tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

芸備線:塩町

(下和知)(三良坂) - 塩町 - (神杉)

神杉から塩町まで1kmしかないのだが、線路は田んぼの中を突っ切ってゆき並走道路が無いので、一度R184に戻ってもう一度脇道に入る。
無人駅だが駅舎の中はよく整理されている。待合室も広く良い感じ。券売機なし。駐車場・駐輪場あり。隣接して食堂兼売店・自販機あり。この横山商店の自販機ジュースは100円。500mlカルピスソーダも。
小さい駅ながらホームへのアクセスは地下道。ホームが少し高いので陸橋より合理的か。S58着工なので、その頃はもっと利用者が多かったのかも。




駅舎内
(待合室)
(旧事務室)

駅前広場周囲とホームからの風景

待合室に塩町駅の来歴が張り出されている。田幸駅から始まって福塩線との接続、隣の駅から塩町駅の名前を譲り受けて、と多くの変遷があるので書かれたのだろう。それにしても、「塩町」という駅名を何故に神杉駅から移さないといけなかったのか。ここが塩町の中心だという自負があったのだろうか。

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1914(大正 3. 7.21) 福山駅-府中駅間開通。営業開始
1915(大正 4. 4.28) 芸備鉄道会社 広島志和地間開通
1915(大正 4. 6 .1) 志和地-三次(現西三次)間開通
1922(大正11. 6. 7) 三次-塩町(現神杉)間開通
1923(大正12.12. 8) 塩町-備後庄原間開通
1930(昭和 5. 1. 1) 備後十日市駅(現三次駅)開業
1930(昭和 5. 4. 2) 田幸駅(現塩町駅)開業。無人駅で現在の踏切の東にプラットホームがあった。
1933(昭和 8. 6. 1) 備後十日市-備後庄原間、国の買収となり庄原線と命名
1933(昭和 8.11.15) 田幸駅を現在位置へ建設移転。駅長以下職員十五名配属となる。
1933(昭和 8.11.15) 福塩北線田幸駅-吉舎駅間開通 分岐点となる。
1934(昭和 9. 1. 1) 田幸駅塩町駅に、塩町駅を神杉駅に改称
1934(昭和 9. 3.15) 備後庄原-備後両城間開通
1935(昭和10.11.15) 吉舎駅-上下駅間開通。府中駅-上下駅間開通
1935(昭和10.12.20) 備後西城-備後落合間開通
1936(昭和11.11.21) 備後落合-小奴可間開通。これによって備中神代-備後十日市間開通。線名を三神線と改称
1937(昭和12. 7. 1) 芸備鉄道会社、備後十日市-広島間を国が買取し国有となる。芸備線と改称
1950(昭和25. 2.23) 塩町駅貨物線新設。三番線完成
1953(昭和28.10.31) 快速列車ちどり号運転開始
1954(昭和29. 5.15) 貨物線ホーム新設20メートル
1954(昭和29.12.10) 備後十日市駅を三次駅に、三次駅を西三次駅に改称
1962(昭和37. 1. 1) 三次駅-庄原駅間閉塞。梃子新設
1962(昭和37. 3.15) 準急行しらぎり号、たいしゃく号運転開始
1962(昭和37. 4. 1) 貨物取扱及び荷物配達廃止
1963(昭和38.10. 1) 福塩線中畑、八田原、梶田、新駅開設
1968(昭和41. 3.31) 芸備線信号機色灯化実施
1970(昭和45.12.10) 福塩線貨物列車廃止
1971(昭和46. 3.25) 福塩線蒸気機関車廃止ディーゼル機関車となる
1972(昭和47. 3.15) 芸備線近代化開始
1987(昭和63. 4. 1) 日本国有鉄道芸備線がJR芸備線となる
1994(平成 6.12. 1) 塩町駅無人化、塩町タクシーに委託となる
田幸郷土誌編算(ママ)委員会
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