tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

北陸本線:新疋田駅 (しんひきだ)

(近江塩津)(旧柳ヶ線) - 新疋田 - (敦賀)                    (訪問日: 2018/10/16)

北陸線の南側、柳ヶ瀬峠経由の路線に行く途中にある新疋田駅は、とりあえず立ち寄って駅舎の写真を撮っただけです。中を見るのはまた次の機会にしておきます。

f:id:tkmov:20190114020150j:plain

 

北陸本線:沿線-旧北陸線トンネル群

(敦賀) - 旧北陸線トンネル群 - (山中信号場跡)                     (訪問日: 2018/10/16)

北陸線を使った県道207は露天部分はぎりぎり車が離合できる幅ですが、さすがにトンネル部分では無理。たとえバイクでも対向車が来たらすり抜けは不可能です。直線で見通せるトンネルでは対向車のライトが無いことを確かめてから、おっかなびっくりでトンネルに入る事になります。

見通せない曲線トンネルは入口に信号があるので安心ですが、そのかわりこの信号が3分とか5分とか長い。赤信号でも見切りで入ろうかと思うかもしれませんが、この県道は越前海岸までの連絡道なので、そこそこの交通量があります。トンネル内ではちあわせになると大変ですので、くれぐれも信号は守りましょう。

f:id:tkmov:20190112232601j:plain

f:id:tkmov:20190112232605j:plain

f:id:tkmov:20190112232610j:plain

f:id:tkmov:20190112232616j:plain

観音寺トンネルを出て杉津駅跡に向かう道は、周りの山岳風景にそぐわない直線道路。確かにこういう所を鉄道が通っていれば、風光明媚と有名になるのも分かります。
f:id:tkmov:20190112234429j:plain

下は杉津駅跡で越前海岸への分岐点。旧北陸線と杉津駅跡はこの左側の北陸道に吸収されているので、ここの県道は旧北陸線とは少し外れているらしく、ちょとと勾配がきつくなってます。この後はしばらく葉原集落まで、北陸自動車道と並走することになります。(順序からすると旧北陸線跡を北陸自動車道がなぞっているのですが)
f:id:tkmov:20190112234439j:plain

f:id:tkmov:20190113000713j:plain

 

北陸線は、葉原集落で木の芽峠から下って来た北国街道と合流します。その葉原区公会堂にあった明治天皇葉原御小休所跡の碑。明治11年の北陸行啓のものですからまだ鉄道が開通する前の事で、一行も木の芽峠で今庄から下ってきたのです。

f:id:tkmov:20190113001349j:plain

葉原からもう少し下って樫曲にある樫曲トンネル跡。このあたりの北陸線跡は国道476に置き換えられていて路幅があるので、トンネルは歩道に使われています。この写真は西側入り口からみた所。
f:id:tkmov:20190113003701j:plain

入口近くの内壁左右には、土木学会選奨土木遺産登録有形文化財の銘板が埋め込まれています。
f:id:tkmov:20190113005204j:plain f:id:tkmov:20190113005208j:plain

f:id:tkmov:20190113004134j:plain

北陸本線敦賀ー今庄間について
 この樫曲隧道を初めとして、山中隧道までの旧北陸本線(通称:杉津線)には、明治29年(1896)の開通当時12の隧道が作られ、現在は10個が残されています。全てが同じ工法ではなく、それぞれに違いがあります。
 樫曲隧道は、長さ86m、断面の高さ5.5m、幅4.76mの馬蹄形の隧道です。トンネル全体は、大阪の堺煉瓦工場から搬送されてきたレンガで造られており、下部はイギリス積み、上部のアーチは長手積みで施工してあります。
 なお、この区間は当時の鉄道の限界と言われた1000分の25という急勾配が連続し、最少曲率半径360mの難所でした。昭和37年(1962)6月の北陸トンネル開通により、杉津線は廃線となりましたが、現在は地域の方々が南北を結ぶ生活道路として活用しています。
 真っ直ぐのびた道路や大きく緩やかなカーブを描く築堤などから、そこが当時線路であったことを知ることができます。

f:id:tkmov:20190113004129j:plain

イギリス積みと長手積みの使い分けが分かる内壁。なぜか後付けでガス灯風の電燈がついています。
f:id:tkmov:20190113004610j:plain

この電燈、トンネルを歩いて見廻っているといつの間にか点灯してました。タイマー設定なのか、人センサーがなのか分からないけれど。ところで、院内駅の資料館でも思ったけど、煉瓦造り=異人館=ガス灯(のような電燈)という連想が、ここでも働いたんだなあ、と。

f:id:tkmov:20190113005603j:plain

 

