(四郎ヶ原) - 南大嶺 - (美祢) (訪問日: 2018/05/12)
美祢駅の南なのでこういう駅名なのかと思ったら、昔は伊佐駅という名前だったそうで、今は無き大嶺駅の南なので「南大嶺駅」だそうです。なかなか複雑な由来の駅です。
「みなみおおみねえき」と読みます。
[駅名の由来]「開設当時は大嶺線中最大の交通の中心地点であったので、駅付近の著名な地名である伊佐(当駅から北に約4km)をもって伊佐駅と名付けられた。」
もともと軍事上から、旧大嶺駅からの無煙炭輸送を主目的に建設された当駅もその後、大正9年10月重安~於福間、次いで大正13年3月於福~正明市(長門市)間が開通し、厚狭~正明市間の全線が開通となって、この総てを美祢線と呼称する事になり、陰陽連絡路線として「政治・経済」・文化の発展に大きく寄与してきました。
大正14年7月に当駅からかなりの距離がある伊佐町にも至近距離に吉則駅が誕生してからは、旅客・貨物の取扱上から、種々不都合が生ずる為に駅名改称の世論も漸く活発になり昭和24年1月に、無煙炭取扱駅として名のある大嶺駅の南に位置するところから南大嶺と改称して今日に至っている。
[駅近くの名所・旧跡] 日永の殲法講板碑・藤ヶ河内の自然石板碑・美祢炭鉱の荒川水平坑・古城址の殿山城跡
広島鉄道管理局発行「駅長さんの書いた駅名ものがたり」から一部引用
確かに「伊佐駅」と言われても、伊佐の地名は美祢駅の東側、美祢ICの近くなので混乱しそうですね。
県道から少し奥まった旧道にある南大嶺駅は無人駅で自動券売機、飲料自販機はなし(駅前に雑貨屋があり)、トイレも非設置。区画は無いけど駅前に10台くらいの駐車スペースがあり、何台かは近所の駐車場代わりになっている様子。駐輪場は確認できず。
ホームは島式1面2線。かつては2面3線で駅舎側が1番ホームが大嶺支線だったそうですが、今では旧1番線が埋められてホームに拡幅されています。島式ホームはホーム長=155歩。
下の写真は、島式ホームと、駅舎前の旧1番線ホームの駅名標。1番線のは「おおみね」と書いてあったのを「みね」に書換えて再利用。
建物財産標は駅舎では確認できず、詰所とホーム上待合所のものです。待合所のは平成に入ってのものですが既にこんなに古びているいます。でも考えてみればほぼ30年経つと思えば、平成も過去になりつつあるのを実感します。
駅舎に掲示されていた駅写真の募集ポスター。応募できる写真はいくつもあるけど、こういうのに食指が働かないのは、やはり私に鉄分が無い証拠ですな。