tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

呉線:呉駅 (くれ)

(安芸阿賀) - 呉 - (川原石)                  (訪問日: 2018/01/06)

呉線の中心 呉駅ですが、市中心地にあって全然ローカル線ではないので、駅前の国道から外観を撮影しただけでパスです。実はこの後の阿賀から広にかけても都市近郊通勤路線なので、遠くからの撮影で済ませてしまいました。

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メモ:建物財産票の分類

JRでは駅舎、待合所には建物財産票が貼ってありますが、JR各社でそれぞれ特徴があります(といっても東、東海、西しか見てないですけど)。*1

JR東は施工者とか基礎方法、許容積雪量まで書いた詳細なもの、JR東海は建物種類コードと連番を記載したシンプルな財産標です。共通するのはどちらもアクリル製で様式が共通化され、基本的にはどの駅にも貼付けられている事。たぶん民営化した際に全部貼り直したんだと思います。

それに比べてJR西の建物財産標は様式も材質も、付いているかどうかという点でもバラバラ。国鉄時代から変えてないんだろうと思います。面白いのは平成になって建替えた駅舎の財産標で、各路線の異なる様式を踏襲して作られている事。たぶん統一しようという気が無いんでしょうね。そういうところがスタンプラリーみたいな楽しみがある訳です。(という風に説明しても、やはり変な趣味だなあ)

 

今まで見てきた財産票を分類するとこんな感じ

1. 設置年代の新旧

今まで見た中の新旧番付です。木製財産標は年号が無いので、金属/アクリル財産標で比較です。

古い方

新しい方(今まで見た中で、平成の財産標は以下だけだと思う) *2

 

2. 材質と様式

先に書いた様にJR西の建物財産標は様式、材質とも多彩なので、簡単に分類するとこんな感じ。

  • アクリル白色1:「国鉄」という名称付 (主に山口線)

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  • アクリル白色2: 白色1タイプと同じで国鉄名称が無いもの(この形式が主流)
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  • アクリル白色3: 白色2と同様に「財第xx号」が書いていないタイプ(山陰本線に多い)
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  • アクリル橙色: 白色1の形式に近く橙色。特徴は基本的に駅名が記載されている事。
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  • 金属製1: おそらくアクリル製に変わる前のタイプ。上にアクリル板をかぶせて保護しているところが多い。

    f:id:tkmov:20160618223227j:plain (岩徳線 柱野駅)

  • 金属製2: デザイン的にはアクリル製と同じもの。上の金属製1は多分真鍮製ですが、こちらは色合いからするとブリキ製。まだ伊里駅でしか見たことがありませんが(2017年現在)、アクリル製に移行するまでの過渡的なデザインか? 建物種類の記載も普通は「本屋1号」と書くところですし、ちょっと他とは違う事情があったのかも。*3

    f:id:tkmov:20180212105515j:plain (赤穂線 伊里駅)

  • 木製: まるで表札のような形で、決まって駅舎の改札内側の軒下に掲げてあります。(ただし備中神代駅のは移築した車寄せの物なので、設置時とは違う位置についているものと思われ)  今のところ見たことがあるのは、備中神代駅亀嵩駅三保三隅駅滝野駅江崎駅重安駅渋木駅の7か所のみ。(2018年追記:北上線 黒沢駅の便所にもあります。便所でこのタイプの札を見たのはここだけ)

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3. JR各社による違い

JR西は上の通り多様ですが、JR東とJR東海の様式は統一されています。

  •  JR東海: ご覧のとおり番号と年号しか書いていないシンプルなもの。「05」は建物種類、「3007」は連番ではなかろうか。
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  • JR東: 律儀に施工者や施工方法、面積や許容積雪量まで書いてあります(犀潟の様に古い駅では施工者欄が空白でしたが)。下の写真は二本木駅ですが、えちごトキめき鉄道に変わってもJR時代のものが残っていました(黒姫駅ではなくなっていたので、ここもそのうち取り外すのかも。あるいは所属会社の方針の違いなのか?)。
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*1:この記事初出は2018/02/03。観察結果を反映するため随時更新しています

