tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

山陰本線:飯浦駅 (いいのうら) 再訪

(訪問日: 2021/07/21)

益田から萩への道すがら、2017年に見てきた飯浦駅を再訪。あの時は駅名看板の無い駅舎を見て取壊しを懸念してましたが、やはり予想的中、木造駅舎は無くなっていて真新しい倉庫に置き換わってました。
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取壊しと一緒に立木も刈り込まれたようで、依然の木立に埋もれた感じからずいぶん、さっぱりとしています。ホームへ上る階段も、駅舎があった時はもっと高く急に感じたものですが、建物が無くなると平坦に感じます。

で、こちらが新しい待合所。4年しか経っていないのに適度にウェザリングがかかっていて、昔からあるように思えるのは不思議なもんです。
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ホームの様子は2017年の頃と変わらず、雑草が刈り込まれて少しすっきりとしたかな。ホーム長は147歩。
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山陰本線:飯浦駅 (いいのうら) - tkmov(バイクとローカル線と)


こういうのを見ると、今まで行った場所を再確認したくなります(隣の江崎駅とかホームが閉鎖されたりしていたし)。ですが、まあ時間がいくらでもある訳で無し、神社とか行きたいところもあるし、やはり最初から思っていた「成り行き次第」というスタイルになるんですな。

 

 

山陰本線:沿線-高津柿本神社

(益田) - - (戸田小浜)                         (訪問日: 2021/07/21)

以前に戸田小浜駅近くにある、柿本人麻呂生誕地に建つ戸田柿本神社に行きましたが、今回は人麻呂終焉の地にちなんだ高津柿本神社に寄って見ました。

津和野から国道187で北上し、益田市街地に入ったあたりで高津川を高角橋で渡ると、すぐに高津柿本神社への参道です。参道奥の鳥居横に大きな駐車場があり。天満宮の様な朱塗橋と立派な楼門という構えというのを見ると、やはり戸田の方の神社と比べて、旧藩主からの庇護の厚さというのを考えてしまいますね。

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楼門は二層桁行三間の瓦葺入母屋造り。初層には色紙に書かれた和歌が奉納、掲額されています(ちょっと写真では分かりにくい)。ちょっと面白いのは、参道階段の脇に童謡(烏の子)とか、歌謡曲(翼をください)とかの歌詞が架けてある事。人麻呂の歌聖としての御利益は歌謡曲にも及ぶという事なんですかね。
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下は楼門から見下ろした参道と高津の市街地。近世には山陰道の宿場はここに見える高津にあって、明治期の地図を見れば高津川の向こうの益田とは別の街だったようです。
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参道脇の稲荷神社。他に八幡社があるのですが、そちらには寄らずじまい。
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参道を登って山頂に着くと本殿、拝殿の横に出ます。説明板によると寄進した津和野藩主のいる津和野を向いているそうですが、津和野の南西方向というよりは、通常の神社の作法に従って南面しているように見えます。
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拝殿前の展望台にはこの地に因んだ柿本人麿の歌が掲げられていて、「石見のや 高角山の」というのはきっとこの山の事なんだろうな、とか思いながら、津和野への眺望を眺めていました。
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島根県指定有形文化財
柿本神社本殿 (指定 昭和五十七年六月十八日)
 柿本神社の祭神は柿本人麿で、その起源は人麿の終焉地鴨島に勅命により建立された社殿と言われています。
 鴨島は万寿三年(1026年)の大地震により海中に没しましたが、その時に人麿尊像が松崎に漂着したので、現在地より北の松崎の地に社殿が再建されました。その後、近世に入り慶長十三年(1608年)に徳川秀忠の命により、石見銀山奉行大久保長安によって造営され、寛文十一年(1671年)には津和野藩主亀井茲政(これまさ)によって宝殿、拝殿、楼門が修理されました。
 そして延宝九年(1681年)に茲親(これちか)は風波を避けて神社を現在地の高津城跡に移転しました。複雑な地形を効果的に利用した社殿配置と独特の建築様式を持った当神社は津和野藩が残した重要な遺産となっています。
 本殿は正面三間、側面三間の入母屋造妻入、檜皮葺で、唐破風造の向拝を有し、津和野の方角を向いています。殿内は亀井家の四ツ目結び紋を配した板扉によって外陣と内陣に区切られ、内陣の中央後方に須弥壇があり、向唐破風造屋根を戴く厨子が置かれています。
 また、柿本神社享保八年(1723年)の人麿千年祭にあたり正一位柿本大明神の宣下を受け、社宝として重要美術品に認定された御法楽御短冊が奉納されています。
    平成八年三月         益田市教育委員会

