(下祗園) - - (古市橋) (訪問日: 2016/10/08)
下祗園駅と古市橋駅の間、県道沿いにある安神社。私が小さい頃はこの県道を「旧国道」と言っていました。今では東の国道183、更に東の国道54が主要道になっていますが、昔はこの神社前の県道が街道だったのでしょう。
由緒書きによれば祇園社とも呼ばれていたそうで、このあたりの祇園という地名、駅名の由来になった由。
安神社由緒
鎮座地 安佐郡祇園町北下安24番地
祭 神 素戔嗚尊 稲田姫命 火己貴命
祇園社ともいい初めは銀山(武田山)のふもとの松尾山にあって安芸の国鎮護の神として国司より厚く敬われ祭事及び社殿の維持はすべて当国の費用でまかなわれていた
正安年中(十三世紀)例祭の日に神輿がご旅所へ御幸中厳島社司佐伯郡桜尾城主平員家が数多の軍勢をひきいて参拝の群衆にまぎれて銀山城を攻めた
その際に松尾山本社付近の武田家臣の屋敷や民家と共に本社も社殿および神宝その他記録にいたるまで一切を焼失した 幸に御神体は祭礼のため御旅所(今の祇園社の地)に御幸鎮座中であったため兵火をまぬがれることができた
後武田家によって現在地に本殿が再建された
その後毛利福島浅野の各領主によって修理や再建が行われてきた
明治六年二月郷社となったが明治四十年三月九日火災にかかって社殿神器などほとんど焼失してしまった
ただ御神体だけは難を免れ異状のなかったことは不幸中の幸いであった
そして同年本社再建の許可を受け数多くの篤志家あるいは地方有志の多大な献金により大正二年再建され大正三年遷宮式をまた大正五年三月四日をもって極めて荘厳な落成式を挙行され現在に至っている
昭和四十七年七月吉祥日
宮司 牧原正佳