tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

吉備線:足守駅 (あしもり)

(備中高松) - 足守- (服部)                  (訪問日: 2018/10/12)

服部駅から東進して足守川に差し掛かる所が足守駅。ここの地名が足守という訳ではなく、ここから2km上流の足守の街に由来するとの事。下の写真は国道180から足守川沿いに遡上してきて吉備線と交わった所で、踏切りの横が駅で入口にはたこ焼き屋

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駅前も、駅までの通路も自転車で一杯 (ある意味カオス。Wikipediaの2007年の写真ではすっきり整理されているんですけどね)。それでも送迎用駐車場は15台分くらい確保されています。

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足守駅は待合室のみ開放型の無人駅、自動券売機(ICOCAチャージ機能付き)とタッチ式改札機設置。ホームにはもう一つの待合室とトイレがあり。

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これは待合所1号
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もう一つは待合所2号
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ホームから見た岡山方面
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こちらは総社方面
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足守散策
 現在残る足守の町並みは、関ヶ原の戦いの翌年、慶長六年(1601) 太閤秀吉の正室北政所(ねね)の実兄にあたる木下家定が、姫路城から移封され、25000石の足守藩を治めたことに始まります。 一時天領となり代官小堀遠州の支配に属しましたが、元和元年(1615)に家定の子の利房が藩主となり、明治四年(1871)の廃藩置県までの二五六年間、木下氏の陣屋町(小藩で城郭を持たない大名の居城)として栄えました。
 今もかつての建築様式を伝える武家屋敷や、商家が数多く残り、岡山の伝統的生活文化を継承する貴重な地区として注目を集めています。