 

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柿本神社楼門由緒
 歌聖柿本人麿朝臣は、天武天皇持統天皇文武天皇に宮廷歌人として使えられ、大宝年中に石見国府の役人として石見に下り秀逸な石見相聞歌を残し、神亀元年(724)、石見高津の鴨島で逝去された。聖武天皇は甚く嘆かれ、勅命により鴨島に人丸社を創建された。万寿三年(1036)五月、石見未曾有の地震のために鴨島は陥没した。人丸社の尊像は松崎の地に漂着し、地区民は人丸社を再建した。石見大森銀山奉行大久保石見守長安は社殿の造営を行った。
 現在の柿本神社は、津和野藩主亀井茲政が、延宝九年(1682)、高角山に本殿、拝殿、楼門を建立したことから始まる。楼門は神聖な神社への出入口で、殊に入念に建造されている。これは偏に津和野藩主亀井茲政の崇敬が、篤かったことが伺える。
 この楼門は、初層と上層からなり、二層とも桁行三間、梁間一・五間の三間楼門で屋根は瓦葺きの入母屋造りである。上層には四方に切り目縁の床を張った廻縁を付け、勾欄を組み、組物は出組で、蝦尾を思わせるこぶし鼻と、柱頭の装飾的な木鼻が特徴的な折衷様式の門である。
 前回の大改修は明治二十四年(1891)に行なわれ、今回の平成十七年(2005)の改修は、百十四年ぶりの大改修となる。長い年月にわたる風雨などにより劣化が進んだため、屋根の吹き替えと木部の取り替え等の大改修が行われた。築後三百二十四年を経て、二十一世紀の現代に再生された。

 

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ちなみに万寿三年に人丸社尊像が漂着した場所は、ここから約2km北の山陰本線北側にある金毘羅神社恵比寿神社辺りとの事。今回は気づかずに訪問できなかったのですが、津波被害を伝える"松崎の碑"が国土地理院の自然災害伝承碑のリストにのっています。

自然災害伝承碑 | 国土地理院

 

ところで楼門の扁額は有栖川宮熾仁親王揮毫。この方の揮毫はいろいろな神社で見るような気がします。多家神社がそうだし、厳島神社大鳥居もそのはず。あるいは、この方以外では揮毫者名を掲示するという事がないだけなのか?

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呉線:須波駅 (すなみ)

(三原) - 須波 - (安芸幸崎)                       (訪問日: 2021/06/20)

三原市街地から南に分かれ、国道185で海岸沿いに呉線の最初の駅、須波駅に行ってきました。沼田川を南にわたるとすぐに呉線のガード下をくぐり海岸線へ。
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途中、国道脇の工場に並んでいた巨大な防波堤(?)のようなもの。ナンバーがついているので何かの水門かも?
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で、三原から5kmくらいの最初の集落で国道から、下の道で100mくらい入った所が須波駅です。右側の丸っこい山がたぶん筆影山
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須波駅は駅舎は無くホーム上に待合室だけの無人駅。Wikipediaによると2018年に駅舎取壊されたとの事ですが、この階段の前にかつては駅舎があったんでしょう。駐車場枠は特にないけど10台くらいは余裕で駐車できそう、駐輪場はここではなく左手(呉側)の地下道歩道の中のようです。周囲は住宅だけで売店、食堂は無し。ただこの写真の反対側、三原方面ホームの入口に閉店した酒屋があります。
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ホームは対面する単式2面2線ですが、三原方面ホームには盛土の脇を歩いて下り方向にある地下歩道を通って渡ります。下の写真がその地下歩道と三原方面ホームの入口。この地下歩道が駐輪場だそうですが、歩道なので自動二輪車は入れません。
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ホームは単式2面2線で、海側に引込線の跡もあり。ホーム長は248歩で上下線のズレは69歩。

