tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

山陰本線: 宝木駅 (ほうぎ)

(末恒) - 宝木 - (浜村)                         (訪問日: 2020/07/18)

末恒駅から宝木駅にかけて、山陰本線は海岸線から数百m離れて山間に入るので並走路がありません。なのでバイクは海岸線の国道9号で西行。9号は最近整備されていて、丘陵越える部分は登坂車線がつくようなりました。(まあ比較対象が20年前の記憶ですけどね)

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で、広い国道9号から漁村風の集落の路地を抜けるとポッカリと開けた広場があり、そこが宝木駅です。
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下の写真の道の奥に見えるのが宝木駅
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宝木駅は木造平屋瓦葺の駅舎がある有人駅(ただし平日のみ)。駅舎前に送迎用駐車枠が5台分、左手に市営無料10台+契約30台、右手にも市営無料が8台+契約枠が24台。駐輪場は屋根付きで80台分。(このあたり、各駅に鳥取市営駐車場がよく整備されています) トイレは駅舎右手ホーム外に設置。
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一応平日は有人なので、駅舎内に券売機、自動改札機は無し。
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ホームは2面3線+側線1線。下の写真のトイレと駅舎の間に貨物扱い所跡らしきスペースがあったり、側線のとこは小さな貨物ヤード跡だったりで、昔の貨物取扱の様子が残っているように思います。ホーム長は駅舎側の1番線が205歩、島式が250歩。ホーム間は跨線橋で連絡しますが、ここの跨線橋は小窓がついてないですね。
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下は島式ホーム上の待合室、倉吉方面の風景です。
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島式ホームから見た風景。右手の単式ホームの裏には側線あり、その向こうの建屋は今は生花店ですが、深い軒先の格好からすると昔は貨物倉庫だったのかも。
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駅前にあった説明板です。
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国指定重要無形民俗文化財因幡宝木の菖蒲綱引き」
菖蒲綱は、子供組によって伝承されている伝統行事である。この地方の行事の特色としては、行われる期日が五月の節句であること、綱を持って初節句、婚礼、新築等の家々を綱で地面を激しく打って回ること、綱に厄を負わせて海に流すこと、漁村地帯に多く行われていること、綱引きに見られる勝敗による年占いが見られないことなどがあげられる。こうした特色を持った因幡の菖蒲綱引きは、わが国の綱引き行事の本質、由来を考える上できわめて重要な遺産である。以前は旧暦の五月五日に行われていたが、今は、直前の日曜日に行われている。

元禄年中の名力士 大関「両国梶之助」
江戸元禄年中の名力士「両国梶之助」は寛文四年(一六六四)に宝木新町に生まれた。幼い頃から相撲が強く、鳥取藩のお抱え力士となり、最初「浮舟」次に「山ノ井」を名乗った。「両国」とは因幡伯耆二州にかなう者がいないとの意味で藩主池田光仲の命名といわれる。それまで武技であった相撲が、勧進相撲などの興行により大衆化する元禄期の京都、大阪において、有数の大力士として活躍し、八十数年後の店名年間に著された「相撲今昔物語」にも「寛永以来この方梶之介程の大力はなし」とうたわれるほど、その怪力ぶりは数々の伝説を生み今日に伝えられている。宝永五年(一七〇八)に四十五歳で没し、宝木駅の北方約三〇〇mに墓所がある。

  平成十四年度
鳥取県観光地整備総合補助事業・宝木菖蒲綱保存会