(本由良) - どんだけ道 - (厚東) (訪問日: 2019/07/06)
厚東駅前の案内板に書いてあった旧山陽道に行ってみました。「殿様だけ道」がなまって「どんだけ道」と理由づけられてたけど、あの芸人の決め台詞に寄せたんじゃなかろうな。(時事ネタは風化するんだよな)
駅前の県道37を500mほど北上し、どんだけ道の案内板を目印にして分岐します。
案内板では徒歩時間(約40分)が書いてあったけど、勝手にバイクでも通れると考えて進んでみたら、なんと草地の遊歩道。ダートじゃないから入れないことはないけど、ここは分別良く引き返します。そういえば四郎ケ原駅の近くにある赤間ヶ関街道跡も、似たような登山道みたいな道でした。やはり旧街道を保存するには、人道のままで維持するのが良い方法なんですかね。
史跡 山陽道(どんだけ道(どう))
どんだけ道のはじまりは、飛鳥時代にさかのぼる。当時、大和朝廷により畿内を中心に、諸国に向かって七つの道路が整備され、この七つの道路は、大路(山陽・西海)、中路(東海・東山)、小路(北陸・山陰・南海)に分類された。
特に山陽道は、当時の先進国であった中国の唐との交流を重視して「大路」と呼ばれる最大の幹線道路であった。その後、江戸時代には山陽道として、参勤交代の大名や役人・武士の通る「官道」となった。一方、一般庶民は厚東川沿いの「わき道」を通行していた。
このため、地元では「殿様だけが通る道」さらに、これが訛って「どんだけ道」といわれるようになった。
当時、毛利藩は西側山裾に「一里塚」を作った。その昔、一里塚の所に一軒の茶屋があり、身寄りのない「オカツ」という娘が働き、大繁盛していた、との言い伝えがある。
往時の姿を残す、貴重な道路史跡である。