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右側が引込線跡で短いホーム跡もあり。それと、この角度から見ると筆影山が間近にまで迫っているのがよくわかります。
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上下線ホームには待合所が1棟ずつ、自動券売機とタッチ式改札機が設定されています。次の写真が下り線、その次が上り線。
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おまけ:駅から1km余り南にある須波フェリーターミナル。大久野島瀬戸田へのフェリーが発着しています。ただ、須波駅を使って船-鉄道連絡するには、ちょっと遠いなあという印象。まあ徒歩の人は三原港行きを使うかな。
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山陽本線:三原駅 (みはら)

(糸崎) - 三原 - (本郷)                       (訪問日: 2021/06/20)

三原駅尾道や糸崎と同様、山を背後にすぐ目の前が海で船着場になっているという立地。特に三原は工場や商業地も多く、山陽道ができる前は渋滞常襲地でした(今でも通勤時はラッシュがひどいですけど)。下の写真は駅から見た三原港。瀬戸内には船着場(貨物港ではなく旅客船舶が発着する港)と接する駅は多いですが、さすがに新幹線駅ではあまりありません。あとは徳山駅ぐらいかな。
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下は三原港の車両待機所。港ターミナルは左に見えるベージュのビルの1F、駐車場はそのビル手前に10台分くらいあります。駐輪場はこことは港の反対側(西側)にあります。
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三原駅は新幹線駅なので、とりあえず何でもあり。ただ最近のコロナ禍のせいか、パン屋での軽食以外で飲食店は見当たらず。もっとも北口は見てませんが。

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改札からホームへ上る階段の様子とかは、松江や出雲、鳥取とよく似ているような気がします。
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ホームは高架の島式2面2線で、南側(福山から見て左側)から1~4番ホームです。ホームの両端はフェンスで仕切られていて、フェンス間で233歩。フェンスの向こうが各々目視で80歩くらいなので、本線仕様のホーム長360~400歩くらいというところでしょうか。1,2番ホーム上のうどん屋さんは閉店中。
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駐車場は駅前にTimes。駐輪場は駅舎東西のガード下にあり、下の写真は駅西側の駐輪場です。横断歩道のとこにある「P」マークの左に入口があったのでここから入りましたが、実はこれは自転車用の入口。なので自転車の中に無理やり止める格好になりましたが、本当はガードを通り抜けた右側(北側)に二輪車用の区画があります。

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正解の二輪車用駐輪場はこちら。いずれにせよ、無料なのはありがたいです。
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山陽本線:糸崎駅 (いとざき)

(尾道) - 糸崎 - (三原)                         (訪問日: 2021/06/20)

改築なった尾道駅を見に行った帰り、糸崎、三原方面に行ってきました。
尾道から海岸沿いを山陽本線並走する国道2号で、まずは糸崎へ。昼の山陽本線は結構な頻度で貨物列車が走ってますが、旅客に比べると意外と低速。国道の流れに乗って制限速度ちょい遅めだったのですが、ずっとほぼ等速で並走、結局こちらの方が早かったですね。

