tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

山陰本線:御来屋駅 (みくりや)

(下市) - 御来屋 - (名和)                        (訪問日: 2019/04/28)

御来屋漁港の後醍醐天皇史跡を見た次は、また国道9号を山側に越えて御来屋駅を訪問です。

御来屋駅は山陰線開通当時からの木造駅舎を残す無人駅で、待合室にはかつての発券窓口や料金表が残り、由来紹介等の掲示がされています。券売機(チャージ機能なし)を設置、事務所跡は「みくりや市」という直売所・喫茶店になっていますが、訪問した日曜日は定休日。駅舎左手には駐車場が10台分、駐輪場は屋根付きで30台分。トイレはホーム側と郊外と両方から利用できます。

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以下は待合室の掲示物各種。
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ようこそ 山陰最古の駅・御来屋へ
 明治の文明開化とともに全国各地で鉄道の敷設を求める声が高まっていた中、待望の陸蒸気(おかじょうき=SL)が境港~御来屋間を走ったのは、明治三十五(1902)年十一月一日。明治五(1872)年に新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が敷設されてから、三十年目のことでした。
 当時の運賃は、境港~御来屋間が三十八銭(当時コーヒー一杯二銭)で、約一時間三十分をかけて走りました。
 境港~御来屋間が山陰地方で最初の工事区間になった理由は比較的平坦地で、現在の名和町富長に大山軍馬補充部があったためだと言われています。
 以来百年、鉄道開業同時の駅舎が老朽化による建て替えで次々と消えていく中、御来屋駅の木造平屋建て駅舎は、明治期の建築様式を現代に伝える貴重な存在です。
 特に駅舎内の荷物受け渡し台・切符の発券台や窓枠などは、当時の面影を色濃く残しています。
 山陰鉄道発祥百周年にあたり、先人が守り伝えてきたこの貴重な遺産を次世代に継承すべく、駅舎の整備を行いました。
 この駅舎が皆様に愛され大切にご利用いただき、すべての方にとっていつまでも「ほっとする空間」でありますように願っております。

 

下は昭和10年代の小荷物運賃表。重量はkgと匁が併記されていて、運賃はたぶん銭単位。例えば24kgで1280kmだと2円25銭、インフレ率が2800倍*1だとすると6300円相当です。今の宅配便だと25kgで東北(約1400km)までだと1300~2400円なので、少し高めですね。
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ホームは2面3線で跨線橋で連絡、ホーム長は150歩。跨線橋は山陰でよく見かける小窓がひとつだけ付いた例の形式。 対向ホームには車掌車を再利用した待合室が設置されています。(この待合室の中を見忘れたのがちょっと残念ですが、まあそこは鉄分がないのでしようがありません)

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屋根瓦は珍しく赤瓦で、他の駅では軒端瓦にJRマークがついているパターンですが、この駅ではマークなし。待合室の掲示によると駅舎整備が2002年らしいので、その時期にはもう作ってなかったという事でしょうかね。*2
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保線用引込線に止まっていたマルチプルタイタンパー(最近、よく目につくような気がします)
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直売所「みくりや市」の入口にかかれた案内掲示。訪問した日は日曜で定休日。
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*1:当時の初乗り運賃が5銭に対して現在が140円なので。食品物価で比較するともう少し低くて2000倍くらいです

*2:1994年に行幸でリニューアルした岩美駅にはJRマーク付きの赤瓦(もう少し濃いエンジ色)が使われているので、1994~2002年の間に境界があるのかもしれません