tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

吉備線:大安寺駅(だいあんじ)

(備前三門) - 大安寺 - (備前一宮)                            (訪問日: 2019/11/02)

吉備線宇野線で行きそびれていた岡山付近をまわってきました。まずは大安寺駅に向かおうと国道180号(バイパス)で北からアプローチしましたが、線路北側の沿道に入るのに失敗(吉備線跨線橋のずっと北から側道に入らないと左折できない)、吉備線を越えて新幹線沿いの県道から再アプローチ。この県道242はロードサイド店が多く、大安寺駅へはスーパーの角を入ります。
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大安寺駅は県道から入った先、吉備線の踏切横に待合所のある無人駅。踏切から待合所までの間には通信設備とトイレと、あとは駐輪場(およそ60台くらいが露天に駐輪中)、周囲は古い住宅街で道は狭く駐車場は無し。
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待合所には自動券売機(ICOCAチャージ機能付)と自動改札機(切符対応)を設置。
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ホームは島式1面2線で待合所から構内踏切(遮断器・警報機無し)で渡ります。隣の道路用踏切に警報機があるのと比べると、なにかチグハグなような、それとも素朴というべきか。
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ホームは待合所側(岡山から見て右側)が1番線で岡山行き。ホーム長は191歩で少し長め。線路の曲線に合わせてS字にカーブしてます。ところで建物資産票によれば、下の写真のホームの屋根も待合所だそうで、上屋との違いはどこにあるんだろうか。
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下はホーム端から見た吉備一宮駅方面。
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JR西の建物資産標は建物の種類も書いてあるので分かりやすい。JR東海なんか数字しか書いてませんし。
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おまけ:吉備線北側にある並走路。古い道筋の様で立派な門構えや蔵の古民家がつらなってます。
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高山本線:下油井駅 (しもゆい)

(白川口) - 下油井 - (飛騨金山)                                      (訪問日: 2019/10/06)

飛騨金山駅からもう一度、金山の街を通って国道41で南下、隣の下油井駅に向かいます。飛騨川の右岸が国道41、対岸が高山本線。同じ川幅の中国地方の川と比べると、やはり飛騨川は「岩を噛む」という表現が似合います。
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下油井駅に入るため、金山や下原と似たようなトラス橋で飛騨川を渡り、橋の先で線路の下をくぐります。
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駅に向かう、何やら街道風の沿道。そういえばこの道路、あの酷道256号なんですね。いつかこの国道も走ってみたいもんです。
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下油井駅への入口。この道を何台もバイクが通ってゆくのでちょっと不思議に思っていたけど、今にして思えば、あれはここから飯田方面へ走ろうというライダーだったんだ。
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下油井駅は木造平屋の無人駅。駅舎にも周囲にも食堂・売店の類は無く飲料自販機のみ設置、ただし川向うはR41なのでドライブインあり。駅前スペースに駐車枠が10台、駐輪場は屋根付きで15台分です。トイレは別棟で跨線橋下に設置、入口はホーム側にあります。
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Wikipediaに乗っている写真(2011年)では事務所窓口や改札口のシャッターが残ってましたが、いまは完全に壁で塞がれてます。自動券売機、改札機は無し。
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ホームは相対式で2面2線、ホーム長は130歩で、更にフェンスの先の立入禁止箇所が30~50歩ぐらい。ホーム間は跨線橋で連絡していて約30歩の千鳥配置です。
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跨線橋から見た白川口駅方面。
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こちらは飛騨金山駅方面。
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対向ホームにある待合所。
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建物資産標は、駅舎(03-1001)、待合所(05-1008)、便所(39-1012)のもの。駅の開業はS3年3月21日ですが、資産票は12月付なんですね。駅舎が遅れて建てられたということかな。
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ここにもアニメのポスターが。これもご当地アニメというんでしょうが、岐阜基地はちょっと遠いと思うな。
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高山本線:飛騨金山駅 (ひだかなやま)

(下油井) - 飛騨金山 - (焼石)                          (訪問日: 2019/10/06)

