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バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ

山陰本線:沿線-掛戸松島

大田市駅で少し内陸に入っていた山陰本線が、久手駅を過ぎて波根の手前でググッと海岸線に近づいたところが名勝 掛戸松島です。

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f:id:tkmov:20180604232343j:plain 海岸線に立つ案内板

大田市指定名勝
掛戸松島
      平成五年三月十七日指定
      久手町波根西海岸(国有地)
 久手駅から徒歩で波根西海岸へ約十分位の所に要害山と梶山の切割から日本海に浮かぶ「掛戸松島」を望むことができる。
 この松島は鎌倉時代、徳治元年(1306年)地元の郷士有馬次郎左衛門一政と、二代目の次郎左衛門宗茂が千数百人の夫役を指揮して七ヶ年余の歳月を費やして開掘した所である。
当時波根湖は増水期になると水が氾濫して住民は難渋しており、度々の災害に遂に山岳を開掘して、湖水の水を日本海へ疎水することを遂行したのである。
 今は海水の浸食によって人工の跡はほとんど分からなくなっているが、奇岩、怪石が海中に散乱しており、六七八年前の難工事がしのばれる。
 日本海の波間にすくっと立っている松島の絶景は、明治四十年五月二十八日大正天皇東宮殿下の時、山陰行啓の折にしばしばご高覧され、昭和六年夏には簸川郡高松村出身の日本画家竹田霞村が「掛戸松島」を描いて広く世に紹介して以来「石東の名所」とよばれている。
  平成六年三月三十一日設置
     太田市教育委員会

(松島左右の山の名に、要害山、梶山と出ていますが、要害山は内陸部の出雲市境に近い山の名です。地形図(1/25,000)でも山名は出てないし、ちょっと疑問です)

 

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上の写真は国道9号からみた掛戸松島の遠景。正面で日本海を遮るように立つ屏風のような山が2つ、その間の隙間が掛戸の切割で、かすかに松島の細長い影が見えます。山陰本線はこの山体の内陸側をかすめて通っています。山の左右は砂丘由来の微高地で久手と波根の集落がのっていますから、ここから見れば山の間の隙間を開堀しようという気になったんでしょうね。 で開堀した結果、手前の平地が干拓されたのかというとそうではなくて、ここにあった波根湖が干拓されたのは昭和25年。(島根県 農村整備課HPより)。という事は、大正天皇行啓の頃は、日本海と波根湖に挟まれた砂州上の山陰本線から松島を見ていたのでしょう。

 

ところで奇岩以外に気になると言えば、手前の山陰本線橋梁の奥にある石組みの基礎。横から見ると防波堤の様にも見えるし、昔の橋脚跡の様にも見えるし。

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