おまけ:途中にあった新保駅跡の案内板

f:id:tkmov:20190113010731j:plain

 

北陸本線:沿線-山中信号場跡

(旧北陸線トンネル群) - 山中信号場跡 - (大桐駅跡)                     (訪問日: 2018/10/16)

県道207号=旧北陸線も大桐駅を過ぎると標高を上げてゆきますが、峠道にしては緩傾斜でゆるいRを描くところが、普通の道路とは違います。
f:id:tkmov:20190107232950j:plain

途中の谷底では北陸新幹線のトンネル工事中。新幹線が今度は旧北陸線の方をなぞって行く(どちらかというと、交差しながらというべきか)というのも、ちょっと興味深いものがあります。
f:id:tkmov:20190107233105j:plain
途中のロックシェードはまさに列車一両分の幅しか無く、ここが昔の線路跡だと印象付けてくれます。

f:id:tkmov:20190107233111j:plain

そうやって峠付近まで上って来たところが中山信号場跡。バイクを停めたスペースの後ろ側がスイッチバックの待避線です。
f:id:tkmov:20190107234625j:plain

上の写真から振り返ったが退避線跡。水平な築堤の先にはロックシェード(スノーシェードか?)が残っています。案内板の写真だとここは複線だったそうですが、結構ギリギリな幅ですよね。
f:id:tkmov:20190107234620j:plain

待避線跡から4~500mくらい上った所が中山トンネルと、左隣が引込線のトンネル跡です。上り線は一旦この引込線トンネルにはいってから、バックでさっきの待避線まで4~500m戻って待機してたという事になります。1kmぐらいの区間を縦横に使って列車が行き違いをしていたのを想像すると、チョコチョコと走り回っているバイクとのスケール感の違いを感じます。
f:id:tkmov:20190107234610j:plain

f:id:tkmov:20190107235839j:plain

山中信号場 待避線跡地
当時の北陸線であった敦賀ー今庄間は、海抜八メートルの敦賀駅から、南条山地の山中峠の下をくぐり、海抜二六五メートルの山中信号所まで前後一四キロメートルにわたって千分の二十五の上り勾配が連続し、しかも曲折が激しかった。
山中信号所からは、これまた千分の二十五の急勾配で大桐駅まで一気に駆け下るという、現在の鉄道設計では考えられない過酷な線路であった。また列車の停車や通過列車の退避は、急勾配の線路上では不可能で、水平な折り返し線や待避線路を使わないと停車や発車は出来なかった。
このため、敦賀ー今庄間には、敦賀市の新保、葉原ならびに南越前町の山中に、列車の折り返し線と待避線路を併せ持った施設としてスイッチバックが設けられた。
この方式は単線列車往来の一つの退避方法として、初期の鉄道敷設時代に考え出されたシステムである。
上の図は、山中信号場のスイッチバックの状況である。急勾配の本線A(今庄方)の大桐駅から上って来た列車は、いったん勾配の無いBの折り返し線に進入し、バックで上りの待避線Cに入って信号待ちする。下り列車が通過した後に、この水平な待避線から発車し、勢いをつけて元の本線に進入してDの山中トンネルに入り、敦賀に向かった。下り列車が退避した場合は、上り列車が通過後、本線もしくは折り返し線に入り、大桐駅へ向かった。したがって、待避線は上りと下りの複線になっていた。なお、現在地は待避線上りの入口である。
一九六二(昭和三七)年三月、北陸トンネル完成による北陸本線の開通で杉津線は廃線となり、現在、生活・産業道路として利用されている。
                        南越前町

f:id:tkmov:20190107235849j:plain f:id:tkmov:20190107235854j:plain



 

