くらいのスペースがあり、駐輪場は見当たらなかったですが、もしかするとトイレ横の狭い隙間に何台か停めてあったので駐輪場だったのかも。*1 切符は窓口販売で自動券売機、改札機は無し。ただ入場券を買おうとしたら、そのまま入っていいよ、と言われたので買いそびれてしまいました。
ホーム自体は島式1面2線で89歩なんですが、駅舎からそこに行くまでがホーム長よりもずっと遠い。黄色い手摺の間を延々と歩いてホームにたどり着きますが、冬場は大変だろうと思います。
下の写真はホームから見た駅を見返したところですが、駅舎がほとんど見えないくらい離れている一方で、駅舎と並んでもう一つホームがあるんだから、こっちを使えば良かったんじゃなかろうか。
こちらは側線にあったモーターカー (仙建工業 S0612R)
ホームの名所案内に70㎞離れた尾瀬沼まで書いてあるのは、最寄駅がここだという自負があるからか、そうだとすると会津鉄道の尾瀬入口駅にも同じ様な案内板があるのかも。ところで所要時間2時間55分というと時速24kmですが、自転車を想定しているんだろうか。わざわざ交通手段を消しているのが謎です。
長岡藩家老 河井継之助 終焉の地
長岡藩家老 河井継之助は、幕末の戊辰戦争に不本意な形で巻き込まれて負傷し、会津藩へ向かう際、只見町塩沢の地で41歳で生涯を閉じています。
「八十里 腰抜け武士の 越す峠」
険しい八十里越で詠まれたこの句は、当時の継之助の心を哀しく映し出しています。継之助は「弱気を助け 強きをくじく」人情の人であり、因習や偏見にとらわれない自由の人でした。さまざまな改革を行って、一人ひとりが、個性と能力を発揮する豊かな社会を実現しようとしました。
只見町塩沢にある河井継之助記念館には、パネルや資料の展示のほか、館内には終焉の間が展示公開されています。
只見町河井継之助記念館 営業期間4月中旬~11月中旬 木曜日休館 02341-82-8270
長岡市河井継之助記念館もあわせてご覧ください。
越後との境の峠は「六十里越え峠」だったのでは? 昔は呼び方が違っていたんでしょうかね。*2