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バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

宇部線:沿線-常盤公園と石炭記念館

(常盤) -  - (草江)                      (訪問日: 2019/04/13)

常盤駅の案内板にあった常盤公園、その中にある石炭記念館に行ってみました。

幕末の長州藩が欧州を見習って領内で石炭採掘を試みていたのは知っていましたが、ここ常盤湖のできる前、江戸時代初期には既に石炭採掘をしていたとの事で、宇部炭田発祥の地とされています。ただ実際に採掘会社が稼働するのは1900年頃らしく、これは八幡製鉄所が出来て国産製鉄が軌道に乗る時期と呼応しているのかもしれない。 (ところで字面だけみると「常磐(じょうばん)」と見間違って、常磐炭田と勘違いしそう。実際には「盤」の字が違うし読みも違うのですが、どちらも炭田で有名だったという共通点があるので、ちょっと頭が混乱しそうです)

下の写真は石炭記念館前に展示されているD51美祢線石灰石運搬していた機関車だそうですが、わざわざ25‰勾配で展示されてたとは気づきませんでした。
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で、こちらが石炭記念館と目玉となる竪坑櫓を流用した展望台、展望台から望む周防灘と宇部空港です。
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記念館の一階には坑道の再現展示、展望台には炭田の由来などの説明と炭田の写真が展示されています。

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以下、展示物からの引用です。

常盤湖

 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏は中国8か国112万石の所領から6か国を失い、長門・周防のわずか2か国30万石へと大幅に減封されました。そうした苦しいお家事情により、一旦は豊かな吉敷(現在の山口氏あたり)の地を与えられていた家老の福原氏は1625年(寛永2年)、寒村であった宇部へと領地替えとなりました。
 福原氏はこの苦境を乗り切るため、積極的に田畑の開作政策を進め、1695年(元禄8年)に常盤湖築堤に着手し、1698年(元禄11年)に完成しました。さらに、溜水、用水路工事、検地等関連作業が1701年(元禄14年)に完成し、その結果、305町9反7畝(約300ha)の水田を灌漑することができたといいます。
 工事は福原氏筆頭家老の椋梨権左衛門が中心となって行い、築堤にあたっては、本土手の位置を白髪の老人のお告げによって決めたり、池になかなか水が溜まらず、湖畔に松を植えたり、神仏に祈ったりしたという逸話が残っています。
 湖は南北に約1.8km、湖面面積約100haにおよび、掌をほぼ南北の方向に押し付けた形で、北部には指先に相当する入り組んだ地形が見られます。この入江を形づくる長く突き出した岬とそこに残された森の緑が生み出す陰影は、広大な水面の表情に変化を与え、常盤湖の景観を大変美しくしています。 

宇部炭田発祥の地と石炭記念館

 山口県の石炭に関する記述は1645年(正保2年)に刊行された俳諧論書「毛吹草」に、山陽道の宿場町として栄えていた舟木(現在の宇部市舟木)の名物として「舟木 石炭干漆ニ似、当初薪灯ニ用之」とあり、これが最古とされています。
 同時代における宇部地域の石炭採掘について述べた文献は現在のところ見つかっていませんが、1929年(昭和4年)の常盤湖干ばつの際に湖底から石炭採掘の跡が発見されたことから、常盤湖が築造された元禄11年(1698年)以前の、少なくとも江戸時代前期には宇部でも石炭の採掘がおこなわれていたと考えられています。そのため、このあたり一帯は”宇部炭田発祥の地”と伝えられ、石炭記念館がこの地に建設された理由の1つにもなっています。
 また、石炭記念館の展望台は宇部炭田の主要炭鉱の1つであった東見初炭鉱で活躍した竪坑櫓の部材を再利用したものです。この櫓は地上と電車坑道を結んだ人員竪坑の櫓として、炭鉱閉山まで多くの炭鉱労働者を運んできました。色や形状などは現役当時と比べると多少変わっていますが、イギリス洋式のバックステイ型の面影を残しており、展望台に改装されているとはいえ、竪坑櫓にのぼることができる数少ない建造物です。