tkmov(バイクとローカル線と)

バイクでローカル線を巡るという、少し変なブログ。訪問駅のリストは、カテゴリ「事務連絡」の中の「駅名リストのリスト」から辿る事が出来ます。

東海道本線:沿線-架道橋

(柏原) - - (近江長岡)              (訪問日: 2017/10/01)

柏原宿から西へ進むと、東海道本線は川沿いに、東海道新幹線の方に向かって北上します。昔の旧東海道本線の路線に戻ろうとする部分です。

その途中で見かけた架道橋。線路の向こう側には田畑しかないようなところですけど、こういう立派な煉瓦製の架道橋がいくつか続きます。さすが東海道本線か、と変な感心をしてしまいます。

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東海道本線:柏原駅 (かしわばら)

(関ヶ原) - 柏原 - (近江長岡)                  (訪問日: 2017/10/01)

関ヶ原駅から旧東山道=中山道=国道21号に沿って次の宿=駅の柏原駅を訪問。こう書くと昔の街道、鉄道、宿、駅がうまく対応している様に見えますが、実際は昔の東海道本線は柏原宿ではなく伊吹山近くの山道を通っていたり紆余曲折があったようです。先に勉強していれば、旧東海道本線跡の国道365を通ったんだけど(こちらの方がバイク乗りには馴染み深い伊吹山ドライブウェイへの道ですし)、相変わらず行き当たりばったりですから、帰ってから後悔するわけです。そもそも、東海道本線という名前なら、関西本線鈴鹿を通るべきなんじゃないか、という疑問もあるんですけど。

旧街道筋から1本奥に入ったところにある柏原駅舎と駅前広場。駐車場は約10台分、屋根付き駐輪場が約50台分。駅前、付近に売店・食堂は無し。券売機は無く、駅事務はシルバー人材への委託業務。改札もありません。

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ホーム長は関ヶ原に比べて少し短い約220m。ホームからは伊吹山がよく見えます。
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(S52年の建物資産標はホームの屋根についているもの。待合室には資産標はなし)

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柏原駅から見た特徴:

  • ベンガラで赤く塗った家が目立つこと。壁や戸板は黒で梁や柱が赤という組合せが多い。
  • 道路に融雪散水栓があること(写真は駅前広場のもの)。山陰、北陸にあるもんだというイメージでしたが、さすが伊吹山のお膝元。やはり冬の関ヶ原をバイクを越えるには雪に気を付けないと。

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可部線:沿線-太田川橋跡?

(上八木) - - (中島)                  (訪問日: 2017/11/15)

以前に可部線に来たとき気になっていた太田川橋の鉄道橋。今は下流側から斜めに渡河していますが、昭和20年頃の地図では今の国道54号と並んで太田川に直交しています。

下は太田川右岸の国道54号下からのパノラマ写真。左が国道のトラス橋で、右が下流側から斜行する可部線の鉄橋。で、左端の土手に鉄橋の基台らしき石垣があります。まあ、これが昔の鉄橋跡かどうかはわかりませんが、もう少し調べるなら川原で橋脚跡を見ればよかったかなあ。
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こちらは可部へ行く下り列車。
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東海道本線:沿線-三線並走

(関ヶ原) - - (柏原)                    (訪問日: 2017/10/01)

関ヶ原を通る旧東山道といえば不破の関ですが、今回は国境の雰囲気を感じるだけにしてパスです。下の写真の左が不破の関跡。関ヶ原から西進して国ざかいの山越えの手前、川を背後にした東国へ対する備えの関所です。

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関ヶ原から米原の間は東名高速、国道21号(旧中山道)、東海道本線、新幹線が集中してますが、その中でも今須から柏原に越える県境では高速、国道、東海道本線三線が並走するところ。ここで大雪でも降ったら簡単に交通遮断ですな。

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東海道本線 駅名

東海道本線の駅名リスト (豊橋以西)

- 豊橋 - 西小坂井 - 愛知御津 - 三河大塚 - 三河三谷
- 蒲郡 - 三河塩津 - 三ケ根 - 幸田 - 相見
- 岡崎 - 西岡崎 - 安城 - 三河安城 - 東刈谷
- 野田新町 - 刈谷 - 逢妻 - 大府 - 共和
- 南大高 - 大高 - 笠寺 - 熱田 - 金山
- 尾頭橋 - 名古屋 - 枇杷島 - 五条川信号場 - 清洲
- 稲沢 - 尾張一宮 - 木曽川 - 岐阜 - 西岐阜
- 穂積 - 大垣 - 南荒尾信号場 - 垂井 - (関ケ原)
- (柏原) - (近江長岡) - (醒ケ井) - (米原)