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岬をまわって糸崎の街に入ったあたり、山陽本線跨線橋を越えた所で国道脇に糸崎駅があります。(下の写真は国道2号の糸崎駅前交差点) 国道を走るとわかるのですが、糸崎駅の前後が高くて駅前がちょうど窪地になっているので、よく駅構内が冠水するとの事。つい最近の大雨でも線路が冠水して山陽本線が数日運休になっていましたし。
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糸崎駅は木造地上駅で駅前広場に駐車枠が2~3台、左手に露天の駐輪場が約50~60台分。駅舎の右手には駐在所があるし、無茶な停め方はできません。ところで駅舎屋根上の駅名看板の文字がちょっと特徴的で、昔、大学学生寮とかのタテ看に”貫徹”とか”粉砕”と書かれていた書体と似てるような気がする。
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待合室には自動券売機(ICOCA対応)が1台、改札はタッチ式自動改札機です。出札口などは閉鎖されていてたぶん無人駅仕様ですが、構内列車の操作のために駅員の姿は多数見うけられます。駅舎内に売店・食堂はありませんが、駅前の国道にはセブンイレブンがあります。
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 改札から出た所に乗場は無く、ホームへは跨線橋で連絡します。このレール路盤と同レベルの改札は、身延線南甲府駅や花輪駅を思い出します。昔はここから構内踏切でホームに入っていたのかも。
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 ホームは島式2面4線、駅舎側が1,2番ホームで上り線、向こうが3,4番ホームで下り線です。
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下の写真は跨線橋から見た三原方面、その次は尾道方面。ホームは両端がだいたい50歩分くらいフェンスで閉鎖されています。
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ホームは本線仕様なのか幅広。ホーム長はフェンスの内側で289歩、両端のフェンスの向こうは目測で各々50歩くらいなので、本来の長さは本線で標準的な360~380歩です。

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おまけ:

ホーム構内のトイレの操作が変に複雑。なんでこんな仕組みにしたのやら。

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津山線:佐良山駅 (さらやま)

(亀甲) - 佐良山 - (津山口)                          (訪問日: 2021/04/30)

北上してきた津山線もそろそろ終わり、国道53号と並走しながら津山盆地へ降りてゆきます。

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佐良山駅へは津山盆地に出てきたところ、吉備中央町からの国道429号と合流点(ローソンのすぐ脇)から旧道に分かれて入ります。本当はもっと手前から旧道に入れば分かりやすかったんですけど、駅近くでは線路を渡る道がみあたらず、結構右往左往してしまいました。

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佐良山駅は待合室1棟だけの無人駅。自動券売機、改札機、トイレ、自販機のいずれも無し。道路から駅に入る通路横に駐輪場(屋根付き)が10台分、待合室横の空地に駐車枠が2台分(でも業務用と書いてあるので停められないか)。建物財産票は確認できず。(Wikipediaにはブロック造りの津山口駅の様な待合所の写真(2009年)が載ってますが、それ以降に建替えられたという事ですね)
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駅入り口通路左側の民家は昔は売店だったのでしょうかね。
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ホームは1面1線で津山から見て左側がホーム。ホーム長は169歩で意外に長い。線路の反対側は資材会社の社屋があり、ちょっと圧迫感あり。駅向きのフェンスに「祝日には日章旗を掲げましょう」と掲げてあるのは、創業者の主義なのかな。

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追記:明治期の地図では「皿山」と書いてあり、近くの川も「皿川」なので、「佐良山」という表記は近年になってからのものかも。昭和19年の国有化時の駅名が今の表記なのでその頃から?

 

津山線:亀甲駅 (かめのこう)

(小原) - 亀甲 - (佐良山)                         (訪問日: 2021/04/30)

津山線で北上して津山市に入る一歩手前、美咲町の中心部にある亀甲駅です。駅自体はは美咲町市街地の中心にあるのですが、国道53が市街地の外をバイパスしているので、国道から入るにはちょっと込入った脇道を通ってゆくことになります。

亀甲駅は、亀甲模様の屋根から亀の首が飛び出したちょっと変わった駅舎に図書館、食堂もある有人駅。駐車場は駅舎横に20台くらい、駐輪場は未確認、トイレは駅舎右手の別棟です。自動券売機と改札機は無く、対面販売・改札です。駅業務は委託販売なので、列車が来ないときは事務所不在の時もあるようです。

