(中庄) - 倉敷 - (西阿知)(清音:井原線)(清音:伯備線)(倉敷市:水島本線) (訪問日: 2017/06/18)
伯備線は新見から北へ行っていたので、今度は南側を攻めてみようと、起点の倉敷駅にやってきました。駅北口はアウトレットモールがあり結構な人手ですので、写真を撮ってから早々に伯備線沿いに北上します。
続きを読む(湯玉) - 小串 - (川棚温泉) (訪問日: 2017/05/28)
山陰本線と並走するR191で小串駅付近に到着するも、国道側には駅の入口無し。R191はバイパスで、小串の集落も小串駅も海側を向いているせいです(同じ山陰本線の折居駅や石見津田駅と同じ風景ですね)。駅から2~300m先の川中神社前の踏切りから集落側に渡って、駅前に向かいます。
港町らしく焼杉板と格子窓の民家が続きます。小串駅へはこの角を左にいった先。
途中にあった「海軍記念文庫」。小串駅前の通りを北に少し行ったところ。
小串駅は正面の飾り切妻(ドーマーというの?)に駅名を掲げた、洒落た造りの駅舎です。無人駅、自動券売機(チャージ無)設置、待合室に飲料自販機有り。トイレもあり。構内に売店・食堂は無いけど、駅前に海の家のような店があり。建物財産標は確認できず。駅前に送迎用の駐車場枠が3台と、タクシー用が数台分。駐輪場は駅舎右手に約100台分程あり。 日曜午後とはいえ、クラブ帰りと思しき中学生の利用が結構あります。
(川棚温泉) - 黒井村 - (梅ヶ峠) (訪問日: 2017/05/28)
梅が峠から降ってきて平地に出たところが黒井村駅。職場にここの出身の先輩がいて、駅名に〇〇村とついているのは珍しいと話したことはありますが、調べてみればいくつかあります。中国地方でいえば福山の野田村駅とか、広島の玖村駅とか、鳥取の浜村駅とか。まあ数が少ないのは、行政区が村から町市になった時に駅名も変わったのが多いんでしょう。
黒井村駅はコンクリート製1階の無人駅(そういえば先輩がもう一つ言っていたのは「村と名が付くにしては立派な駅だけど、今は無人駅」というものだった)。自動券売機(チャージ無)、飲料自販機あり。トイレは駅舎左手に構外向きに設置。駐車場は駅前広場の反対側に約6台分、駅舎前はタクシー用で3台分、駐輪場は駅舎左手に屋根付きで約100台分。日曜午後ですが下関タクシーが3台も待機。吉見駅でもタクシーが常時待機でしたが、バス便が無いので休日の通勤客以外には需要があるという事なんでしょうね。
出札窓口は完全にふさがれていて、待合室反対側にはキオスクだったらしい窓口跡があります。今では店舗使用掲出表だけが残っています。駅周辺にも店舗は無し。
ホームから長門方向をのぞむ。
(黒井村) - 梅ヶ峠 - (吉見) (訪問日: 2017/05/28)
吉見駅から山陰線は一旦内陸に入って豊浦との境を越え、梅ヶ峠駅に到着。国道191の路側帯からすぐに駅入口になります。無人駅、自動券売機(チャージ無)設置、駅に飲料自販機はありませんが、隣の峠の茶屋的な店には何かあるかも(日曜はお休み)。駅右手には喫茶店もあります(駐車場有)。トイレは駅舎横にあり、駐車場はこういう地形なので無し、駐輪場は国道沿いに屋根付きで20台くらい。建物財産標は未確認。
峠という駅名にたがわず、山あいの切通しの中のホームと線路。
そういえば本州最西端の駅だそうで、ここで本州最西端(毘沙の鼻)に行かなかったのは片手落ちだったかと、少々後悔。
(福江) - 吉見 - (梅ヶ峠) (訪問日: 2017/05/28)
安岡に続いて港町にある吉見駅。ここには海自の基地と水産大学校があります。
福江駅から一転して立派なコンクリ製の無人駅です。ホームは2面2線、対向ホームには待合室があります。駅舎には券売機(チャージ機能なし)、トイレは駅舎横、飲料自販機設置。駐車場は駅前に4~5台分、その他にタクシー待機所が6台分。駐輪場は駅舎左手に屋根付きで設置。店舗・食堂は無いですが、すぐ前がR191だし吉見の街に行けば店舗あるでしょう。
対向ホームにある待合所。ここには建物財産票が付いていた跡が残っています。どうも下関管区はこの財産票に冷淡な様子です。
駅舎入口の上に掲示されていた、かつての吉見駅の写真。車からすると昭和40年代か。