*2:2019/2/3追記 平成時代の財産票も結構あります。まあ30年もあるんだからその間に設備更新するので、ある意味当たり前ですよね

*3:2018/02/12 追記

赤穂線:伊里駅 (いり)

(日生) - 伊里 - (備前片上)                  (訪問日: 2017/11/04)

日生を過ぎると赤穂線は片上に向かって内陸に入ります。というか、赤穂線沿線は干拓が進んでいるので、あまり海沿いに走る部分は無いですね。道路も国道250から離れて、岡山ブルーラインの下の道を北上。日生から片上まで海岸線を通すより、旧街道に近い伊里を通したかったのでしょうね。
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伊里駅に入る線路脇の道路。
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伊里駅はコンクリートブロック製の平屋無人駅。待合室隣の事務所は食堂になっています。食堂のはいっている駅舎は久しぶり。駅前ロータリーに加えて駅北側に駐車場が約10台分、屋根付き駐輪場に約100台分。自動券売機はなし。
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何か懐かしい、長円形の改札駅員用の立哨枠(正式にはどう呼ぶのだろう)。もともとある程度乗降客のいる駅にしかなかったでしょうし、そういう駅は自動改札に切り替わるので、今ではあまり見かけない。最近見たのは旧出雲駅のものぐらいです。

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ホームは1面1線、片上方面をのぞむ。
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建物財産標は金属製ですが、色合いからするとブリキ製。金属製は普通、黒地白文字なのですが、これは後のアクリル製と同じデザインという点では少し特殊。
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駅から川を渡った所にある友延集落の様子。
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赤穂線:日生駅 (ひなせ)

(寒河) - 日生 - (伊里)                  (訪問日: 2017/11/04)

寒河駅を出てから赤穂線は相変わらず橋梁とトンネルで直線に進みますが、国道は川や海に沿って迂回します。下は寒河集落の西を日生に向けて、橋梁とトンネルで直進する赤穂線
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日生は小豆島へのフェリーも発着する港町。駐輪もフェリー乗り場の市営駐輪場が便利です。(といっても料金所は無かったので、休日は正式には営業してないのかも)

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日生駅はフェリー乗り場の反対側、国道250号沿いの有人駅(ただし訪問日は窓口休業中)。ホームは盛土上で2階の高さにあるので、改札奥の階段を上って入ります。駅前には送迎用の駐車区画が3台分、自動券売機(オレンジカード対応)が設置、トイレは駅舎左手にあり。構内に売店・食堂はありませんが、近所にコンビニや食堂あり。(隣が台湾料理店です)

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2面2線の下り線ホームから赤穂方面をのぞむ。
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駅隣りの台湾料理店の麻婆豆腐定食
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駅舎横のトイレの上にある展望台から見たフェリー乗り場
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こちらは日生駅から500mくらい西に行ったところの、隣の漁港。晩秋の日差しと凪いだ海。
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赤穂線:寒河駅 (そうご)

(備前福河) - 寒河 - (日生)                 (訪問日:2017/11/04)

赤穂線は瀬戸内の山がちな海岸線を走るので、駅は入江の奥で、駅間は入江を区切る山越えになります。(こういう所に住んでると、濃尾平野の様に駅間や市町村境に山が無いと逆に違和感があるのです)

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寒河駅は国道250号から小川を渡ってすぐの無人駅。ホームは単式1面1線、開放型の待合所が一棟で自動券売機(ICOCA非対応)が設置。ホームは結構長くて隣の福河駅と同じくらい。駅前に屋根付き駐輪場が約200台分と駐車場4台分、トイレもあり。

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ところで、隣りの備前福河駅は福浦と寒河を合わせた駅名で「ふくかわ」と読むので、てっきり、ここの地名は「さむかわ」だと思ってましたが、来てみたら「そうご」。それなら福河駅は「ふくごう」と読むべきではないか?と思ってしまいます。いずれにせよ、関西には難読地名が多いという印象が強まりますね。

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ところで寒河駅ちかくには有名なお好み焼き屋があるらしく、付近には車や二輪車が多数駐車。ちょうどお昼時だったとはいえ、普通のお好み焼き屋に集まる人数ではないくらいの台数でしたね。

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赤穂線:備前福河駅(びぜんふくかわ)

(天和) - 備前福河 - (寒河)                  (訪問日: 2017/11/4)

天和から西へ赤穂線に沿って国道250で福河駅まで移動、福浦集落で南に折れて福河駅になります。元々福浦と寒河が合併して福河村になったのが駅名になったのですが、隣は寒河のまま駅名になっているので、ここも福浦のままで良かったのでは?