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ところで駅のある場所の地名は原田だし、ちょっと変わった駅名だなと思ったら、駅舎正面に由来の説明板があり。由来の亀甲岩は駅の近くにあるらしいですが、ちょっと見つけられませんでした。

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久米郡ロマンス企画
三、「亀」にあやかり子宝に恵まれ、長寿を願う(中央地区)
 『亀甲岩(かめのこういわ)伝説』
 昔、ここで生き倒れた旅の巡礼者がいました。
その人を哀れに思った村人が、この地に巡礼者を葬り、ねんごろに供養しました。すると、月の青い夜、巡礼者を埋葬した辺りから大きな岩が弘法大師の尊像を載せてせり上がりました。
この岩の形が亀に似ていたことから、その岩を亀甲岩と呼ぶようになりました。
地名には「亀甲(かめのこう)」の名前はありませんが、明治三十一年に開通した中國鉄道(現在のJR津山線)の駅名に亀甲(かめのこう)の駅名が付けられました。
 この地では「亀甲岩」を地域のシンボルとして、平成七年の亀甲駅舎などの改築の際に駅舎を亀の形にしたり、様々な場所に亀をモチーフにしたモニュメントを設置するなどしたまちづくりを行っています。
 久米郡ロマンス企画では、三番目の訪問地として「亀」にあやかり、子宝に恵まれ、長寿を願う地とします。

 

ホームは相対式の単式2面2線でホーム長は153歩、跨線橋で連絡、駅舎の横に引込線もあります。下は跨線橋から見た岡山方面と、その次が津山方面。 f:id:tkmov:20210627230126j:plain

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対向ホームにある待合所。
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おまけ:亀甲駅から北上して国道53号と合流するとこの倉庫にあった瓶コーラのカートン。こんだけまとまった瓶コーラを見たのは何十年ぶりだろう。
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山陽本線:尾道駅 (おのみち) 再訪

(訪問日: 2021/06/20)

建替えられた尾道駅を再訪。2階建てのお洒落な駅舎になりましたが、コロナ禍のせいか人影はまばら、自転車に乗った観光客もあまり見かけませんでした。そういえば背後の山上にあったお城はいつの間にか取り壊されているし、この数年で風景が変わってしまいました。

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とはいえ、その他の景色はあまり変わらず、対岸への向島渡船や駅前の稲荷神社ー蘇和神社は同じ風景です。ただ、駅前のラーメン屋が営業時間短縮で入れなかったのは残念。

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山陽本線:尾道駅 (おのみち) (追記あり) - tkmov(バイクとローカル線と)

 

津山線:小原駅 (おばら)

(誕生寺) - 小原 - (亀甲)                         (訪問日: 2021/04/30)

津山線は岡山から旭川と支流の誕生寺川に沿って北上しますが、誕生寺駅の北で峠を越えて吉備高原の上、吉井川水系に出ます。

小原駅は国道53号から少し脇道に入ったところ、農地と民家に囲まれた無人駅。野々口駅から北では久しぶりに、駅舎の無いホームだけの駅です。駅前の脇道には駐輪場(屋根付き)が15台分、駐車場は無く、ホームへは待合所横の階段で。下の写真のとおり付近に店舗・食堂も、飲料自販機もありません。

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待合所はホームから張り出した形で設置されたものが1棟、自動券売機や改札機はありません。ホームは単式1面1線でホーム長は115歩、津山方面に向かって左側(西側)にあります。
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おまけ:岡山方面へ通過するコンテナ貨物列車(かな?)

