(新見) - - (根雨) (訪問日:2016/11/06)
新見ー根雨間を結ぶルートとしては、ほぼ直線で北上して明地峠を越える国道180号線がありますが、伯備線は低勾配のルートを探して西側に迂回して阿哲峡で備中神代へ、そこから北上して谷田峠を越えます。標高でいうと、伯備線 新郷駅ー上石見駅間の谷田峠が510mで緩傾斜なルートである一方、国道180号の明地峠が710mと標高が高いうえに、伯耆側の急傾斜では鉄道の通しようが無かったのだと思います。
明地峠の伯耆側。写真では斜度がよくわかりませんが、国道でもヘアピンカーブを数回繰り返しながらの峠越えです。鉄道ならスイッチバックを何回する事やら。
この明地峠越えのルートは中世からの街道で、後醍醐天皇が隠岐配流の際も通ったと伝えられ、峠から備中側に約7km進んだ千屋集落に後醍醐天皇の休石(やすみいし)もあります。
祠の横にあるのが休石
人皇第九十六代後醍醐天皇は、鎌倉幕府討幕のため笠置で幕府軍と衝突したが敗北し執権、北条高時に捕えられ、元弘二年(1332年)三月七日、京都六波羅をご進発、日々苦難の旅路を重ねられ、美作の国より備中路に入られ、旧阿哲郡大佐町大井野を通過、市倉峠を越え、入野(現在の井原)に至り、落合より当地花見へご到着されこの大石に神輿を駐め、しばしご休息遊ばされました。天皇は更に北上、明智峠を越され、伯耆路に入られ四月一日隠岐島へ流配されました。
よってこの地を休石と呼ぶようになり、爾来天皇を偲び毎年旧暦九月十五日、後醍醐神社の祭として執行し今日に及んでいる。