東海道本線の他の記事

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駅名標

- 穂積 - 大垣 - 南荒尾信号場 - 垂井 - f:id:tkmov:20171103003943j:plain

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東海道本線:関ヶ原駅 (せきがはら)

(垂井) - 関ヶ原 - (柏原)                  (訪問日: 2017/10/01)

いつもは東名で一瞬で通り過ぎてしまう関ヶ原、今回は下道(したみち)でたどってみます。鉄道ファン的には垂井と関ヶ原の間の迂回線がスポットなんでしょうけど、あそこは旧街道とは無関係に敷設してあって沿道を辿るのが難しいので、今回はパス。関ヶ原の町からです。(行くとしてもバイク的には旧東山道沿いの本線を辿る方が面白いし)

まずは入口となる国道21号線関ヶ原西町交差点。右折すると関ヶ原駅、直線すると伊吹山なので、名古屋方面からひっきりなしにバイクが曲がってゆきます。(ここでは少ししか映ってないけど)

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関ヶ原駅は木造平屋スレート葺の有人駅。自動券売機はTOICAチャージ機能付き、自動改札機(扉式)設置。駅の正面はタクシー乗り場、左手に送迎用駐車区画あり、ただ観光バスも止まるので結構入れ替えが大変。駅前の土産物屋は古戦場をウリにして、ずっと関ヶ原の歌を流し続けていました。

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下はホーム東端から名古屋方面の景色。線路の先が勾配で見えなくて、関ヶ原が一段高くなった台地の上にあることがよくわかります。

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下はホーム西端から見た名古屋方面。さすが本線だけあってホームが長い。歩測してみると322歩(約250m)。(山陽本線岩徳線もほぼ同じ長さ、というのは当たり前か)
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JR東海の建物財産標はシンプルというか素っ気無い。駅舎や待合室の区別は番号で区別しているようです。

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身延線:身延駅 (みのぶ)

(甲斐大島) - 身延 - (塩之沢)                   (訪問日: 2017/09/30)

市ノ瀬駅から身延線に沿って山を下って来て、ようやくの市街地にたどり着いて身延駅です(身延の市街地自体は富士川の対岸だそうですけど)。この駅前の様子を見て一瞬、白馬駅前に似てるなと思ったのは、山中の線路沿いで急に出てくる直線街路と土産物屋という共通点のせいかも。でも後で写真を見比べると、店の佇まいとか周りの風景とか全然似てないんですけどね。

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身延駅みどりの窓口もある有人駅。待合室には身延そばの食堂(9:00~15:00)もあるし、駅前にはいくつか食堂があります。自動券売機あり、自動改札は無し。駅前ロータリーはタクシーと送迎車のみ、駐輪場は未確認。

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ホームは2面3線(+側線)、下の写真は島ホームから富士方向の景色。
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駅裏にある変電設備。富士身延鉄道身延駅付近は昭和初期から電化されているので、そのための施設か。一畑布崎変電所と同じころと思うけど、こちらの方が外観が新しく見える。(といっても個人の想像です。確かめる時間が無かったので)
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ここで日没を過ぎたので、今回は身延駅までで帰還。

帰路も身延線沿いに移動だったのですが、甲斐大島付近はバイクで下っても結構な下り坂で、鉄道としてはかなりきつそうな勾配です。次は明るいときに走って確かめたいですね。

身延線:塩之沢駅 (しおのさわ)

(身延) - 塩之沢 - (波高島)                 (訪問日: 2017/09/30)

波高島から身延線富士川に再会して下ってゆき、並走路も県道9号線に変わります。駅間も5kmと離れてきて(市ノ瀬から波高島は6km/3駅)、まわりも開けたような気がするなと思ったところで富士川両岸に山が迫ってきた所が塩之沢駅。駅の入口も川岸に面しています。ちなみに西側に迫っている山の反対側が有名な久遠寺。下の写真は駅付近の県道9号、駅入口は先に小さく見える民家手前を左折です。

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駅のホーム入口とその手前の空地。
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塩之沢駅はホーム1面1線でホーム上に待合所(木造平屋スレート葺)があるだけの無人駅。自動券売機、自動改札、飲料自販機、トイレは無く、付近に売店・店舗も無し。ホーム入口線路脇にある空地に約20台くらいの駐車スペースあり(区画無し)、駐輪場は確認できず。