トランザルプミーティングの帰り、飛騨路にちょこっと寄ってきました。東海北陸道の富加関ICから県道58号で金山町まで走ったのですが、美濃-飛騨間のショートカットルートだけあってRも緩く快走路です。飛騨川沿いに出たら国道41で金山に向かいます。
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国道41から金山市街地に入る所。ここからは古い町並みながら、日曜早朝から空いてる店もあり「生きてる」感じがします。
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金山の市街地を抜けると鉄橋で飛騨川を渡って、飛騨金山駅に着きます。(そういえばこのあたりの飛騨川にかかる鉄橋は皆同じ構造、同じような色のトラス橋ですな)
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さっき渡った鉄橋のところは昔、飛騨川の渡し場があり、渡し場から北が飛騨国、南が美濃国で国境があったところ。細かく言えば飛騨金山駅のある方は飛騨国大船渡村で、対岸が美濃国金山村なので、駅名は両方を折衷したような名前になっています。駅員の方に言わせれば、名古屋方面からみて飛騨の入口という意味でこういう駅名になっているけども、地元の意識としては美濃の方を身近に感じるとの事です。

飛騨金山駅は木造平屋の有人駅、自動券売機は無いので昔ながらに窓口で購入するのですが、入場券を買おうとしたら「写真ならそのまま入って」と言われて、かえって買いそびれてしまいました(次からは遠慮せずに買うことにしよう)。駅に売店はありませんが、通ってきた駅前の通りに店舗はいろいろあります。 自動改札機は無し。駅舎前に駐車場枠が5~6台(その他に月極駐車場もあるかも)、駐輪場は約150台分(屋根付)。

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ホームはホーム側に1面1線と島式1面2線、その他に側線多数、島式ホーム上には古い待合室が1棟。ホーム長は293歩。
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下はホーム端から見た焼石駅(高山)方面。
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こちらは下油井駅(岐阜)方面。
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建物財産票は、駅舎(03-2001)と待合所(05-2016)。
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下は駅舎内の観光ポスターですが、「筋骨めぐり」というのが気になる。
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高山本線:沿線-下原八幡神社

(訪問日: 2019/10/06)

飛騨金山駅に来たついでに、境内を高山本線が通っている下原八幡神社に寄って見ました。(というか、Wikipedia高山本線の項にこの八幡神社の写真があったので、見に来たというのが正確なところ)

下原八幡神社は飛騨川左岸、飛騨金山駅から2km程上流でルートは2つ。行きやすいのは右岸の国道41号から下原小学校へ分かれて、その先の鉄橋を渡って神社参道から行く道。もう一つは飛騨金山駅から飛騨川左岸の高山本線沿いに走って、下原集落の中を通って神社社殿脇に出る道で、最初はこちらでたどりましたが、ちょっとわかりにくくてお勧めできません。

 下写真は下原小学校と下原中津原集落の間にかかる鉄橋(写真は神社中津原側から見た所)
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神社参道から通して神社を見た所。ふたつの鳥居の間を線路が通っていて、参道には踏切があります。ちなみにこの参道は車両通行止めです。
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山沿いに線路がある場合、斜面上の家や寺社への道が線路で塞がれているのは良くあることですが、ここは参道を横切って境内脇を線路が通っています。もしかしたら線路から川側は境内ではないのかもしれないけど、ここの参道は飛騨川の船着場から直接登ってくるようになっているので、昔は神社敷地だったのではないかな。(由緒によると境内は六段=1800坪だそうですから)