北陸本線:沿線-大桐駅跡

(山中信号場跡) - 大桐駅跡 - (南今庄)                  (訪問日:2018/10/16)

南今庄駅を過ぎると県道207号は真っ直ぐと西に進みます。最近のバイパス道かと間違えそうですが、ここが旧北陸線跡の築堤との事。

f:id:tkmov:20190106230535j:plain

 

そうした直線が山を登り始める直前にあるのが大桐駅の跡。説明板にはスイッチバックがあったと書いてあるけど、素人目には引込線がある様には見えませんでした。

f:id:tkmov:20190106230548j:plain

f:id:tkmov:20190106230617j:plain

f:id:tkmov:20190106230620j:plain

f:id:tkmov:20190106230558j:plain

f:id:tkmov:20190106230624j:plain

 

北陸本線:南今庄駅 (みなみいまじょう)

(敦賀)(大桐駅跡) - 南今庄 - (今庄)                     (訪問日: 2018/10/16)

今庄駅に続いて、旧北陸線北陸線が分かれるところにある南今庄駅です。*1

南今庄駅は斜面築堤上にホームを追設した格好の無人駅。県道207号線のすぐ脇なので駐車場、駐輪場は無し。(ただすぐ近くに休憩所があるのでそこの駐車場を使っても良いのかも) 周囲に人家は無いので食堂・売店の類もなし。券売機は無いけどタッチ式改札機があります。(Wikipediaによると訪問日の1ヶ月前から運用したばかりの様です)

f:id:tkmov:20190106162723j:plain

f:id:tkmov:20190106162728j:plain

 

ホームは上下線各々に対面で2面2線、構内踏切で接続、ホーム長は少し短い上り線側で127歩。ホーム上には各々待合所があります。

こちらは上り線ホームから見た今庄方面。
f:id:tkmov:20190106162823j:plain

同じく上り線ホームから見た敦賀方面と、通過する特急(だと思う)。
f:id:tkmov:20190106162830j:plain
f:id:tkmov:20190106163409j:plain

建物財産標の様式は、JR東海とJR西の様式が混ざったようなデザインです。ここが福井管区ということは福井近辺はこういう様式という事かもしれません。(また調べ事が増えてしまった。しかも北陸新幹線が福井に来る前に調べないと。)

f:id:tkmov:20190106163548j:plain f:id:tkmov:20190106163552j:plain

 

追記:ホームの半分くらいに引いてあるゴム板は、電源ケーブルがつながっている所を見ると融雪用シートの様です。
f:id:tkmov:20190106182834j:plain

 

*1:厳密にはもっと今庄駅よりが分岐点らしいですけど

北陸本線:今庄駅 (いまじょう)

(南今庄) - 今庄 - (湯尾)                    (訪問日: 2018/10/16)

北陸線トンネル群に行く前に、手前の今庄駅に寄ってきました。(北陸自動車のICが今庄にあるからなんですけど、先を急ぐあまり近くの湯尾駅には、寄るのを忘れてしまいました)

今庄駅は真新しい駅舎の有人駅。駅舎左手は線路に沿って駐車場多数、駐輪場も多数あります。券売窓口と券売機があり、改札はタッチ式の自動改札機です。ただ券売機は無人駅に良くある自立タイプのもので、入場券は売ってないので窓口で発券してもらう必要あります。待合室には観光案内所兼土産物販売店があり、反対側は「今庄まちなみ情報館」になっています。

今庄駅(Imajo St.)

f:id:tkmov:20190106141003j:plain

f:id:tkmov:20190106141009j:plain

 

まちなみ情報館には、旧北陸線トンネル群の説明パネルもあるので、あらかじめここで予習できます。

f:id:tkmov:20190106143657j:plain

f:id:tkmov:20190106143716j:plainf:id:tkmov:20190106143711j:plain

f:id:tkmov:20190106143721j:plain

 