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ところで駅舎(待合所)には下のような貼り紙、来年からは待合所もなくベンチだけのホームになるそうです。外壁を塗り直したりして綺麗に整備されていて、まだまだ使えそうに見えますけどねえ。

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身延線:波高島駅 (はだかじま)

(塩之沢) - 波高島 - (下部温泉)                  (訪問日: 2017/09/30)

下部温泉駅から常葉川沿いに下って1km少々で富士川に合流したところが波高島。昔は富士川の船着き場だったようで、いわば下部温泉の外港のような位置づけだったのでしょうか。そのためか隣の下部温泉駅から1.5kmという近さで波高島駅があります。

波高島駅は最近建替えられた待合室のみの小さな駅舎(待合所というべきか)。自動券売機、自動改札機、飲料自販機はなし。当然無人駅で、待合室にはベンチのみ設置。駅前は広い砂利舗装の空地で区画は無いけど10台くらいは駐車可、広場の反対側に屋根付きトイレ付駐輪場で15台くらい。近くには食堂、店舗はありません。

資産標を見るとこの駅舎が建替えられたのは昨年3月。Wikipediaを見ると、以前は昭和初期築の木造駅舎が残っていたそうで少々残念。こういう所を見ると東日本の方が駅舎の建て替えのペースが速いのかな。

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ホームは1面2線。下は身延方向の景色
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ホームから下部温泉方向
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下左は駅舎、右はホームの屋根の資産標 (ご丁寧に屋根にまで資産標があるんですね)
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ところで地図や隣駅の駅名票で平仮名で「はだかじま」とかいてあると、一体どういう事?、と思ってしまいます。きっと同じ思いの人は多いらしく、駅前には「波高島の地名由来」という説明板があり、少し笑ってしまいました。

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波高島」の地名由来
醍醐山続きの村上山頂付近に平坦地があり、その周辺に発生した塊村集落(民家がひとかたまりになっている集落)であったといわれる。
時代を経るにしたがって徐々に下段の土地に移住してきたものだといわれる。往時は、常葉川、富士川の氾濫によって水田耕作は困難であり、畑作が主だったため初期の頃は「畑ヶ島」と呼んだものといい、やがて「波高島」に転訛したものという。転訛の時期については明らかではないが、江戸期には既に「波高島村」として村高(石高)帳に記録されている。「波高き」とは、富士川が醍醐山の山すそをえぐり、しかも早川との合流点の川下にあり水量も多く、従って川瀬は急流となって波の高いことから、この地名がうまれたともいう。
また、これを裏書きするように、「富士川に早川のにごり流されて入るときわ川なみ高く嶋と見えけり」と、古歌の伝説もある。治山治水管理も無に等しい当時の集落は、川筋の水害の無い高地に在った。波高島も例外ではなく上村、林村辺りであったことは前説のとおりである。その後治山治水の行われるようになった明治初期になって、漸く下村に居を構えるようになった。そして昭和三年富士身延鉄道(現在の身延線)が開通されるまで、唯一の交通機関であった富士川舟運(鰍沢から静岡県岩淵まで)の船つき場として栄えてきた。
※「島」とは、一般に地域の意味もあり、河岸に発達した集落や河岸の特定地域を指す場合によく呼称された。
 例ー竹の島、柿島、羽鹿島、西嶋、鬼島、硯島・・・
 平成二十七年三月吉日
                   身延町波高島
                   身延町波高島公民館

 

身延線:下部温泉駅 (しもべおんせん)

(波高島) - 下部温泉 - (甲斐常葉)                  (訪問日: 2017/09/30)

常葉集落から国道300号で常葉川沿いに下って来て、下部温泉のホテル横で橋を渡ると下部温泉駅です。

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踏切を渡るとすぐに大きなタクシー乗り場と「歓迎」看板が迎えてくれます。木造平屋瓦葺、タクシー乗り場に続く大きな待合室には大学生らしい4人グループがトランプの真っ最中。時間が遅かったせいか販売窓口はシャッターで閉鎖、もしかしたら無人駅なのかも。自動券売機、自動改札機は無し。トイレは駅舎右手に設置。下部温泉の入口だけあって、駅前広場の周りには郵便局、食堂兼土産店、タクシー会社、美容院、観光案内所など、一通りの物があります。それに駅前を通る下部温泉への道も結構な交通量があり。

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下はホームから身延方向。右手奥には川沿いの下部温泉ホテルが見えます。
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