やはり参道を横切って境内を列車が通ってゆくのは、ちょっと不思議な光景です。
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境内にあった由緒書き。上古からの創立や武振熊の由来などは斐太後風土記 中津原村の項にも同じように書かれています。ところで斐太後風土記では飛騨一宮 水無神社と同じ祭神なので中津原水無八幡宮と称した、としていますが、水無神社は八幡宮ではないように思うんですけどね。あるいは水無神社が位山をご神体としていて、そこは両面宿儺の伝説がある事が関連するのかもしれません。
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下原八幡神社
祭神  応神天皇
創立  仁徳天皇の御代 千六百年前
社格 郷社 下原郷(下原・中原・上原)十七カ村
境内坪数 千九百三十五坪
     上古は、中津原水無八幡宮と称して飛騨八社の第一番であった。
由緒
 斐太後風土記によると仁徳天皇の御代、飛騨の国は「両面宿儺」という首長が治めていた。宿儺は、一つの体に両面があり手足は四本づつあって、走ることは馬の如く左右に剣を佩し強弓を引く豪傑であった。時恰も大和朝廷の全国統一期にあたり、宿儺は天皇の命に反したので、皇弟の「難波根子武振熊命」が勅命を奉じて飛騨へ討入る事となった。
 武振熊は、武内宿祢と共に神功皇后にお供して、三韓に渡り凱旋の後も香坂王忍熊王の軍に勲功のあった名将軍であったので、美濃国高沢山の要塞で両面宿儺の軍を打ち破り、道々心を配りつつ中津原に来て軍勢を宿め、飛騨入国の最初のこの地に仮の斎場を設けて先帝、応神天皇の御霊を奉祀して戦勝祈願された遺跡が下原八幡神社の起源である。武振熊は、どこからともなく舞い降りた一羽の白鳩の道案内によって無事討伐の任を果たした。
 本殿の左側の注連縄を廻らした大岩を、昔から猫の形に似てもいないのに「ねこ岩」といっている。武振熊がこの大岩の上に八幡様を勧請されたので、難波根子武振熊命の「ねこ」から来たものといわれている。「根子岩」の横に国指定天然記念物で直径四米の「神代杉」と、傘の様な大杉で乞食が年中居たという「乞食杉」や、穴がいくつもあってくぐることが出来た「蓮根杉」があったが、昭和二十四年、濃斐中学建設資金として伐倒された。嘉永六年(一八五三)の神木改によれば、目通り一丈以上九本、六尺以上八本、の記録がある。昭和二十一年神祇会となる。神社総代七名 内主管者一名、氏子数六百戸。
文化財 十二点 懸伝・神鏡・御輿・絵馬・山車・高寺権現の神鏡
        花笠踊・御神刀・槍・長刀・狛犬・社叢
境内社 神明神社 祭神 天照皇大神
         創立 安政四年(一九五八) お田植祭りとして、祭日が五月五日であったが平成元年から四月祭と合併。
    春日神社 祭神 武甕槌神(たけみかつきのかみ) 経津主神(ふつぬしのかみ) 天児屋根神(あめのこやねのみこと)
         創立 元亀三年(一五七〇)
歴代神職 中世飛騨守護職、京極氏の一族である京極四郎左衛門尉源高氏の後裔が当村に住み、その五世の孫、細江喜助が元和年間(一九一五)より当八幡神社に奉仕した。代々「若宮太夫」を名乗り、その十三世 細江志津馬に至り断絶

 

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おまけ:この八幡神社の前の道はサイクリングロードになっている様で、国道から橋を渡って飛騨川左岸を登ってゆく自転車を何台も見たんですけど、この先は川沿いの道は行き止まりのはず。もしかして峠越えで木曽街道まで行ってたんだろうか。

 

高山本線 駅名

高山本線の駅名リスト

(東海道本線:岐阜)
- 長森 - 那加 - 蘇原 - 各務ケ原 - 鵜沼
- 坂祝 - 美濃太田 - 古井 - 中川辺 - 下麻生
- 上麻生 - 飛水峡信号場 - 白川口 - 鷲原信号場 - (下油井)
- (飛騨金山) - 福来信号場 - 焼石 - 少ヶ野信号場 - 下呂
- 禅昌寺 - 飛騨萩原 - 上呂 - 飛騨宮田 - 飛騨小坂
- 渚 - 久々野 - 飛騨一ノ宮 - 高山 - 上枝
- 飛騨国府 - 飛騨古川 - 杉崎 - 飛騨細江 - 角川
- 坂上 - 打保 - 杉原 - 猪谷 - 楡原 - 笹津
- 東八尾 - 越中八尾 - 千里 - 速星 - 婦中鵜坂
- 西富山
(北陸本線:富山)

 

高山本線の他の記事

高山本線:沿線-下原八幡神社 - tkmov(バイクとローカル線と)

 

 

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身延線:市川本町駅(いちかわほんまち)

(市川大門) - 市川本町 - (芦川)                           (訪問日: 2019/10/05)

身延線は芦川を渡って市川大門の市街地に入って、すぐに市川本町駅があります。沿道は市街地の一番南側の南線通りですが、役場とか店舗はもう少し北側の通りにあるようですが、商店街としては少しまばらかな、という印象。
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駅へ入る脇道は、まっすぐ進むと古刹宝珠院の山門に続きます。(というか、鉄道以前はこの脇道が参道だったという事ですよね)
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上の踏切脇からスロープで駅前に入れますが、こちらからは車両は通行止め。もう一つの駅正面からの路地からなら狭いながら入れるかもしれませんが、駅前は単に路地なので駐車場は無く、屋根付き駐輪場が25台分のみ。
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市川本町駅は身延線の例の通り、コンクリート打ちっ放しの駅舎にその地に合わせた外装になっていて、市川本陣にちなんでか、和風の外観です。ただ、駅舎は無人駅仕様で駅事務所がないので、待合所と呼ぶべきかも。自動券売機、自動改札機は無し。トイレは駅舎左に別棟になります。
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待合室は甲斐上野駅とか他の駅舎に比べて少し広い。
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ホームは1面1線で待合所が直結、ホーム長は149歩。下はホームから見た市川大門駅方面。
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ホームから見た、段丘上にある宝珠院と市川小学校。ここまで身延線甲府盆地の平地の中を通ってきましたが、ここからは河岸段丘とか山間を縫ってゆくことを予感させます。
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駅南側に気になる物件が一つ。蔵付き駅前という条件にしても借り手がつくのか心配な物件です。
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おまけ:待合室内に貼られていたご当地アニメのポスター。そういえば舞台は身延線沿線でしたね。
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身延線:芦川駅 (あしかわ)