ホームは駅舎側から、島式1面1線、島式1面2線。駅舎とはいずれも跨線橋で繋がっています。ホーム長は駅舎側が356歩、反対側が226歩で幹線の標準的な長さです。

下は跨線橋から見た福井方面、左の道路沿いはホーム端まで駐車場になっています。(窓が開かないのでガラス越しの撮影です)
f:id:tkmov:20190106141308j:plain

こちらは米原方面の景色。先に見える跨線橋は駅前から国道365へ出るための車道です。
f:id:tkmov:20190106141303j:plain

島式ホームから見た米原方面
f:id:tkmov:20190106142446j:plain

駅舎側ホームから見た米原方面。幹線並みのホーム長を確保するためか曲線部までホームが伸びています。
f:id:tkmov:20190106143043j:plain

何かトイレの個室のように見えますが、ホーム上の待合所です。
f:id:tkmov:20190106142454j:plain

幹線路だけあって頻繁に貨物列車が通過します。旅客便よりも多いくらい。
f:id:tkmov:20190106142902j:plain

f:id:tkmov:20190106143400j:plain f:id:tkmov:20190106143404j:plain

 

ホームの向こうの側線には作業車両が2台待機中。良く似ているけど、後ろの窓のワイパーとかが違うので違う型式なんでしょうね。

f:id:tkmov:20190106144214j:plain

こちらのは山陰本線浜坂駅で見た除雪車と同じタイプの様に見えます。
f:id:tkmov:20190106144219j:plain


 

北陸本線 駅名

北陸本線の駅名リスト (米原~金沢)

(東海道本線:米原)
- 坂田 - 田村 - 長浜 - 虎姫 - 河毛
- 高月 - 木ノ本 - (余呉) - 近江塩津 - (新疋田)
- (敦賀) - (南今庄) - (今庄) - 湯尾 - 南条
- 王子保 - 武生 - 鯖江 - 北鯖江 - 大土呂
- (越前花堂) - (福井) - 森田 - 春江 - 丸岡
- 芦原温泉 - 細呂木 - 牛ノ谷 - 大聖寺 - 加賀温泉
- 動橋 - 粟津 - 小松 - 明峰 - 能美根上
- 小舞子 - 美川 - 加賀笠間 - 松任 - 野々市
- 西金沢 - 金沢


北陸本線のその他の記事

北陸本線:沿線-大桐駅跡 - tkmov(バイクとローカル線と)
北陸本線:沿線-山中信号場跡 - tkmov(バイクとローカル線と)
北陸本線:沿線-旧北陸線トンネル群 - tkmov(バイクとローカル線と)
北陸本線:沿線-旧柳ヶ瀬線 - tkmov(バイクとローカル線と)
北陸本線:雑感-今庄ー敦賀間の峠越え - tkmov(バイクとローカル線と)


駅名標

f:id:tkmov:20190119004736j:plain

 - f:id:tkmov:20190106163548j:plain - f:id:tkmov:20190106143400j:plain -

f:id:tkmov:20191018231649j:plainf:id:tkmov:20191016235524j:plain




勝山永平寺線:沿線-建物

勝山永平寺線の沿線で気になった屋根の格好は、東光寺駅前の民家。二階の棟木が一階に直交して正面からみて前後方向になっていて、二階の破風が大きく映える構造です。

f:id:tkmov:20190106103858j:plain

 

もう一つは勝山駅。大正の開業時の構造を残すと言われてますが、大きく張り出した下屋の格好が井原線荏原駅近くで見た古民家と良く似ていて、なるほどなあと納得したものです。

勝山駅(Katsuyama St.)

勝山駅(外観)

高越城址近く

高越城址近くの民家




 


 

勝山永平寺線:勝山駅 (かつやま)

(比島) - 勝山                    (訪問日: 2018/10/16)

光明寺駅から途中を飛ばして、昔の風情を残す勝山駅に行ってきました。(このまま全駅に行ってたら日が暮れそうだったもので)

勝山駅は木造二階建て瓦葺の駅舎が残る有人駅。今の駅舎は2012~2013年で改修されています。駅前はロータリーになっていて、訪問した火曜日昼前でも何台かタクシーが待機中だし、勝山橋に行く途中に売店、食堂が何軒かあります。自販機とかジオパークの看板、タクシープールとかが、下の写真左手のフレームの外になる位置にまとめられているのは、駅舎のレトロな雰囲気を保つように工夫されているのかもしれませんね。*1 駐車場は駅裏に多数と、そこに通じる踏切脇にあり、駐輪場も屋根付きで20台分くらいあります。

勝山駅(Katsuyama St.)