国道から100m程南に入った所にある福河駅は、まるで倉庫のような外観の無人駅。券売窓口は板で塞がれていて自動券売機もなし。建物財産標は確認できず(ホームの待合所の柱には財産標の跡らしきものが残っていますが)。駅前に駐車場は無く、駐輪場(露天)が10台分程度。食堂・売店は無く、隣が郵便局でそこに自販機もあります。

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岩徳線並みに殺風景なすっきりした内装。

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改札口の横に貼ってあった駅名の由緒書き。ここに書いてあるとおり、駅から南へ海岸まで出てみましたが竜神の郷は結局わからずじまい。岬山上の竜神宮のことだったのかなあ。
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トイレは最近できたばかりらしく、その完成を謳う歌詞まであります。
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ホームから見た岡山方面。ホームの向こうで線路がクランク状にカーブしているので昔は対向ホームがあったことが分かります。(島式ホームだったかも)
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こちらは赤穂方向。両方をトンネルに挟まれた駅です。
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下はホーム待合所の柱にあった、建物財産票の跡。
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国道250と福河駅の途中の小さなコンクリート橋のたもとに建つ「旧街道道標」の石碑。ここが旧街道だというのですが、左右(東西)を見てみても道の跡は無く、国道の北側の福浦集落の中の方が街道筋っぽいのですが、どうなんでしょうか。地形的にみると中近世にはここは海岸線だったと思いますが、尾道も海岸線が山陽道になってたことを考えると、それもありかもしれませんね。

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山陽本線:大畠駅 (おおばたけ)

(神代) - 大畠 - (柳井港)                  (訪問日: 2018/02/03)

神代駅から南下してきて、大畠瀬戸にかかる大島大橋をくぐって大畠駅へ。写真は走りながらの撮影なので、アングルとタイミングの悪さはご容赦を。
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ところで下写真(大畠駅近くR437のマンホール)にも書いてあるように、このあたりも神代という地名です。神代駅までが岩国市、大畠駅柳井市なのでちょっと混乱しそうですが、S30年に神代村が南北に分割されて由宇と柳井に合併したためです。
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大畠駅は国道188沿いにある平屋建の有人駅。ここも駅前の送迎用駐車場(8台分)は傾斜がきついので二輪車を停めるのは少し厳しい。東側の国道脇にも駐車場はあります。駐輪場は確認できず。

駅舎に売店は無いけどこ国道沿いにコンビニ、あと下の写真の右側には居酒屋があります。自動券売機はICOCA機能なし。トイレは改札を出て左側の上り線ホームにあります。待合室に飲料自販機設置。
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ホームから見た岩国方面。大島大橋がすぐ近くにあるのが分かります。ホーム長は約320歩。
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こちらは柳井方面。大畠市街の中心部は跨線橋の向こう側に見える、もう少し西に行ったところになります。
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ホームにある名所案内は岩尾の滝以外は周防大島の案内、この駅が大島への入口というのがよく分かります。
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ホームにいくつかあった英語の乗換案内。昭和30年代の匂いがするし、大島の港の地名が並んでいるので、大島連絡船があったころの案内板でしょうか。
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建物財産標は駅舎には無く、ホームの危険品庫についていました。「17年」と書いてあるので、昭和17年でしょうね。
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山陽本線:神代駅 (こうじろ)

(由宇) - 神代 - (大畠)                  (訪問日: 2018/02/03)

由宇の市街地を過ぎて南下するとまた海岸ローカル線に戻ります。通津や藤生あたりにはあった波止場もあまり見られなくなって、少しさみしくなった沿線に建っている船の形をしたのは由宇歴史民俗資料館。そういえばこの近くに大島商船高専があったはずなので、そういうデザインなのか。