(市川本町) - 芦川 - (甲斐上野)                         (訪問日: 2019/10/05)

甲斐上野駅から三珠町市街地を県道3号で南進、芦川直前で芦川駅入口の案内にそって脇道(県道36)に入って芦川駅に着きます。

県道から芦川駅への入口。
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芦川駅は踏切脇にホーム1面だけある無人駅。ホームは北西側(甲府から見て右側)でホーム長は120歩。
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駅舎は無くホーム上に待合室が1棟、ホームへは待合室を通って入ります。自動券売機、改札機は設置無し。
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下はホームから見た市川本町駅(身延)方向。
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駅自体には駐車場はありませんが、ホーム反対側の山側に市営駐車場が24台分、駐輪場はホーム側奥に屋根付きで30台分あります。この駐輪場手前、畑地の一角に新しそうなトイレも設置。周囲に店舗はありませんが、近くの県道3号が昔の街道筋なので、何件か店舗があり。

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おまけ:芦川駅隣の畑地の中に建っていた古い電柱。

もうケーブルは張られておらず1本だけ残されていますが、多段の横腕木とその上に並ぶ碍子列は、まるで昭和初めの絵本に出てきそうな電柱です。(南甲府駅でもこういう印象を感じた) まだステー線が張られているという事は、趣味で残されているのだろうか。

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古い電柱(芦川駅前)

 

 

身延線:甲斐上野駅 (かいうえの)

(芦川) - 甲斐上野 - (東花輪)                        (訪問日: 2019/10/05)

甲府盆地を南下した身延線東花輪駅から先で笛吹川を渡り、笛吹川(その下流富士川)沿いに走ります。同じく笛吹川を渡った県道3号から200m程山側に入った所に甲斐上野駅があります。

駅舎は国母駅、常永駅と同じくコンクリート打ちっ放し、ただし無人駅仕様らしく出札口は無し。自動券売機、改札機もなし。歌舞伎市川家発祥の地らしく、駅舎外壁には三升紋が描かれてます。(これをシンプルなアクセントと見るか、それとももう少し飾り気を持った方がよいと思うべきか)
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ホームは島式1面2線で、駅舎から構内踏切で渡ります。この構成や、ホーム端に小屋根がある所とかは、他の島式ホームを持つ駅と同じ。

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ホーム長は122歩で、ホーム上に待合所が1棟。屋根下の半分だけ待合室になっているのは山陰線とかでよく見る構造です。(いや、他でも良くある構造なんでしょうけど、私があまり知らないだけ) 建物資産標によれば駅開設時のS3年からの建物のようです。
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下はホーム端から見た東花輪方面。
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下はホームから見た芦川駅方面と、行き違いの列車。
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駅前広場には駐車場が4台分、東側に駐輪場(屋根付)が50台分と駐車枠4台、西側の消防団車庫前に10台分ぐらいの駐車枠。また駅前には蕎麦屋もあります。 

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駅西側の駐車場。消防団車庫のペイントも、歌舞伎にちなんで芝居文字に。
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歌舞伎の初代市川團十郎はこの地の出身との事で、近くには歌舞伎文化公園があり、駅でも駅舎壁の三升紋とか、歌舞伎に因んだ意匠がつけられてます。

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歌舞伎文化公園の由来
初代市川團十郎の曽祖父、堀越十郎家宣は武田家に仕えた能係で、信玄公の異母弟・一条右衛門大夫信龍の家臣でした。
三増合戦の折り、手柄を立てここ旧三珠町上野の地を拝領し、居を構えました。(現在の「歌舞伎文化公園」のある場所) 1582年、武田家は織田・徳川軍に敗れ堀越家は下総国(千葉県)へ落ち延びます。
その後、江戸に出て、江戸歌舞伎きっての名門市川團十郎となります。團十郎の出身地は、長きにわたり謎に包まれていましたが昭和七年、山梨県一宮町の石原家に秘蔵されていた家系図や古文書などが発見され現在公園のある場所が「市川團十郎発祥の地」であると判明しました。
公園内にあるぼたん園には、十二代目市川團十郎丈撰文による碑文が刻まれた「発祥の石碑」が建立されています。
                     市川三郷町

