tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

因美線:沿線-智頭往来旧道

(因幡社) -   - (智頭)

ツーリングマップルには、智頭駅から因幡社駅の間のR53旧道に「智頭往来旧道」と書いてあるので、智頭トンネルの手前から川沿いの旧道に入ってみました。

下は国道から分かれた旧国道53号。途中の案内板によると智頭往来は、川の対岸(写真左手)から写真の奥に映っている橋を渡って右の山を越えた様ですが、対岸の集落はトランザルプでは通るのを憚られる狭さと入り組んだ道で早々に退散。右の山越えの道は階段坂。

という訳で旧街道筋の雰囲気は、智頭駅用瀬駅周辺の旧道沿いの方が味わえます。

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下は旧道をもう少し進んでR53と合流する手前。この先のコンクリ舗装の部分はほぼ河原と同じレベルで、増水したら水没するだろうと思われ、昔の国道の苦労がしのばれます。(ちなみに対岸の山腹の荒れ具合は採石場のせい)

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f:id:tkmov:20160505235318j:plain 旧往来の案内板

「国道智頭トンネル用瀬町側入口あたりから、ここ市瀬までの山と千代川が迫る所は「篠ケ峰岐(ささがほうき)」と呼ばれ、鳥取方面と智頭宿、岡山・大阪方面を結ぶ「智頭往来」が御建山(おたてやま)の中腹を巡っていました。

その様子は「用瀬ヨリ智頭マデノ内のホキ、甚ダシキ難所。東海道処々ノ難所ト云エドモ、カカル危険ノ処ナシ。殊更雪中ニ通イナシ・・・」と享保六年(1721年)の「因府上京海道記」に語られています。現在地を「茶屋河原」といい、旅人たちがこの難所を無事通り抜けて、やれやれと一服したところです。藩政時代、この往来は参勤交代の道でもあり、「上方往来」とも呼ばれていました。

下って明治二十年、県道が山すそに開設され、昭和三十七年には国道五十三線に昇格しました。昭和四十五年には智頭トンネルが開通してこの迂回路は廃止となり、かっての難所「篠ヶほき」の旧往来は、貴重な「歴史の道」として、昔の姿をとどめています。」

 

(訪問日: 2016/05/02)

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