勝山駅のある九頭竜川左岸は駅と工場と少しの商店街があるだけで、勝山市街地は川の対岸にあります。駅が市街地から離れていて対岸の山裾にあるという所はいろんなところにありますが、町や駅周辺の雰囲気からすると小出駅が似てるように思います。
f:id:tkmov:20190105203550j:plain

駅舎入口を入った所が待合室、左手が切符売場で右手が喫茶店兼展示室です。券売機は無く切符は窓口で対面販売、改札もあります。
f:id:tkmov:20190105202830j:plain

f:id:tkmov:20190105202835j:plain

この奥の喫茶店、さすがに平日火曜日の昼前では他のお客もおらず、ゆっくりとコーヒーを飲みながら資料を見せてもらいました。
f:id:tkmov:20190105204546j:plain

ホームは駅舎側に単式1面1線、島式ホームが1面2線(でも外側の線路は乗降に使ってなさそう)でホーム長は67歩、構内踏切で渡ります。島式ホームからみると、駅舎ホーム側の下屋にすごく太い梁が使われているのが分かります。
f:id:tkmov:20190105210435j:plain

f:id:tkmov:20190105210440j:plain

f:id:tkmov:20190105210445j:plain

f:id:tkmov:20190105211406j:plain

今は終点の勝山駅ですが、かつてはこの線路の先が大野までつながっていたはず。今は工場の敷地で塞がれてしまっています。
f:id:tkmov:20190105211414j:plain

駅舎の横に動態保存されている昔の電気機関車(としか言えません。すみません鉄道に詳しくないので)。大正時代の電車のコントローラの実物を見てみたかったんですが、やはり中には入れませんでした。それとも動かすために電気品は交換してるかもしれませんがね。
f:id:tkmov:20190105212636j:plain

f:id:tkmov:20190105221103j:plain

 

f:id:tkmov:20190105220701j:plain f:id:tkmov:20190105220704j:plain

f:id:tkmov:20190105220709j:plain

f:id:tkmov:20190105220759j:plain

勝山駅舎とホーム待合所

勝山駅舎は、大正三年(1914)に開業した京都電灯株式会社越前電気鉄道の駅舎のひとつとして、同じ年に建てられました。
駅舎の中心となる部分(主屋)は、桁行八間半(15.3m)、梁間三間(5.6m)で、北・東・西の三面に吹き放しの下屋がつきます。南面に張り出した一段低い別棟の下屋(桁行四件(7.2m)、梁間三間(5.6m))は、昭和時代に増設されたものです。屋根の組み方は、日本の伝統的な技術である「和小屋」と西欧建築の技術をとりいれた「洋小屋」をあわせた形になっています。
勝山駅舎は、約一世紀に渡り、勝山市の鉄道玄関口として、多くの市民や来訪者を見送り、また迎えてきました。
そして、沿線の風景と合わせて、そのたたずまいは、勝山市民の心の原風景ともなっており、平成十六年(2004)に、ホーム待合所と合わせて国の登録有形文化財となっています。

勝山駅舎の歴史
大正3年(1914) 3月 「京都電灯株式会社 越前電気鉄道」の福井ー勝山間が開業。駅舎も建設される。4月には勝山ー大野口間が開業した。
年月日不明     駅舎の第1回増築
昭和初期      駅舎の第2回増築
昭和49年(1974)   勝山ー大野間が廃線となり、終着駅となる。
平成13年(2001) 6月 京福電気鉄道株式会社の電車運行が停止され、代行バスの発着駅として利用される。勝山市や沿線市町村などから鉄道事業の再開を求めて強い要望がおこる。
平成14年(2002) 7月 第3セクターで、「えちぜん鉄道株式会社」が設立され、翌年、福井ー勝山間の運行が開始される。
平成16年(2004)   駅舎及びホーム待合所が国の登録有形文化財に指定される。
平成22年(2010)   勝山市に無償譲渡される。

f:id:tkmov:20190105221056j:plain f:id:tkmov:20190105221108j:plain

f:id:tkmov:20190105221525j:plain



*1:そういうのは美作滝尾駅でも感じましたが、勝山駅の方が有人駅である分、それほどわざとらしさは無い様に思います

勝山永平寺線:光明寺駅 (こうみょうじ)

