tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

可部線:沿線-可部の明神社

(中島) - - (可部)                   (訪問日:2017/08/12)

中島駅から北にかけては可部線の東側に、昔の街道が残っています。(順序からいえば出雲や石見へ行く可部街道に沿って可部の街があり、可部線はその可部街道に沿っているのですが)

ところが可部駅の街道側の入口が分からず、とりあえず駅のホームが見える公園にバイクを停めて確認してみても分からず。しようが無いので(?)、この明神公園と向かいの明神社を見学することにしました。公園には大きな鉄灯篭が展示してあり、ここが昔、鋳物業の街であったことを伝えています。

(下は明神公園。鉄燈籠は左端の回転遊具の向こう側になります。)
f:id:tkmov:20170816203311j:plain

f:id:tkmov:20170816203421j:plain

f:id:tkmov:20170816203431j:plain

広島市指定重要有形文化財
鉄燈籠(かなどうろう)
 指定 昭和48年5月30日
 広島市安佐北区可部二丁目550-8
 この鉄燈籠は、高さ313cm・基礎周囲565㎝を測るもので、その大きさもさることながら、全体の調和がとれ、細部の技巧も優れています。鋳鉄銘から本鉄燈籠は、文化5年(1808)可部町の鋳物師三宅惣左衛門により鋳造されたもので、可部町鋳物業の歴史を現在に伝える最古の遺品であるとともに、数少ない惣左衛門の作品のひとつです。
 江戸時代の可部町は、出雲・石見両街道の分岐点にあたり、かつ、太田川にも面した交通の要衝でした。このような状況を背景に、可部町を中心としたこの地域の鋳物業は、江戸時代の後半には藩内最高の生産高をほこり、その中でも三宅家は中核的役割をになっていました。
 また、当時この場所は、「舟入堀」と呼ばれる川船の発着場で、鉄燈籠には毎晩灯がともされ、地元の人々からは「船神さん」として崇拝されており、現在では金毘羅大権現鉄燈籠の名で親しまれています。
             広島市教育委員会

 

街道をはさんで鉄灯篭の向かいには、鳥居の扁額に「大明神」と書かれた明神社。かつては鉄燈籠が灯された舟入堀を見守っていたのでしょう。

f:id:tkmov:20170816204110j:plain

f:id:tkmov:20170816204116j:plain

で、可部駅の入口はこの公園の北50mの角を西に入った所なのですが、結局気づくことは無く、西側の国道183号線側からアプローチすることになってしまいました。