tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

山陰本線:沿線-赤碕 河本家住宅

(中山口) - - (赤碕)

大山北麓の山陰本線沿線を走ると、農村地帯と漁村地帯(近世は海上交通地帯というべきか)が交互に現れますが、御来屋駅から赤碕駅にかけては街道が海から離れて農村地帯になります。そういう農村地帯のかつての繁栄ぶりを残す史跡として、赤碕駅西側の街道筋で古民家の展示を見かけました。

100m四方はありそうな大きな敷地と、その外からも見える大きな藁葺屋根の主屋が印象的ですが、時間がないので路傍に掲示されている案内板を撮影して、先に進みます。

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国指定重要文化財(建造物)
河本家住宅(かわもとけじゅうたく) (指定年月日 平成22年12月24日)
 河本家は尼子氏の家臣であった弥兵隆任を初代とし、寛文年間(1661~1673)、五代弥三衛門のときに当地に移り住んだとされ、以後、代々大庄屋などの要職を務めた。
 河本家住宅の主屋は、寄棟造、茅葺の居室部と、切妻造、瓦葺の客間部からなる。貞享5年(1688)建築の居室部は、寄棟造の屋根に棟石を置くなど、当地方の特徴をよく伝え、宝永4年(1707)建築の客間部のオクノマは、木の皮を残して加工した杉材を多く用いて透彫の欄間を入れるなど、洗練された意匠である。そのほか、文政3年(1820)の離れ、文化3年(1806)の味噌蔵及び米蔵天保13年(1842)建築の新蔵、安永8年(1779)建築の土蔵や、江戸末期から明治にかけて建てられた門及び納屋、米蔵及び大工小屋が残る。
 河本家住宅の主屋は、江戸中期の山陰地方における農家の住宅形式をよく伝える大型民家であり、かつ建築年代の明らかな民家としては山陰地方で最古に属す。また蔵などの付属建物を含めた宅地構成は、当家に伝わる嘉永期の家相図とよく符合し、豪農の屋敷構えをよくとどめるものとして価値が高い。
  平成27年3月 鳥取県教育委員会