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建物財産票は確認できず。

津山線:沿線-誕生寺・北庄棚田

誕生寺駅の駅名由来になっている誕生寺、駅から北西へ約700m、バイクで数分ですので行ってみました。お寺の前には参拝用の大きな駐車場あり。山門の正面に本堂、左に観音堂、本堂の前には法然上人由来の大公孫樹。

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境内の大イチョウは「逆さの公孫樹」と言われているそうですが、確かに普通のイチョウとは違うこの枝ぶりを見れば、根と枝が逆さになっていると見えますね。那岐の菩提寺にもある大イチョウから、法然上人が杖として持ってきたのが根付いたとの事ですので、次は奈義の菩提寺にも行ってみなければ。
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熊谷直実の寄進で創建されてから約900年の古刹との事。不覚にも浄土宗法然の生誕が美作だったというも知らなかったし、そこに、平家物語 平敦盛の段で有名な熊谷直実が関係しているのも、意外な発見でした。

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誕生寺
栃社山誕生寺は、建久四年(1193)法力房蓮生(熊谷直実)が、浄土門念仏元祖法然上人誕生(1133年)の地に、師法然上人の御徳を仰ぎ上人誕生の旧邸を寺院に改めたものです。また、蓮生は、この寺でなき上人のご両親の追善供養のため、五年間の常行念仏を修したといわれています。
以来八百数拾年の星霜を経て、境内には法然上人のゆかりの公孫樹、片目川、産湯の井戸などがあり、また法然上人二十五霊場第一番札所となっています。両幡の天下ります椋の木は世々に朽ちせぬ法の師の跡(熊谷入道詠)

 

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誕生寺七不思議
〇逆木の公孫樹(境内)
 銀杏の大木が逆さに伸びたという
 法然上人十五才の旅立ちの時、那岐の菩提寺から杖にされた銀杏を地に挿された所、根が逆さに伸び、枝は本来、根っこであるといわれる。
〇御影堂の宝珠(境内)
 御影堂屋根の玉は何? 人生究極のお宝!
 参拝者が御影堂(本堂)を拝する時、棟の中央に置かれている「宝珠」は、まさに西方浄土の位置。人生で求めるべきところの真の宝であります「極楽浄土」の象徴と言える。
秦氏君・御鏡(宝物館)
 母、秦氏の涙あとが残る手鏡
 我が子、勢至丸(法然上人)との別れを悲しまれた母の涙のあとが残っている秦氏君・手慣れの銅鏡。
〇石仏大師(本堂脇壇)
 法難を予告した石仏
 天正六年、住職、深誉上人は片目川より御本尊のお姿に似た大師(法然上人)の石像を発見、手にしたところ、頭の下がったその姿に当時に何か異変が起こると感じ、御本尊を産湯の井戸に沈め隠された。その直後、浮田一門の襲撃により御影堂は破壊されたが、幸い御本尊は助かった。
〇黒こげの頭(本堂脇壇)
 法然上人のお顔だけは焼けなかった文楽人形
 浪花の文楽座の大火で、総て焼失した中で不思議にも法然上人の人形の顔の部分だけが焼ける事なく神々しく残っていた。
〇無垢の御影(客殿)
 法然上人の御影跡が残る無垢の真木
 法然上人ご誕生の際、二つの白幡飛び来て椋の枝にかかった。その初代の椋が枯れた時、真木より上人のお姿が昇天したと云う。その跡影。
〇人肌のれん木(客殿)
 法然上人の肌の暖かさを保ちつづけているれん木
 十五才の勢至丸、比叡山に旅立つ際、身体を暖めるために母に与えた、孝養の銀杏れん木。法然上人自らの肌の温かさを保っていると云う。

 

さて、誕生寺から更に西の山中にあるのが、北庄の棚田、棚田100選だそう。県道で谷沿いの急坂を登った先の稜線で少し道幅が広がって、眺望が開けます。

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訪ねたときは、まだ田起こしをしたばかりで、田植えまでは間がありそうでした。

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下の写真は国道53号へと稜線を下っているところ、高原の平坦地から川谷へと降りてゆきます。こうしてみると、吉備高原の端の浸食崖に棚田が作られているのが実感できます。
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