 

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身延線:東花輪駅 (ひがしはなわ)

(甲斐上野) - 東花輪 - (小井川)                          (訪問日: 2019/10/05)

小井川駅から東花輪駅へは、一旦表通り(県道3号)まで出て南進して、脇道で駅へ入ります。どうもこのあたり、こういう入り方が多いですね。
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東花輪駅は県道3号から100mくらい脇道(といっても韮崎アルプス中央線の県道12号)を入った先にある、木造平屋西洋瓦葺きの洒落た駅舎のある有人駅。駅前のロータリーにはタクシー乗降場と送迎用15台の駐車枠、駅舎付属の駐輪場10台分と、北側に二階建の市営駐輪場があります。1階には原付用で狭いながらバイク用区画もあり、今まで見た駅の中でも充実した部類かも。駅前には中華料理店など店舗数店あり。
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f:id:tkmov:20200101222810j:plain 原付区画に大型を停めると、2台分枠を使ってしまうので、少し無理があるか。

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駅舎内には出札口と自動券売機(チャージ機能なし)を設置。自動改札機は無し、トイレは別棟。
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ホームは島式1面2線でホーム長は123歩、駅舎からは構内踏切で渡ります。貨物線などの側線が多数あるせいか、国母駅や常永駅に比べて踏切も幅広のような気がします。

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下は駅舎から見たホームと小井川駅(甲府)方面。
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こちらは甲斐上野駅(身延)方面
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ホームの1番線が甲府方面、2番線が身延方面
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建物資産標は、駅舎(S3年3月)とホーム上屋(H15年10月)のもの
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おまけ:駅舎の破風についている紋章

駅舎裏手の破風の瓦にはロータスのような紋章がついています。JR西日本では駅舎の棟瓦にJRマークを付けているので似たようなものかとも思いましたが、南甲府駅とかでは見かけなかったので、この花輪地域に因む文様なのかもしれません(それにしてはちょっとヨーロッパ風ですが)。あるいは昔の身延富士鉄道関係の文様なのか? 駅舎表側の破風には付いていないのも、何やら訳ありな感じです。(でも、どこかでも見たような気がするので、一般的な飾りかな)
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身延線:小井川駅 (こいかわ)

(東花輪) - 小井川 - (常永)                       (訪問日: 2019/10/05)

小井川駅は身延線が県道12号(韮崎南アルプス中央線)との交差地点のすぐ南。地図で見ると位置は分かりやすいですが、駅に入るのは大変。県道3号と12号の交差点から12号バイパス高架下の側道を通って(下の写真)、側道の高架で身延線を越えた後にバイパス高架下をUターンして線路沿いに戻ってきて、脇道に入って駅にたどり着きます。しかし、このジェットコースターのようなアプローチは実際に通ってみないと、ちょっと文書では伝わらないと思います。
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駅前には駅所属の駐輪場と市営駐輪場があり。でも自転車を前提にしているせいで、大型二輪には区画や通路が狭いし、入口にきつい段差があるし、あまり二輪車には入ってほしくない様子。(まあ市営駐輪場の隙間に半分無理やり入れましたけど)
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小井川駅には駅舎は無く、線路わきの踏切からホームに上がると待合所が1棟ある無人駅。送迎用駐車場は見当たりませんでしたが、パークアンドライドを進めているそうなので、単に見つけられなかっただけかも。自動券売機、自動改札機の設置は無し。トイレはホーム上に設置。駅自体に飲料自販機、売店、食堂はありませんが、200m程西の県道3号にはコンビニなどの店舗がいくつかあり。
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下はホームから見た東花輪駅(身延)方面、その次が常永駅(甲府)方面。ホーム長は107歩。
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建物資産標は待合所(05-4002)とトイレ(39-4002)のもの
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おまけ:小井川駅前の花輪タクシー
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小井川駅のある中央市の中心部は旧花輪村なので、会社や学校名などに「花輪」が使われていて、たとえばこの駅前には花輪タクシーがあります。(そもそも隣の駅が東花輪駅だし) 一方で花輪と言えば、秋田・岩手に花輪線鹿角花輪駅があるのですが、そういえば奥州南部氏も甲斐南部から出ている事を思えば、花輪という地名も何かつながりがあるのかも。