こちらは大正3年の写真
(安岡) - 福江 - (吉見) (訪問日: 2017/05/28)
安岡までは市街地を走ってきた山陰本線ですが、福江駅の手前から海岸に出てきます。国道191から見える響灘ではヨットの練習中。福江駅は国道から数十m入った所にあります。
ここで一気にローカル色が出てきました、福江駅です。海風が近いので潮の香りが濃い。無人駅で自動券売機、自販機、トイレの類は無し。建物財産標は確認できず。駅前広場に数台の駐車有り(結構適当)、駐輪場は無し。駅前には住宅兼美容院(閉店中)が1軒あり、ここも駅前美容院のパターン(靴屋さんとか八百屋さんとかではなく、何故に美容院や散髪屋なんでしょうか)。 周囲に食堂・売店は無いですが、R191沿いに0.5kmくらい北上すると、うどん屋があります(博多風のこしのないうどんです)。
(梶栗郷台地駅) - 安岡 - (福江) (訪問日: 2017/5/28)
梶栗駅(長いので省略)から安岡駅に行くには、まっすぐな北浦街道を北上します。
安岡駅近くの交差点にあった、一灯吊下げ式信号機。同じ山陰線つながりで荘原駅近くにも同じのがありました。
安岡港から少し離れて街道沿いにある安岡駅。出札口は閉鎖されていて無人駅、券売機(チャージ機能なし)、飲料自販機、トイレは設置。建物財産標は未確認。駅舎に向かって左に駐車場が約10台分、屋根付き駐輪場あり。売店・食堂の類は無し(北浦街道も住宅街なのであまり店舗は無い) ホームは2面2線。
ホームから長門方向を臨む
安岡駅から北浦街道は港の方へ国道を横切ります。ここまで来ると店舗や銀行、農協とかでてきてようやく街道筋という感じになります。(日曜午後なのであまり人通りはありませんが)
(海田市) - 砂走り出迎え松 - (安芸中野)
旧山陽道が海田市から瀬野川沿いに出たところにある松並木。かつては参勤交代から帰藩した藩主をここまで出迎えたそうです。
広島市指定史跡 中野砂走の出迎えの松
指定 昭和49年2月18日
広島市安芸中野一丁目80番地地先旧国道沿いに立ち並ぶこの松並木は、江戸時代の西国街道にかつて植えられた街道松の名残です。胸高幹囲1.2~2.4m 樹齢100~250年と推定されるこれらのクロマツは、それほどの大木ではありませんが、市内に残る数少ない街道松として貴重なものです。
江戸時代になると人や物資の流通が盛んになり、全国的に街道の整備の必要性が高まってきました。そのため幕府は、1604年に江戸を中心とする五街道の整備を行うとともに、1635年に出された武家諸法度の中で、諸大名にも交通運搬施設の整備を命じています。芸備地域では、1633年の幕府巡見使の巡察を契機として、急速に領内の交通網の整備がすすめられました。当時五街道に次いで貴重な公道であった西国街道についても、道幅が二間半(約4.55m)に定められ、その沿道には一里塚や杉、松などの生木が植えられました。当時の旅人にとって沿道の松並木は、疲れた身体をいやす憩いの場として役だった事でしょう。
「出迎えの松」の名は、当時参勤交代の責を終えた安芸国の藩主を、家来や村の有志たちがこの松のあたりまで出迎えたという言い伝えに由来しています。
昭和61年3月
(多家神社) - (安芸府中) - (海田市) (訪問日: 2017/06/17)
広島駅から向洋、海田市にかけて、山陽本線の北側に旧山陽道が通っています。広島城ができる前は、国府のあった府中を通って船越を越えて瀬野川にでるルートになります。
他家神社から南に山裾を縫うような旧道をたどり、途中新幹線の高架下で片側2車線に拡幅されてますが南東に進むと船越の峠。新幹線高架下の片道2車線道路から峠に差し掛かったとたんに、二輪でも離合に気を使う旧道に突入します。
旧山陽道の家並と道行はこんな感じ。
山陽道の家並で特徴なのは入母屋の破風飾り。街道に向かった切妻の壁面にある格子破風や紋飾りがあり、破風の周りの軒瓦が内側に傾いて丸みを作っています。破風の上の軒板も少し丸みを持っていて、いわゆる「起り破風」というものではなかろうか。(瓦の乗っている面自体が湾曲している訳ではないので、「屋根のむくり」というのとは違うのでしょうけど)