(下志比) - 光明寺 - (轟)                    (訪問日: 2018/10/16)

下志比駅の次の光明寺駅は更に入り方が分かり難くなります。勝山街道(国道416)から線路側に入るともう1本生活道があり、ここからの駅へのは入口が分かりません。

地図で見ると下の写真の白い倉庫の所を右折かと思ったのですが、そこは行き止まり。
f:id:tkmov:20190105153548j:plain

しようが無いので最近できた山側の国道416バイパスまで上って、踏切りから駅が見えないかと探すとちょうど福井行きの列車が止まっているところを目撃。
f:id:tkmov:20190105154234j:plain

踏切から見たらすぐそこに駅があるけど近づく道がない。
f:id:tkmov:20190105154238j:plain

で、バイクで探すのは諦めて、歩いてもう一度さっきの生活道まで戻って探した結果、下の写真が光明寺駅への入口です。たぶん普通に歩いていても、この先に駅があるとは思いますまい。山陰本線諸寄駅の入口より分かり難いです。トランザルプだと、Uターン出来るかどうか分からないので入るのをためらいますね。山陰本線:諸寄駅 (もろよせ) - tkmov(バイクとローカル線と)
f:id:tkmov:20190105154912j:plain

こちらは駅の方から見下ろした進入路。完全に畑の中、裏庭をつなぐ生活道ですよね。実際に手前のお宅で草刈りをしている人と、列車2本が通過する間ずっと世間話するほど馴染んでしまって、帰り道は裏庭を通って近道をさせてもらいました。
f:id:tkmov:20190105154919j:plain

光明寺駅は駅舎は無く、ホーム上に待合室1棟がある無人駅。駅舎の下にある空地に駐車スペースがありますが、これは畑を転用した様子なので勝手には停められない。それに一見さんが、はたしてあの進入路を車で入ろうと思うかどうか、疑問ではあります。で、下志比駅とは逆に駐輪場は無し。
f:id:tkmov:20190105160024j:plain
f:id:tkmov:20190105160019j:plain

ホームは1面1線でホーム長は52歩。待合所は木造平屋トタン葺。券売機、改札機、飲料自販機などは無し。トイレは無く、周囲に食堂売店もなし。下の写真は勝山方面で、勝山行き列車が出て行ったところ。
f:id:tkmov:20190105161626j:plain

こちらは福井方面の風景。
f:id:tkmov:20190105161636j:plain
f:id:tkmov:20190105161643j:plain

待合室は割と広めで2部屋続きです。

f:id:tkmov:20190105163040j:plain

f:id:tkmov:20190105163034j:plain

ところで駅の山側にお寺があるので、駅名由来の光明寺なのかと思ったら、ここは浄妙寺。この付近の地名は光明寺ですがそういうお寺は無いみたいですね。
f:id:tkmov:20190105163414j:plain

f:id:tkmov:20190105163419j:plain

浄妙寺の隣にあるのが白山社。昔は春日明神の分社だったというので神仏混淆の社だったのか。写真では鳥居の陰に隠れてますが、社殿は板壁瓦屋根で昔の木造校舎の様な外観です。それより気になるのは鳥居の注連縄で、稲藁ではなくてプラスティックのロープ製です。こういうのは西岩国あたりでいくつか見ましたが、この辺りでも使っているんですね。
f:id:tkmov:20190105163855j:plain
f:id:tkmov:20190105164723j:plain f:id:tkmov:20190105163902j:plain

 

f:id:tkmov:20190105164903j:plain

f:id:tkmov:20190105164911j:plain