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神代駅は国道188沿いの山と海に挟まれた木造平屋の無人駅で自動券売機を設置、駅前には月極駐車場(約15台分)と駐輪場があり、国道沿いの角には売店と自販機もあり(訪れた土曜には休業でしたが)。滞在中の15分の間に上下線とも1本ずつ列車が止まりましたら、乗降客は無し。

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ホームから見た岩国方面。ホーム長は約320歩。
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こちらは柳井方面
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跨線橋から見た岩国方向。海と山に挟まれた駅の立地が良くわかります。
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こっちは駅前の月極駐車場と有料駐車場。車留めは無くて監視カメラを使った信用方式だそうです。
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建物財産標は対向ホームの設備のもの。駅舎では確認できず。
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対向ホームの奥に残る石碑。近づけないので何の碑かは分からず。
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駅前にあった神代駅設置の由緒書き。
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神代駅
明治三十年(1897)山陽鉄道が開通しましtが、神代には駅が無く地区の人々は由宇駅大畠駅を利用していました。
大正六年(1917)に単線運転の信号所が出来て一日に一、二本列車が停まるようになりました。
大正十年(1921)七月に「神代駅設置期間同盟」が結成され、年々引きつがれました。
昭和十九年(1944)山陽本線複線工事着工を期に、地区民あげて猛運動を展開し、七月三十日、彼岸は実を結び、いわゆる「請願駅、神代」の新設起工式が行われました。
地区民も拠金・奉仕作業(神東小学校の児童も材木運搬)をし、完成しました。
このようにして、同年十月十日完成、翌十一日、駅員十名で開業されました。
昭和六十二年(1987)日本国有鉄道は民営化されJRとなり、日勤一人勤務が続きましたが、平成元年(1989)無人駅となりました。
平成九年三月
      岩国市教育委員会

初代の神代駅は明治時代に一度設置されているので、この由緒は2代めの設置のものです。設置者が岩国市教育委員会に書き換えられてますが、これを建てた時は由宇町だったはずなので、そのままにしておけば、それ自体が由緒を語る事が出来て良いと思うのですが。

 

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山陽本線:由宇駅 (ゆう)

(通津) - 由宇 - (神代)                  (訪問日: 2018/02/03)

港町の通津から南に下って由宇の街に来ると、街の大きさに合わせて駅舎もコンクリート製になります。由宇にはカープの二軍練習場があるので、駅全体がカープ歓迎ムードです。

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駅前には送迎車区画が10台+タクシー区画が4台、その他に月極が15台分と有料Pあり。駐輪場は駅舎右手にあります。有人駅で改札には時刻打刻機、自動券売機も設置。トイレは構外から入るタイプ。建物財産標は確認できず。

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ホームから見た岩国方面。ホーム長は約340歩。
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ホームから柳井方向。
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山陽本線:通津駅 (つづ)

(藤生) - 通津 - (由宇)               (訪問日: 2018/01/21)
岩国から離れてすっかり海岸ローカル線となった山陽本線、それでも国道288線は集落をバイパスしながら快調なコースをとります。そのぶん交通量も多く、駅にはいるための右折になかなか苦労しますが。

下写真の先にみえる信号機が国道288から通津駅への入口。
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国道から駅に入る枝道。
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海に突き出す尾根の先を山陽本線が削ったところにある通津駅。そういう立地から通津の集落の外れにあたります。古そうな木造平屋スレート葺き、ちょっと特徴的な緑色の屋根です。建物財産票は昭和9年で金属製。アクリルでカバーしているのは柱野駅と同じですね。駅前広場に送迎用なら数台駐車可、奥には月極が10台、駐輪場は駅舎右側です。あと駅前にタクシー営業所あり。
トイレも煉瓦壁で男性用は扉もない屋外設置、財産票によれば昭和9年設置です。
訪問した際は無人でしたが平日は駅員がいる様子、委託販売かも。自動券売機あり(チャージ無し)。

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ホームも藤生駅と同じく本線仕様で長く、上りホームで318歩(約250m)。この長さは関ヶ原駅と同じ。

対向ホームから見た岩国方面
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対向ホームにある待合室、柳井方向。
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昭和9年築の煉瓦壁のトイレ
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駅舎とトイレの建物財産標
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待合所には財産標が無いかわりに、財産標の跡だけ残ってます。
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