土居駅 (訪問日: 2018/05/27)
可部線は筒賀駅から再び太田川河畔(戸河内地区)に戻ってきて、国道191号線と合流するところが土居駅です(でした?)
ホームは閉鎖されてませんが待合所の屋根壁は無くなっています。盛土上で吹きっ晒しなので風で飛ばされないように撤去したのかも。線路は撤去されていますので保存対象ではないという事でしょう。
三段峡側のホーム端には真新しいフェンスが張られ、そこの橋梁には落下防止ネットが張られているところを見ると、近々橋梁部を撤去するのではないかな。やはりコンクリ製橋梁は剥離片の落下とかが怖いんだと思います。
戸河内駅 (訪問日: 2018/05/27)
安芸太田町(可部線があった頃でいえば戸河内町)の中心部にあった戸河内駅、今は空地になって駅名票だけが残っています。
ーーここはJR可部線戸河内駅の跡地です。ーー
広島ー浜田間を結ぶ「広浜鉄道」計画は、明治27年以来の建設運動により、昭和11年に横川ー可部間(明治44年開業)の鉄道が国有化され「可部線」となり、同年に可部ー安芸飯室間が開業し、昭和21年には安芸飯室ー布間、昭和29年には布ー加計間が開業しました。
その後も、沿線の自治体と住民が一体となった広浜鉄道建設運動が行われ、昭和44年7月27日に待望の加計ー三段峡間(14.4km)が、国鉄本郷線として開業しました。後に可部線に編入され、可部線(昭和62年にJR可部線)は横川ー三段峡間(60.2km)となりました。
しかし、モータリゼーションの進展と観光ニーズの多様化などにより、利用者が減少し、国鉄民営化後の合理化が図られる中で、廃止対象路線となった可部ー三段峡間は、沿線住民の総力を結集した存続運動にもかかわらず、平成15年11月30日に廃線となりました。
可部線は、長い間沿線の住民にとって重要な交通手段としての役割を担ってきただけでなく、開通まで70有余年かかった夢の鉄道として、大切にされてきました。
この広場は、沿線住民の可部線への思いを後世に引き継ぐため、JR戸河内駅の跡地に整備したものです。
ーー安芸太田町ーー
三段峡駅 (訪問日: 2018/05/27)
可部線終点の三段峡駅(跡)のある柴木集落への入口。橋を渡った先の正面に可部線跡の盛土橋梁があります。
三段峡駅跡は今は登山者の休憩所とトイレに、線路・ホーム跡は駐車場になっています。
駅跡前の三段峡登山口。休日という事もあり登山者で結構な賑わいです。(写真にはたまたま、あまり写ってませんが)
三段峡沿線
三段峡から先を浜田まで結ぶ計画もあったといいますが、三段峡奥の国道191号なんか登坂車線もある急勾配ですから、どうやって鉄道敷設するつもりだったんだろうかと思います。(計画では石見街道(国道186)までトンネルで抜けるつもりだったようですけど)
というような事を考えながら計画路線付近の広域農道を走っている時に見かけた小学校跡ー旧雄鹿原小学校空城分校ーこぶしの里ふれあいセンター。サイクリングコースになっているらしい。